まあ俺の個人的見解を述べ始める前に、竹内久美子の著書として「そんなバカな」という本がありました。生物というのは結局遺伝子を残すように行動しているという主旨の本で10代に読みました。
この本は出たときには「おかしい」と言われたのですが、何がどうおかしいか明確な答えは無く「おかしくないんじゃないか」と思ってしまったんです。
けどまあ、高校生くらいになると精子と卵子と受精を学んでそれで子供が出来ることは何となく分かって来るのですが、そうして子供を残すこと以外にどんな目的があるだろうと、ふと不思議になりながら生きていたんですよね。
まあでも26歳くらいですかね、大卒初任給22万でしかも就職氷河期に月給26万円というのは隠しておけばよかったというか、その頃は別段触れ回ったりも周りから噂されたりもしなかったのですが、普通の大卒サラリーマン1年生と同じ暮らしをすれば毎月4万余るわけです。
それを何に使ったかというと、大阪の町の至る所にある怪しい風俗に週イチペースで攻めてみたわけです。人間は受精して子孫を残すために生きているのだから、結婚できないならカネでアレをするしかない!という性本能と理性との合議でそうしました。
そうさね、週1回、年50週、2~3年ということを合算してあとは想像にお任せ。
その結果は日本史で織田信長が天下統一を成し遂げる前にどうなったか、みたいなところと軽くつながってくるわけですが、やがておかしくなり精神病院に入院します。
あれから20年、そんなこともあったねと最近では性処理はほとんど自慰で、それは1回1万円でも100回すれば100万円。アレと100万どっちがいいって、周囲には隠していますが泌尿器科のお医者さんやエロ本の写真のないページの原稿を書いていたライター友達とか、止めようとする向きがあって、まあ渋々に聞き入れて来たわけです。
そりゃそれこそ生きる目的と思って生きた俺にとって、辛抱しての生活は生きる意味を見失ったようなところがありました。しかしまあ、残っていたSFCやらPS2で遊んで、働いてXBOX360も買って、ゲームでもしてみたり、ギターを弾いてみたり、趣味と呼べるものに色々と手を出してみて、47歳まで粘って生きてきたんです。
それから受験勉強もやり直して、お金があるので先回りして医学部の教科書を揃えて先に読んじゃおうみたいなこともしました。また、その前にもう一度お金を持つ前に何か部屋で出来る暇つぶしはとSFCで遊びだした頃ですね、その昔に確か大学に落ちてすぐ19歳の頃に専門学校に行く前にそういや医学部受験を目指すのが当初の目的だったというか母親が高校の授業料払ってくれた動機だったろうな、みたいに思って本屋でポンと手に取って訳が分からず読まなかった中国医学の本がまだ部屋にあったんです。
そしてお金で買った医学の本をひとしきり読んでってまだ全部は読めていないけど、自分なりに解剖学、生理学、生化学を学んだ目でもう一度東洋医学の本も読むんです。
そうすると例えばチベット医学と密教の結びつきとして書かれているようなページでも論理的整合性が弱く、文章の中で論点はどんどんずらされ、何が書いてあるか良く分からないと思っていたものがほとんど隠語でつまるところはセックスの挿入にあるということを回りくどく書いてからかっているだけだと読み解いたんですよね。そりゃ原文ではなく子供向けの学研だから、難しく書いて子供向けだとすると子供をからかった悪い本であることは分かるんだけど、そうとは分からず何か有難いことは書かれていないかと読んだら良いこともあって、ああこの本には色々の事が書いてるけど白ページの結末はそれかと思った時から、だんだん分かって来たんです。
やはり人間には官能基があるわけで、普通の成人の目的のひとつにはセックスがあり、セックスの結果受精して子孫が出来る。けど子孫を残そうという意図があってセックスするようになる前から生物は主に本能で受精していて、人間が理性を得ても本能には逆らえないかというと貞操を守っていて、また避妊具のように遊びとしてのセックスを楽しんで受精を避ける文化も人間が遺伝子のために生きているというのを直接的に結びつけるのは難しい。腹が減ったらメシを探して食うとか一定時間活動したら眠って疲れを取るとか、それぞれに別々の欲求と生理機能があって、人間はその時々に優位になっている生理を満たすために行動する。
そうすると自殺なんてのも理性優位で、死んだ方が良いと思うから死のうとする。
現代理科では精子と卵子が結びついてフラスコの中でも受精出来るかもしれないけど、チベット密教では挿入が究極の解脱であると考えられていたという話を冗談半分で真に受けても、受精は本能的からしたら結果であって、目的が受精だからセックスを求めるというのが例えば江戸時代の将軍のお世継ぎ争いみたく社会がその時の学問や制度で「血縁優位」だからそうなっただけの話であって、それも子供を残すことよりも親族が為政者と血族になるための政略の色が強く、カネや権力目当てで本人たちに抗う術の無い生理だったのではないかと。
これは格闘ゲームに夢中になった時も何度か考えて、ある人は春麗のパンチラを見たく、ある人はリュウで背負い投げしたく、ある人はめくりアッパー昇竜拳を決めたいわけだけど、ゲージが全部赤になった方が勝ちだから100円勝つために全部減らす作戦を立てて上手く行った時に嬉しいとか、反対にそうなってくるとゲーム中に色々ある技が反対に無駄になって楽しくなくなるから飽きてやめるとか、色々あるわけですよ。
そういう風に色々あって、感覚器が求めるその時々のことを満たすために行動する。
「ひいては」とひとつの結果を求めたらいずれは死ぬわけで、死ぬ前に受精したらそりゃ遺伝子というか子供は残るわけだけど、それだけが人間の生きる意味という風に集約して考えるのはあまりにも無視しているものが多すぎるわけで。
そう思って今日は昼飯を日清のカップ焼きそばで済ませてこのブログを書いています。
まあひとつ、生きて行くのにお金がいるからお金で買えるセックスを我慢してそれを生活費にすることで、定時性ではなく不定期に働いている人はやりくりがラクになるわけですよね。俺は派遣とはいえほぼ定時性で働いていたので、浮いた金は使っちまえ!という風にやさぐれていたけど、ライター友達の言いたいことはそれだったと思う。
んで泌尿器科の先生の言いたかったことは反対に意地悪ではないかとも思うんだけど、性感染症予防という医師としての務めでもあったとは思う。
というか、論理学の範疇でAならばBでBならばAであるときAはBという形式論理学の体系そのものが間違いで、別のものだから区別するためにAとBがあるのであって、結局はチベット密教の解脱ってセックスのことよねと論理的に隠語の意味を明かして英語にしようとしたことから、今日の話は始まっている。
そうすると、人生の意味みたいなテーマも、人生という二文字熟語と意味という二文字熟語は理解できるけど、その悩みが十代とかに沸き起こった時に、自分自身の人生の体験よりも目の前に現れた漢字のテキストから意味を読み取る識字力が出来て来て、識字的に表されることと自分自身の人生が結びつけて考えられないから、混乱し始める。
そういうことだろなと思う。もちろん、人間が生きていることの意味は遺伝子を残すことでは無い。ただ、そうしないと絶滅してしまう可能性もあるから、滅びることが受け入れられないとそのために尽力して生きることに縛られるのだろうけど。
この束縛、本当に解いちゃって大丈夫なのだろうかという一抹の不安が現れて終わり。受精しなくても増殖するアメーバみたいな生物と人間のどちらが地球での生存競争に強いかみたく考えると、それも結局は勝ち負けという人間の考え方で持って勝ちの定義をどう決めたか説明しているだけの話で、自然ではないのよね。
まあでも真に解いてはいけない束縛は生への執着ではなく、愛の無いセックスでも気持ちいいってのはそういう仕事の女性が目一杯に男性にサービスしているからそうなのか、それともしてみると貞淑を守っている女性でもやっぱりそうなのかというあたりにこんな話をしたら力が抜けてしまう人もいると思うので、まあ今日はここまで。
いやまあ、医学の話から始めるんだったら感覚器を適切に刺激すれば気持ちいいでファイナルアンサーか。それはちょっとつまらないけど、逆らえない真理でもあるよね。まあ自慰は普通性器の刺激だけで短時間で済ませるけど、エッチってそこに至る物語が無いところがつまらない派をここで脇にどけると、前戯があって1時間くらいセックスしたら、その子の事も好きになっちゃうから、ストライクゾーンはすれば広がる。
けどまあ、話を巻き戻すと「そんなバカな」も動物行動学を基軸にしているから、自然科学の一介の分野として動物の行動についても書かれているわけで、結局を結局としてそこを起点にもういちど議論をひっくり返すのは、反対に俺やその時に反論が出なかった多くの人がそこしか興味が無かったって話だとも思うんですよね。
まあ俺もサルとかイルカの話をされてもそのありがたみが欠片も分からず遺伝子の話にとびつてしまったということをあらためて恥じて今日の話はおしまい。


