貧しいから納豆を食うのか納豆を食うから貧しいのか

 昨日はサラッとパン屋の粗利と営業利益率にパン酵母の作り方に触れ、何もしていないのにパン屋の苦労も知らずに銀行気取りかとお叱りもあろうかとは思いますが、パンを作るのに酵母ともうひとつ小麦が必要という事で、小麦っていくらなのというと経済界には小麦先物なる指標がありロシアウクライナ情勢が緊迫した時には小麦先物が倍値以上付いたようですが、現在は戦争以前の価格に戻っており、日本の小麦の消費量から考えて別に小麦先物の高騰と今の貧困は直接の関係は無いようです。

 では何が関係しているかというと、農林水産省の見立てではコメの消費量が減ったのは小麦が増えたからという関係ではなく、油脂と肉類が増えたからということで、主食はコメでお肉やお魚は「おかず(副菜)」というのが俺らが小学校の時の基本でしたが、実は人間雑食でその中には肉食獣のように肉だけ食っても生きて行ける、そして肉の栄養価は穀物より高く、店の単価だけを見てコスパを決めるとファミマのおにぎりよりファミチキの方がコスパ(栄養価/単価)ね、決して(原価/単価ではなくて)が高いという事になってしまうのです。これはある意味では大人の常識だけど、小学校から学んで食ってみて肉の方が旨いと感じることは有っても科学で追跡するのは難しい問題です。

 この栄養価コスパというのは実はファミチキ以外でも近所のコロッケ屋さんでコロッケ1個50円の時代にメンチカツが90円でトンカツが200円だとメンチカツがいちばんコスパが良いというのはそりゃ一般論ではなくその店のコロッケやメンチカツの大きさにもよるわけですが、ウチは俺が子供の頃にはコロッケふたつでコメを食うような家庭でした。

 ではなぜ栄養価が高い食事を取るようになっているのに日本に貧困家庭があるのか、というあたりが議論の焦点になってゆくわけですが、ここで純国産のコメを主食とするか輸入の油脂や肉類を食べることで国の財政が危ぶまれるという単純な食料品を基調とした貿易収支の議論になるわけですが、貿易の中で食料品を中心とした収支は赤字でも工業製品を基調とした黒字部分があるので、何を食おうが外国に売れるものを作って売っていたら問題は無く、その意味で中国の台頭で日本製品の売れ足が悪くなったことが収支の面で主因であるものの、工場にもっと頑張れするか、大人しく米と魚を食って堪えるかというところはどちらにつけ頑張り方としては正しいことになる。

 しかしまあ、やる気の面で考えたとき、貧しい家庭のたんぱく源には納豆という選択肢もあるわけですが、貧しいなりの栄養源としての納豆は味を我慢すれば栄養価は高く、ウチでもたまに食いますが、別に納豆まで節約しなくても数十円で足せばメンチカツになるわけで、貧しいから納豆を食うのか納豆を食うから貧しいのかは、実はまだ求めていません。

 肉食って頑張って働くか、節約して納豆食って貯金でどうにかするか、収支としてメシを控えて働けば金銭的にはプラス幅が大きくなるけど、働いたり考えたりするのにも栄養は必要なので、うまいもん食った方が頑張れる、その源泉となる「まず食う」というところが出発点にならないほどの貧困家庭が日本には増えて来ているという問題。

 けど、何を食っているかというと例えばコンビニでメシ買っていたら、まずは米買って炊けみたいな話になって、昨今の米騒動があったわけです。

 おかず納豆で大丈夫?っていう打診は俺が誰かに「カネ貸してくれないか?」と言われた時に言ってきたことで、働いてカップラーメン食ったカネを遊んでカネ無くなった悪友に簡単に貸せるかというアリとキリギリスみたいな話なんですが、それでも俺の住む町は大阪と比べて貧しく、大阪で遊んでいる者から比べたら貧しくても、家でテレビにパソコンにゲーム機というのは槍玉にあげられてもおかしくない時勢であります。

 そこへ来て食の贅沢まで見せつけると危険だから安い納豆を食ったりするんですけど、そうじゃなくてカネあるなら贅沢なうまいもん食って使って欲しいという向きの高級飲食店もまたあるわけで、常にお金は町の中で取り合いの格好を取っている。

 爺さんの代は文具屋で親父の代は電気屋みたいだったウチの店も親父が完全に爺さんの文具屋を継いで、県政ではなく市政レベルで町のそこかしこにある公共施設に納品する文房具の帳簿で持って、市政の一端を担っているのだという事が最近分かりました。

 対して俺は今ワールドワイドウェブでブログに書いたどの会社のゲームがどの国に売れているかというような趣味実験をしていますが、まああんまり意味はないです。だってそこまで広域的に情報を持っても、家にいるわけですから。


🄫1999-2025 id:karmen