ブログのメンテナンスなどしてみました

 まあ定期読者の方以外にはあまり関係のない話ですが、ブログの広告など収益性の問題で簡単に言って入ってこないところを切って入ってくるところにしたいなぁ、と思ったわけですが、もともと力のない趣味のゲーム日誌というところからブログそれ自体が強烈にゲームの宣伝となっており、昨今のゲーム会社の株爆上がりを涙目に(作戦立てて諦めるのが早過ぎたか、もしくは俺が元々ゲームの客で郵便や株主総会のテーブルで資本家にゲームで遊んでた子供が株を買うようになったというのが知れたところが売り目となり、また売ったのが分かったら今度は証券会社が買って上げたみたいな策謀)まあそれでもゲーム以外の事業にしようと決めたのは昔の自分なので、このブログからファミ通とかの雑誌のタダ読みにリンクして最新ゲーム機が売れるというのが利潤的にウチに来ないなら、どちらかというとそういうカネモのゲーム客ではなくストIIターボや餓狼伝説スペシャルをしつこく遊ぶ界隈を仲間として見ている、それが泥棒のような人間でも、なぜその界隈に泥棒がいるかというと、俺が最新ゲームではなく対戦格闘ゲームでフリーの客と対戦する常習賭博容疑者みたいな人間だったから縁があるわけで、そこへ行くとその後に麻雀ソフトが2万本出たり将棋ソフトの大会に出させてもらったりで、マンガ雑誌近代麻雀」と将棋の雑誌の「将棋世界」をさりげなくリンクして、週刊少年ジャンプホビージャパン誌と並べてまたクリック集計を取るという気長な作戦に出ました。

 安価な趣味であるべきだと思うんですよね。そして格闘ゲームのヒットもまた、消費されがちなRPGと比べるとリソース量は物語などの世界よりキャラのアニメに割かれているわけで、専門的なことを言うとRPGを形作る世界はコンピュータのメモリに入る画像や音声の量でもって広さが推し量られるものだけど、格闘ゲームはパンチ一発にも多数の駒のアニメ画像を使って、敵の数を増やすのではなく脇役キャラひとつ取っても主役のように自分で使えて生き生きと動く。ここが売りで、そして対戦型のゲームの体を取っているのでふたりで楽しめる。そこがゲーム友達の出来るポイント。

 ともするとそれは、俺んちが俺が子供の時はそこそこ金持ちで、海水浴とか行ったらビーチ家族でひとりじめ、長い田舎道を親父のクルマの後部座席に揺られて、海岸に何気に置いてあるテントの卓球台で家族でひたすら遊ぶみたいな感覚で、ゲーセンで学校の友達と100円入れ合ってエアホッケーでもするくらいの感覚でストIIや餓狼で遊んだ。だけど、その時から実は100円で勝ち負けを競って、長い間ずっと根に持たれていたという関係もあり、そして俺が小学校の時に貧しい人に施すと「政治家のガキがカネで票買っとる」みたいな言われ方をして、おれはそんとき自分ちは文具屋だと信じていたんだけど、お金をくれることそれ自体よりも背景にある貧富の差が憎らしいって感情を持つ人が俺の住む町の貧民にはあるってことがまだ理解できていなかった。

 つまるところ、貧乏は貧乏でも、ぼろを来て物乞いをするではなく、スーツを着て議会に立って立派な文句を言って政治の制度でカネを政府からもらうというのが左の構造で、そんなことなら右でも左でもどっちでもいいかと思う俺は現状右寄り。

 んでゲーセン仲間というと、俺がスーパーで弁当買ってもコロッケ屋でコロッケ買っても婆さんが「ありがとう」と言ってくれるように商売でゲームしてくれてありがとうって店側の態度としてあって、それが俺が若い時に若い者同士で片や公務員片や飲食店と立場が分かれたとき、やっぱり食べてくれてありがとうではなく「どうして俺がメシの支度なんてつまらん仕事をさせられるのだ」というイデオロギーを持ってくすぶっている飲食店員てのはいたのよね。出す飯もレトルトをチンするだけで自分で冷凍買って家で食え見たいなことまで公言していた。

 そのへんまで考えると、ブログの広告の貼り換え作業って仕事なのかね?という疑問も無くはないですが、じゃあ他の人が出来る仕事かというと、最近ではブログサービス有料化でお友達とお金出し合って楽しいおしゃべりみたいなブログの交換日記というウェブ2.0をもうちょっとカジュアルにした文化圏があるようなのですが、そこに今でも1円でもいいからブログで稼ごうみたいな頑張りはそもそも回線代を払ってするインターネットとはパソコン通信の進化系でありパソコン買って回線払って文筆業ごっこをしても全然未来的でも何でもないよという自ツッコミを入れながら、しかしこの集客を活かして広告を打つと社会にそれが普及していくという自己拡張感は楽しいのよ。

 けどまあ、ボタンを押すとビームやパンチの出るゲームと違って、広告のコードを差し替えて、何か月とか何年という単位で数字のログを読む仕事で、結果が自分に臨む形で反映されるか、同業者でも得する人損する人が出て来る利害の問題はあるだろうし、だからして牽制球のようなものも飛んでくるし、万人が喜ぶ形というのも求め辛い。

 今日も298円のカツ飯(いわゆるソースカツ丼)を食って、貧しくあれと思う。貧しくて、働いたらお金が増えて将来は良くなると信じているのが資本主義の燃料だから。そこにもし今あるお金でずっと暮らせたらと思い始めると、それが翳りとなるのよ。


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