自分の心に正直になってみる。暗い原因はなに?

 昨日は工期三人月の仕事を三日でやったら30倍の給料がもらえるのか?(否)みたいな話を書きましたが、まあ俺が二種で応用の勉強したらマネジメントのアローダイヤグラムの頁でそれが何故なのか分かるようになった気がします。

 そう、まだ仕事の裁量の問題で、いち技術者としてシステムを統括的に出来ているわけではないんですよね。コンピュータとユーザの関係性で出来るアプリや、AIと言っても対戦型のゲームの遊び相手くらいのもので、社会と関りを持つ外部設計から入った仕事が何かあるかというと、ICOCAくらいのものでカードによる電子決済で結局お金が電子マネーになったくらいのことであって、他は画面が変わるかスピーカーが鳴るくらい。基本的には放っておかれたらおしまいのコンピュータシステムなわけで。

 そう、今俺はウェブに作品を投げかける前段階として、作品と呼んで良いのかちょっとした創作物をSNSで発表して、多くの人から放って置かれているわけです。

 んで自分は休んで待ってみると、見つかる見つかる、SNSには俺の作品も見てくれ聴いてくれってクリエイターのタマゴかヒヨコがゴロゴロといるんです。ヒヨコと呼ぶにはちょっと大きくねぇか?年食ってねぇか?と思うけど、それ自分を顧みると、そりゃこの年でこれでは、と思うかもだけど、それが俺の本当の姿であって。

 まあ創作とかクリエイターが神様みたいなそういう時代では多分無くて、コミュニケーションアートの時代だと思うんですよね。人に何かひとこと言うでも歌で言うとか絵で見せるという。俺はこうして活字書いていて、活字界隈でのコミュニケーションが成立していても、届かないところはあって、それが絵や音楽ならチョット通じる。

 それで俺はもともとゲーマーなので、将棋の指し手や詰将棋の問題にストリートファイターの対戦でも「あっ、アイツはこうするんや」というコミュニケーションってあるんですよね。誰かが試合中にやった何らかの動きが面白くて、意味が分かってかどうだか、真似れるやつは真似て行く。そんな世界にもコミュニケーションが発生している事への気付きがゲーセン対戦を面白く、人間関係を豊かにしているという見方もあれば、そんなことゲーム台に100円玉入れてやらなくても、言葉を交わしたり、手紙を書いたり、コロッケ屋で100円玉出したら30円お釣り来るわけだし、それに仕事でする人となれば歌のひとつに絵のひとつでも値段が付くかもしれないものをSNSに投稿して喜ぶって「損」じゃないのかみたいなケチケチした時期もあったんですけど、それでもケチらず投稿すると、お金じゃなくアートのお返しがたくさんあって、そういう場としてのSNSにハマったんだなぁ、という感じ。

 ただまあ、目下やらなきゃいけない事は応用情報の勉強とか、家の片付けとかであって、ギターの練習とかもそれはそれでしたら良いけど、ゲームと一緒でそれに夢中になってたらいけないのではという感じもするんだけど、まあ大事なこと必要なことが最低限出来ていたら、時間をゲームに使おうがギターに使おうが、絵を描こうが、その時間が楽しいならそれで良いじゃないと自分を許せる。

 京極夏彦の「魍魎の匣」もしおりを挟んで立てたまんまになっている。やろうとしている何もかもが「それホントにいることなの?」と問うと、やらなくても良いことで、その動機が「楽しいから」だったものが楽しめなくなっている感覚から、ちょっと光が差して「ああ、楽しいからやってたんだ」と思えたら、病気が治る見込みありそうに思えた。

 だけど応用情報の勉強はときめかない。専門学校時代の二種の勉強はガッツで出来たんだけどなぁ。そしてプログラムも楽しいと思って出来ていた。もちろん、あなたが読んでいるこのブログも、タイピングで文字を打ち込むのが楽しいから出来ている。

 俺が資格の勉強をするのって、大学に落ちて専門学校になって、コンピュータしか道が無いと他をシャットアウトしたからで、本当は大学生ってその後にもっと勉強して就職する人もいるのかもだけど、遊んでいる人もいるわけで、高卒だろうと専門卒だろうと遊んでも良いのではないかとも思うんだけど、世の中には大学生は遊んで良いが高卒は働かなくてはならないって圧がある気がして、けどそれが何故かというと、親のカネだと思うんだよね。奨学金で借金して大学に行った人とかその後に苦労してるし。

 んで俺も資格が二種なのを会社で言う事聞かないといけない理由にされているから応用取ってやろうとしている。結局それは手綱を取られているだけの話で、応用取っても雇われて働く以上は誰かの言う事聞かないといけないと撥ね付けたい。

 応用取ったらこっちの言う事聞いてもらえるという約束を取り付けて、ただ給料が増えたり裁量が増えたりするだけで労使の関係は改善されないなら意味は薄い。

 その点、応用情報は経営とかも学べるわけで、資格取ったらもう派遣労働者ではなく親父の仕事を継いで自営業でコンピュータも何かに使おうと、こうなると、応用情報の勉強と店の片付けは仕事としてやらなきゃならんこととなる。

 ただまあ、勉強の気が乗らないのは応用情報取っても情報処理技術者の仕事は派遣SEのままという暗い界隈もあって、実際のところどうなんかというと、単に資格取ったら心が晴れるんじゃないかという、心理的な要因が大きいんですよね。

 俺の過ごしてきた現実として、言う事聞かなきゃいけないの自分が資格持ってても相手の年が上だからであったからで、俺が病気で休んでても年は食って、年食えば若い人が言う事聞いてくれる年功序列があるなら勉強はしなくても良いのかもだけど、そこは俺が個人的に「示し」があったほうが良いと思ってる、そんだけのこと。

 コミュニケーション・アートの話、関係なくなったね。愚痴読ませて御免なさい。


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