まあ最近サボりがちなカプエス2の練習をまた再開しました。遊んだだけだけど。
何となく最近Aキムに凝っていて、Aで練習したいベガ入れて、あとのキャラどうしようって強かったなぁと思うwao氏(Aマキ)のチームA豪鬼マキケン2のAケンが忘れられず、自分でもやってみたいと先鋒に組み入れました。
んで、正義なのか悪なのか分からんしチームバランスも何か気持ち悪い。何故だ?
これが大分わかったんですよね。Aベガって「絶対勝ちたい」ってベクトルを持ってる。じゃあケンは「絶対勝ちたい」じゃないのか?というと、確かに勝ちたいんだけど、ストII初代における強キャラはダルシム・ガイル・春麗で、そのキャラで相手の弱キャラ負かすのって「必定」を求めているんですよ。絶対こうして勝つという。
けど、ストIIダッシュでリュウケンの昇竜拳にダウンが付いたことで不利が緩和され、そこには無敵の昇竜拳でダウンを奪えて、ちょっと専門的な話になるけど、ストIIのキャラの技が当たるのはボタンを押して出る技のアニメに合わせて相手の喰らい判定に触れたら当たったことになって「やられモーション」に移行する「攻撃判定」てのがあって、けど攻撃する側の手足の先にも暗い判定は伸びていて、だからして相手が技を出すのにドンピシャで昇竜拳を出すと無敵になって、相手の攻撃判定を避けながら伸びた暗い判定に昇竜拳が当たってダウンを奪える。そこから起き上がりに投げハメを狙える、不利なはずのリュウケンの「賭けの一発」がついて、それが外すと隙だらけの昇竜拳にあるものだからスリルと快感がセットになっているんですよね。
対して、Aベガとか絶対勝ちたいと思って取るキャラで、普通に強いし、オリコンって光った後にコンボ入れるかガードされているか見たら投げかガークラ連携に移行できて、もう絶対当てたら近くで光ったらダメージ入るという感じ。それを巡ってゲージ貯めの小リスク小リターン行動とかの対戦ロジックも出来てゆく。
そのAベガと同じチームに弱くて博打威力のあるケンが先鋒になっても、博打したいのか必定で勝ちたくて練習してんのかどっちやねんって迷いが生じる。大将にベガのいる先鋒レシオ1ケンって、魂のキャラでは無く捨て犬じゃないのかと。昇竜拳バクチで打ってガードされても反撃にコンボ入れてもらったらオリコンゲージ貯まって中堅出てくるしとか思って打つバクチ昇龍にスリルも快感も大してねぇんだよ!
ってまあ、俺は家でPS2で遊ぶカプエス2にそんなにスリルとか快感とか感じられるのか?という問いはあれ、つまるところゲーセンで100円賭ける練習としてのPS2が最近自己完結してんだけど、賭けないとつまらないかというと同じゲームだし、練習して上手くなることそれ自体は楽しいわけで。
まあでも考えたら、俺がゲーセンでやってた時はNリュウ・ガイル・サガットメインで、走れるストIIやってたんですよね。それにAマキ(wao氏)がA豪鬼・マキ・ケンで大将をケンにして相手してくれたのって、それはもう100円じゃなくて50円ゲーセンだけど、賭けるに値すると思った最高にスリリングな勝負だったわけです。
ただ、俺の疑問のひとつで昔から上手い方が弱いキャラ取って下手が強キャラだからバランス取れてるけど、自分が恐らく下手強キャラの部類で強い奴の取る強キャラを観戦したいとは思ってて、wao氏にひとつA豪鬼だけは見せてもらえたんですよね。
wao氏のケンは強かったけど、恐らく弱キャラで、けどそれでも俺は連敗して負け越して、それが強キャラになったらもっと負けることは考えりゃ分かることだからね。けど、どこかその試合を実戦で味わいたいとも思っていたんだ。
それから、今やっているのがAベガで、上手い強キャラみたけりゃ自分で強キャラ取って上手くなるしかねぇ!と思ってやってる取り組みにAケンはあらためてwao氏が上手いから俺あんなに負けたんだなと。今からでも振り返って第三者として観戦したい、俺何をあんなに喰らってケンに負けたんだろうって。
それは裏を返すと丁寧に操られた強キャラにケンでどう勝つのかの答えで、それで今自分が練習しているのが強キャラで、いまwaoAケンとやったらまた違うのではって当たり前のこと思うんだけど、やっぱそこに個人競技的な技量アップを狙って練習するのと、ストIIのバクチ昇龍に始まる駆け引きとリスクリターンと心理のトリックと、手品対科学なのか科学マジックなのかみたいな相反する論理があるんですよね。
まあ、この気持ち悪さが分解できて、今日のカプエス2は得るものがありました。
何かストIIターボに対する割り切れないものが、それがどうしてなのか見えたような、それでいて向上心は失わず、まだまだ練習科目があって、淡々と日々それをこなすクンフーのような武道のような、それをAベガでやってどうすんねんという迷いも振り切れるほど勝ちたいと強くなりたいが合致している事に迷いなく。
ただ、生活とお金の問題はあって、賞金狙いの勝ちたいよりも日々の節約での蓄財が勝って、いつか一発当てたいけど慎ましく暮らせばお金は自然と貯まるてのと「打ちたい」もまた相反していて、反対にそこ強い奴は「打つふりして打ってない」のではないかというところに迷いがあるわけです。
そこは「ももちケン」対「ときど豪鬼」のテレビにもなった「ストリートファイターの対戦って絶対に合理的なことの反対を打たないと勝てない試合がある」みたいな、やっぱ博打になってんじゃんって理屈では分かるんだけど、まだ腑に落ちない部分があって。夢見てるだけで、もういちどひと勝負ずつ冷静に出来たら、じゃあ今度は裏を取るだけで相手はその裏を描くかもしれないわけで、ゲーム自体に堂々巡りになるロジックがあって、それがストIIダッシュ以降の昇竜拳で、それが100円賭ける動機になったのって、単に俺が賭け狂いで昇竜拳ごときの博打に100円も払えるかよ!という今の貧乏に近い金銭感覚で貯めたお金の使い道に日々通帳が盗まれないか心配でそれはそれで精神負担という、変な感じになってしまっているんですよね。
じゃあ欲しいのは絶対の安心かというと、多分そうで、そしてそんなものは無く。
やっぱまだメンタルが弱くて、自分の強さに自信が無いんだわ。けど人間年取って弱くなって行くのも必定だから、それに合わせて弱くても生きて行ける術を学ばなくてはなと思うと、まあ格ゲーも趣味なら良いけどそこまで入れ込むのもほどほどにね。

