読者が32人もいらっしゃるのに面識のある人がひとりもいないブロガー生活。
まあストIIが強いことが自慢ですが、ストII以前はドラクエが好きでした。しかしトラブルがあって、ドラクエが嫌いになったこともありました。
自慢のストIIというか、カプエス2のAケンブラベガでオリコンが決まっているところをビデオに撮って、そういえばそういう風に「保存がきく」この一点に於いて、パs婚を持たずにファミコンで遊ぶ子供として、ドラクエIIIやウィザードリィにハマったのだと思います。グラディウスもゼビウスもこの頃はヘタッピで、保存(セーブ)の効くRPGでキャラを強くすることだけが趣味でした。
人生のある時から、そうしてゲーム内のキャラが強くても現実では何も役に立たないというような価値観になり、いっときはRPGから離れましたが、ネットゲーにもいっときハマりました。ネットゲーでは、ログインする人同士の間でそのままキャラのレベルが自慢なわけで、それにハマるのも作り手の目論見通り、注文通りにハマりました。
それはハマっている、まさに文字通り罠にハマっている、現実社会で有用な現金と貴重な時間を奪われて作中にハマっているわけですが、それでもテレビを見ている時間をちょっと削ってドラクエ7の続きをしたわけです。いまレベル6で新大陸出現の騒動。
しかしレベル7に上がる予定が、敵の出る以前に謎解きの石板が台座にはめるとひとつ足りず、もうどこで取り逃したか、すべてのやる気が失せてしまいました。
それでも、また続きから出来るので、日を変えてやろうとPS2の電源を落とし、低いテンションで人生や世の中の創作物を見直しています。あのドラクエの洞窟のようなもの悲しい音楽の中で石板探しをずっとするって何が悲しゅうてと。昔は出来たとか、証拠のあるなしとか、そういう論争の果てに「もういちど」やってみることにしたけど、年取ると出来ないとか年取っても出来る人は出来るとか、まあ水掛け論で、ただただ今の俺にとってドラクエって「もの悲しい」に過ぎるんですよね。
レベル6までを取って見ても「なんでナスビのお化けが襲ってくるんだろう」とか。
それで、こうして書きながら言うのも変ですが、もう分厚い本とかも読むのがしんどく、自分の過去に書いたことに全責任を負って、論旨が全く矛盾しないようにひとつの声明を立てるとか、そういうことも出来そうにないなぁ、と、こう思うのです。
書き始めたときはゲームというのが社会的に既存路線のテレビや分からない大人から攻撃されていて悪者で、ゲームは「やっても良い」んだ!とか、ゲームでゲーム友達が出来た!みたいなことを声高に叫んで、ゲーム帝国を作らんとするばかりの勢いでした。
そんな人間がこころざしなかばの47歳で、あの大得意だったドラクエすら悲しい。
いや社会はゲームを認め、寛容になったりむしろ応援を受けるようになって、責務としてゲームをすることがもう煩わしいのです。人生において年齢の示すところは蓄積であるというのがドラクエのセーブやレベルと相まって、人間は進歩主義であるべきで永遠の成長をするというような価値観で生きてきました。過去よりは現在、現在よりは未来の方が明るく、最近の若者はダメだといつの時代の年寄りが嘆くことと人間は進歩を続けている事を併せて考えると、いつの時代の若者も年寄りが若い頃よりしっかりしているという論法が成り立つわけですが、それも高度成長期の名残がある時代に高島俊男先生が残された言葉であって、少子高齢化が深刻であることを考えると今時の若い者は結婚して小作りもせず、日本の未来は長寿化が進んだ老人の介護で暗い見通しとなっており、その若者のやる気を誰が削いで来たかというと、今の老齢世代にも責任の一端はあれ、それでも俺が子供の時に父ちゃん母ちゃんが何か悪いことしたかというと、頑張って育ててくれて、どうしてこんなに世相が暗くなったと。政治のせいかと。
否、そんなことは誰にも分からないカオスでありバタフライ効果なのだよと30代では公務員をしていた俺が任された計算にさじを投げ、コンピュータにカネ積まれても俺にも出来ることと出来ないことがあるんだって逃げてきたツケのようなものかも。
誰かがそれでも俺のブログを読みに来るという事は、まあ動物園のゾウさんを観察するくらいのことかもしれんが、ひとつ意見とか思想に触れたいと思って来てもらっているとしたら、そこにあったのは毎日ストIIに取り組んで、格闘なり賭博としての側面しか無いようなゲームでも続ければ「雨だれ石をも穿つ」というような負けん気の進歩主義にこそその光があったと思うんですよね。
その男が、たかだかドラクエの石板がひとつ見つからないくらいで匙を投げる。
しかしここで気付いたのは、皆が折れたのはレベル99という作業に対してではなく、もっと基礎的な謎解きとクリア以前の何処かで、くじけてしまって、少なくとも子供時代の俺はそれには勝っていたという事が、それでも覚えていりゃ良いんだけど、人間年取ると昔のことは忘れるもので、だからしてセーブというのは便利で、だからして毎日の記録とか戯言をこうしてコンピュータに打ち込み続けて来て、それが過去ログとなって、俺が多少なりとも文人に見えたとして、それは無尽蔵の記憶領域をもつコンピュータネットワークの見せる幻想で、実際にはギョーザとラーメンでビールを飲み、ゲームするのも「気持ち良くなりたい」が第一義で、それならタバコでいいやん、という弱い人間のハッタリに過ぎないという事なんですよ。
そう、出来ることなら「やめてしまいたい」ゲームのプレイもビデオに残せばやる気半減だし、ドラクエだって99というリミットがあって保存できるからそこをゴールとして目指せただけであって、無限にレベルやスコアが上がる系のゲームで張り合って、途中で嫌になったことなど数えきれないくらいあるし、楽器の練習だって昔の自分よりは出来ても、同じ歳月でもっと上手い人だって幾らでもいて、自信もなくなっている。
けどまあ、ギターの1年離脱率が9割と聞くと15年もやってるのは偉いと自分を褒めてあげられるし、ストIIなんて日米戦で代表つとめたし、ドラクエだってレベル1からではなくレベル6からまたあと1枚の石板を見つけるだけで話が次に進むので、京極夏彦の「魍魎の匣」が分厚すぎて投げそうになっても70ページは読んだし、どうにか自分の背中を押して20年続けたカプエス2のように、これからはドラクエ7に土俵を変えて、それで自分の背中押してやって行けば良いじゃないか。
それが偉いことかどうかは、俺ではなく他人の決めることだから、俺は俺が頑張れることを俺のペースでやれば良い。物悲しくても、乗り越えられる。乗り越えて来たじゃないか。どうして出来なくなったんだ。それは、いつか出来ることでも休んでしまった時に愚痴を聞いてくれるこのブログってやつがあって、そこに弱音をぶちまけているだけじゃぁないのかい?そういうことだよ。
よし、また頑張ろう。というか、勝っても勝っても何も無くて、人は負けた人を見ると弱音を聞いて励ましてくれる。昨日は大谷がメジャーで2回もデッドボールを受けて青あざがある話が日本では報じられないとネットニュースで読んだよ。
ホント、ボコボコの心境なんです。レベルや謎解きが勝ってる負けている以前に親にゲーム機を買ってもらえなかったって人まで、敵に回していたと思うんですよね。
それがゲームがあることで豊かになれば良いんですけど、今は凹んで弱気になっている。同じゲームを「つまらない」と批判する人の気持ちも少しは分かるようになったと思いますが、あの憎まれ役の「ひろゆき」が一定の人気を持っている事のひとつに投げたゲームの感想を書くのは良くないってか、原文にすると「ゲームの感想はクリアしてから書くべき」というのがあって、それに同意できる人間が「ねらー」を構成しているのかと思うと、負けることもゲームの結末のひとつで、やり直したりして一度の人生でやり直しがきかないことを受け入れられない負けん気だけの人々の話はやっぱちょっと偏っていたんだろうなってあらためて思うわけです。
負けるし、迷うもの。
ただそこにゲーム機ってのは負けても迷ってもモノとしては無くならず、あきらめずに向き合っていれば、人生に正しいひとつの筋道を照らしてくれるものであるという哲学をゲーム機に見出すということも、奇跡ではなく多くのゲーマーの共通体験であって。
そのへん、まあ特にドラクエは堀井雄二さんのキリスト教の教化活動の一端ではないかと思わせるような節がゲームシナリオの一部にあるんですがね。まだまだ俺の周囲は仏教の方が根深いですけど。奈良だから。鎌倉幕府も江戸幕府も神仏の宗教の違いには気を使ったらしく、それは科学を説く時でも常識人は宗教に配慮はする。
だからドラクエくらいたくさん売れて人気のあるゲームのファンには宗教みたいな気遣いが必要で、そこは俺欠けてたなと反省しているんですが、富野由悠季にガンダムの話を振る愛子さまは流石。
俺は俺で周りがストZEROとかの話を振ってくれたらやりやすいけど、それじゃもう飽きられてますよーという話もあって。まあドラクエも売れたのIII~IVくらいでVII (7)ともなるとホンマにそんなに売れたんかい?とは思いますが、ストZERO3でも上本町界隈では石板の話は出てましたよね。解けなくて、友達の輪で情報交換して、またやる。
これが孤独で解けなったみたいな人だと、その体験から来る感想は全く違うと思うし、今俺はそんな心境に入っています。持ってなくて話の輪に入れないというのが、輪が小さくて持ってる勢がのけものの社会より、持っている側としてこっちで輪を作った方がきっと強くて楽しいと思っていたものが、本当に輪が大きくなると存在理由が薄まって抗って強くあろうとするのが何事でもしんどいという事を身に染みて感じてます。
そんなにしんどくて嫌ならどうして積みゲーするほど買って持っているって事を考えたら、そりゃ楽しいことに期待している以上は積み始める前はさぞかし楽しかったのであろう、ということから勝っていたのだろうな、という風に推察して欲しいわけですが。また1本ポチクリして、届く前にドラクエ7消化できるかというとそれが到底無理なことも分かっているのですが。
