今日のドラクエ7(エンゴウでレベル9)

 レベル上げを効率的に進めるため、要らなくなった布の服、竹の槍、そしてマリベルが装備しているブロンズナイフを売りに出してギリギリ770Gで買えた「いばらのムチ」に装備変更。ピシピシピシッとグループの敵に当たって、その威力を少しでも上げるために力の種をマリベルに使い、不思議の木の実はカーメン(主人公)のMPでホイミの回数を増やすのに使う。これで宿屋使わずにレベル8から9に駆け足で成長。

 山のイベントは進行せず、今日はレベル上げに専念。

 このブログに1レベルずつ上げて行くスタイルに「まさか100回やる気なの?」と言われて、それって何かおかしい?と思うんですけど、まあ賛否はあると思います。

 てか、カプエス2を3000回くらいやっている事の方がプロゲーマー以前の価値感としては「おかしな奴」と言われ、ドラクエみたくデータが変わったり保存が効いたりするのをするほうが普通というか市民権得ているというか国民全体に問うたわけでは無いけど、俺が関わって会話した限りでは格闘ゲーマーは少数派でした。

 前にも書いたけど、少数派だったから仲良くなってそれから人の輪が広がって、なんか格ゲーしてると友達出来るくらいになってから、言い出しっぺがノケモンに。そんなこと歴史でも何度でもあった気はしますね。歴史嫌いだったけど、そんな風に人為的になぞられてだから嫌いなんだと。科学的再現ではなく、人為的に「同じことである」と全然別の事なのに、再現させているのは人間の思惑であって、だからといって逆らい難い。そりゃ人間社会を語るのも人文ですから。言ってる俺も本能寺の変とか言うけど。

 本能寺の変を覚えたのなら、誰からも求められていないレベル上げブログはやめましょうねと言われるかもだが「レベル99が見たい」という意見も上がっていたり。

 まあ、今日のところはレベル9です。@11倍ってそんな単純計算じゃなくレベルは上がるほど必要経験値も増えるんだけど、シナリオをすすめたら敵が強くなって獲得経験値も増える。いま「ちゅうまじゅう」「はなカワセミ」「ねこまどう」「リザードマン」「森の番人」などが出て来て1体3人で割って経験値8くらい。3~4匹で出て来て18~30ポイントくらいの経験値をもらえて、8~9が770ポイントくらいだったので、ざっくり32戦くらいか。計算はしたけど実際の数をカウントすることはせず。

 仲間のAIとか「まんたん」コマンドは無駄がある気がして俺のコマンドより賢くないAIは昔嫌いだったけど、最近はボタン押す回数減るのでむしろ有効活用。AIプログラマだしな。そんなセミオート戦闘をレベル99までやって何になる?とは最近思うものの、「言いだしたんだからやれよ」の呪縛もあくまで呪縛であるわけで、精神力強くなったら跳ね返せる。これ完遂するのとどちらが精神力あるかって難しい判断で、一見すると何事かを完遂する方がメンタル強そうなんだけど、呪縛からの目標は人に言葉で操られているだけなので、完遂しても言ってくれる人が褒めてくれたりしないと達成を味わえない精神支配につながるし、やめるのもそれはそれでメンタル。

 ただ俺も辞めるメンタル無くしているとは思うのよね。やり遂げないと罪悪感を感じる頑張り依存の弱い人間なんです。そんくらい出来ない事とか持って無い事でも何ともないと言い切れずに達成という根拠を持たないと自信が付かない。

 どうやったら何が起こっても平気なメンタルになるのだろうという事と、証拠が必要でだからデータを蓄積して、ブログも書いていて、達成したものを消されたりしたら精神崩壊するこの脆さを、果たしてドラクエ7で克服できるだろうかと思うと、まあ再挑戦はレベル9まで6時間以上やったわけだけど、まあたかだか6時間。そりゃ何事も芸事は6時間程度では身に付かないから修行をして至った境地がすごいという話で、反対にそういう風に身に付いたものは体から簡単に抜けないから自信になるのだろうな。

 その意味ではギターが心のお守りだったが、昨日それが壊れたことで、ドラクエに打ち込むという作業が俺に安心感を与えるようになっている。すべきはギターの修理。

 お守りのようなものが無くても大丈夫なメンタルの獲得ってどうすりゃ良いだろう。


🄫1999-2025 id:karmen