ブログを1週間休みました。
私事でトラブルがあり、どういう因果かたまたま参院選の前なので政敵とか思想犯みたく俺を見た人からの危険にさらされないため、休むべきだという心の声があったのですが、書くことにしました。
まず、現状について俺は厚生年金を受け取り、親は老齢年金と大家として家賃をもらう生活に自営業もしていて、同居の父親から食費をもらい年金を貯金して引きこもりのように暮らしております。47歳であと13年逃げ切れるか、そもそも20代の終わりごろから統合失調症という精神の難病に診断され、30代で入院して、そこからは服薬をして生きており、もともと無かった人生が薬で永らえたと思って生きています。
22歳から40歳まではいわゆる派遣SEとして有限会社フリーライフと株式会社エルアンドエイチに籍を置き関西各社を回りました。
このまま死んでも何の問題もないそこそこ幸福な人生で、子供がいない事に悩んだり病気の薬の副作用で平均寿命よりは短いだろうなと思うものの、40歳で労苦から解放された事が60代まで勤めあげる予定の会社員から多少うらやまれる、それくらいのことです。
ただ、40歳からのこの7年は月5万の年金と親からの小遣いで、元気で条件が同じでバイトやパートでも俺と同じ境遇なら同じように趣味など出来ると思います。そうなってくると暇して幾らでも考える時間があるので、ライフプランを決めるに至ったのに俺の希望ではなく他者からの抑圧があり、それを甘えていることが交換条件となって跳ね返せなかったことが悔やまれます。この年まで親に甘えていることは、いちど25歳で自立して病気で帰って来たからやむなしとしても、最初から甘えていなかったとしたら、甘えながらバイトして同じ条件を22歳からという前提は成り立たないわけです。
甘えをもっと早く許してもらえたら、大学受験でも浪人したかもだし、就職もしていなかったかもしれない。ただ、そうしてギターの稽古を18歳から始めていたとしたら、いま47歳で32歳からのギターだったので、同じ15年で33歳ならまだもう少し見込みはあったかもなという家族への責任転嫁を考えてしまうのですが、あまりに非建設的なのでこの「たられば」は無し。
また、大学について受験に落ちたと俺の失敗であり自己責任であるかのように姉は時々俺を責めるのだけれど、椅子の数の決まったところにそれより多い受験生が競うので、機会の平等とは言え結果の不平等はやる前から自明で、そして俺の進路は結果から言うと二年制のコンピュータ専門学校で、高校が進学校で成績優秀(と言っても他校から見ての話で、学内成績は真ん中よりやや下、全国模試なら偏差値60で10人にひとりくらい)それを鼻にかけていた俺が大学ではなく専門学校に決まったことで、それまで低偏差値と揶揄されていた地方私立から新しい「いじめて良いもっと弱い奴」という標的にされてしまった。これ、入る前から分からなかったか?と問うと、それ以前が高卒バイトに一度なっていたので、それよりはマシかなと思ったら、やってみて精神的にかなりきつかった。
だけど、その頑張りの分だけ就職は派遣でも氷河期世代では「ある方」だったけど、これも今考えると成績とか頑張りではなくたまたま選んだコンピュータ関係という業種が「当たり」だっただけの話。就職の「ある・なし」であったから当たりという話で、決してそれが良い仕事かどうかという判断で「当たり」と言えるかまでは分からないけど。
つまりバイトして専門学校行ってまたバイトして派遣で勤めて病気になって厚生年金もらって病気とは言え年金と親の健康長寿で40代で生活費があって時間的に自由という事で、問題なくなってから、問題なく退屈な生活の中でひとつずつの悩みをつぶして、変えられることをひとつずつ変えていく中に学歴という壁が今も自分の中なのか周囲からの圧なのか、それくらいしか突くところが無いのかというと、俺個人としてはゲームクリエイターとしてとかミュージシャンとしての大成を願っていて、そのためにすべきことを探しながらも、出来ない事を直接指摘するのではなく、全体的な出来の悪さの悩みに対して漠然と「大学に行ってないからだよ」とこう来られると辛い。
趣味のひとつである格闘ゲームについても東大卒プロゲーマー「ときど」の登場以前は高卒でも理論派で話の通る方だったけど、まああれだけ結果を出す人が出てくるとゲーマー界隈にも大卒神話が浸透してきた。それはある意味では公平で、大卒が大卒というだけで重宝されるのではなく、結果を伴なって重要視されているわけだから、ゲームという何の役にも立たないものが社会において少なくとも競技としての公平性があるという注目を集めるに際し「ときど」は一役買ったし、そしてまたそれが倒されることであの世界はちょっと変化したと思う。俺は意見が通せなくなった以上に会社を辞めたことで新機種に買い替えたりゲーセンでジャラジャラやる金が惜しくなって辞めた側面もあるが、旧機種でもまだ現役で相手のいるゲームに打ち込めるかというと、根負けした感はある。「ときど」ですら東大で知力で勝っているかというと、ガッツを主張している、そういう世界だからだ。
ガッツが足りないのは分かるから、そいうことを読者に説明して甘えても仕方がないとは思うけど、統合失調症ってそういう病気なのよ。入院した時に看護婦さんに「背が高いわね、何食べたらそんなになるの?」「やっぱ牛乳ですかね」「そんなの給食でみんな飲んでるじゃない」「そんなもんじゃないですよ、お風呂上がりに紙パック1リットルとか」「うそん」「ホントですって」「うそん」「いやいや」「うそでしょ」「はは、まあ信じられないのも分かります」他の看護婦さんに「あの病気の人ってみんなそうよね」
という風に押し問答に意地を張って言い勝とうとか、そういう気力がもう既に無く人間関係にいくら言っても無駄だというように事が始まる前からあきらめている節がある。
音楽に関しては演奏の練習と芸能人への憧れと、そしてそうなら演奏の練習をやめてカラオケを良い音源で流して歌の練習をすれば良いのではないかという案に対して、そんなことを認めてしまったら当てぶりの歌手と演奏家をないまぜにして出来上がった偶像崇拝を自ら壊すことになりながら、自分自身が新たに偶像としての秘密保持をしなくてはいけなくなるということに少し恐怖を感じてそこに踏み込めていません。
普通に「歌うまい」と「大学偉い」だけで自慢として事足りる平易な視聴者ばかりになるとネットメディアとテレビ局の垣根もほとんど無くなるというのはあくまで高齢マス層だけであって、今の若者は反対に大学全入時代でスマホで遊んでないでそこから何かを学び取って自分で仕事セにゃならんわけだから、いまこそいい加減な記事ではなく若者が学び取るに値するものを書かなくてはと、いざ意気込んだところで、さて今時の大学生は大学でどんな事を習ってて、おいちゃんに教えて欲しい事なんてあるかね?
しかしその論で持って小馬鹿にしたいわゆる「高齢マス層」のその高齢者には音楽業界を裏から支えた楽隊の高齢者だっているわけで、その点はウチの姉とかだと「コンピュータに音楽なんて満州にやらせておけばいい仕事なのよ」とこう来るわけだから、そりゃその争点が平等公平になるのも我が事のように身に染みます。
ただ、最初に書いたように俺は親同居で親の仕事は大家さんと自営業と老齢年金、俺の仕事はニートの趣味に毛が生えたものと厚生年金。何すりゃいいか自分でもメシの間にある時間をどうつぶすかと、どれくらい違うのかと。ゲームの退廃から中立くらいまでは来たけど建設的とか生産的なことは何ひとつ出来ていないとは思ってます。
