プログラムと認知心理学のすり合わせ

 プログラムってどうすれば書けるんですか?という漠然とした質問に対して、まず目の前にソフトウェア課題があるかというのがある。

 何かをしたい時にそれが計算で出来る問題に転化できるかということである。

 そうして、それが計算で出来るなら、頭の計算をコードに書き直す。計算で出来ない事は基本的にプログラムにはならない。

 だからTRIZのように課題に対する解決例を無数に学ぶということが大学教育や競プロ例題で行われているが、俺の通った専門学校ではまずノートとフロー定規でフローチャートを書くのに1時間くらいが割り振られ、実習室でパソコンも1時間とこういうペースだった。

 奈良学園から来た俺と高専卒の谷周太朗と短大卒の高順愛は5分ほどで課題を終わらせて紙パックのジュースを飲んで話したりしていたが、細くんなどはいつも時間いっぱいで最後に先生が付きっ切りになって課題を終わらせていた。

 そうすると、もし仕事になったら成果単価なら5分で終わらせる俺の方が早くて良い事になるが、もともと値段の付かないソフトというものを工数という単位に換算して時間給とか月給でもって換金する労働者の側に立てば同じ仕事を5分ではなく1時間でするほうが仕事の単価が高い事になり、日本のソフト業界はその商習慣に則りエリートは設計と称して仕様を書いて工場にFAXや昨今なら電子メールしてサボりたい放題、受けてコードを書くのは仕事の遅い人にさせた方が儲かるという体制が敷かれていた。

 俺はその業界に疑問を抱き、革命を企てたが、そういう商習慣はソフトに限らず日本のお役所にぶら下がっている業種は多かれ少なかれ軒並みそうで、ソフト業界での俺の頑張りより橋下徹の大阪改革の方が有名であろう。「公金ジャバジャバ垂れ流して赤字ばかり出さないで役所も赤字会社の社員だと思って仕事しろ」とこう来たわけだ。

 だが最近俺も仕事が無く、何でなくなったかというとお役所体質から民業体質になったからで、そもそも公金とは何であるかというと税金で、何で税金が取られるかというと政治という仕事が集団で利益を得る楽な仕事であるからで、公務員足るには楽して儲けることを考える悪人であってこそではないかと疑問を抱いている。

 そうして、仕事を真面目ににやるとして、ソフトウェア課題を考えると、真っ先に思いつくのがポナンザ山本一成率いるチューリング社の自動車自動運転である。

 自動運転の事業を始める前にポナ本は将棋大会に勝って実力を示し、そして俺も将棋大会には出たが成績は下から三番目で、とりあえずソフトウェア課題に挑む前に競プロにも出てみたりして、恥ずかしい言葉だがスキルアップにも励んでみた。だから教わるならもっと上の事を教わりたいと思う人には不満な内容かもだが、近代日本の商習慣に則るなら、ガンガン勉強してサッと組み上げられる既存のソフトロジックではなく未踏のソフト課題を解決するのが本当に有益な仕事であるならば、その「やり方」は現在誰にも分からないから課題なのであって、従ってそれに当てられるのは売買益ではなく未来投資なわけだから、成果単価がその業態にふさわしいかは別の議論である。

 新しいプログラムロジックが出てくると、人間もそう考えて動けばよいという認知心理学という学問領域がある。だから、プログラムを書くというのはその逆算であるわけで、俺はこう考えてこの仕事をするという認知に基づいてフローを書くのである。

 当然、誰しもが「何となく」出来てしまうことを掘り下げると、医学領域に踏み込む。その意味でファミッ子だった俺はゲームを解く過程で考えたことがそのままロジックとなるので、ゲーム機普及率40%超という現代において、ゲームを解くと言う事が課題解決の一歩であることは、先端の研究が今一番強い将棋ソフトに勝つことから始まっていることも併せて書いておきたい。

 かといって、奈良県大和郡山市の文具店の屋根裏でPS2で遊ぶ俺を見て「仕事をしている」と考える人は皆無である。研究職とはそういう側面があるかもしれないし、俺が間違っているだけかもしれないが、ソフトウェア課題が難問すぎると、少なくともそこに向かって近づこうとする「アプローチ」というところから始めるしかない。

 将棋も当然しなくてはならないが、グランツーリスモかクルマに乗っての買い物の方が良いのかもなぁ、くらいには思い始めています。


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