日本の学問には国学と蘭学があると思うのだが、国学が国学たる以前には遣唐使をはじめとする漢学の渡来があり、それが十分に国に馴染んでから蘭学が入って来ているので蘭学の方が日本に入って来てからの年月としては短いわけだが、さて漢学と蘭学がどのように起こり互いに交流するところはあるのかとか、色々知ろうとしても日本の義務教育では国語、算数、理科、社会として教わるところではそこまでリーチしない。
このへん、俺が高校の時の倫理の教科書の1ページ目はソクラテスの無知の知だったわけだが、何となく買ったマンガ表紙の哲学の本はタレスから始まっている。グラビアアイドル壇蜜さんの大学時代には「ソフィーの話」という長編の哲学の本を学んだらしいが、他にも漫画家の原田マハさんが「美術の物語」で勉強した話など、男性として卒業後役に立ちそうな工学などを学ぼうとした俺より、女子大生のほうが楽しそうなことやっているなぁ、と思ったのは、まあ置いておいて、哲学とか美術をもっとやって芸能人になったわけだから、それはそれでメシが食えているわけで、やる前から「それでどうやってメシにする?」という難問を叩きつけて勉強そのものを否定された時期はあったなぁと。ちょうどNHKの朝ドラの「あんぱん」の柳井崇さんもマンガの道を押してくれるパートナーとの話ですからね。
んで最近まで化学のおさらいをしていたわけですが、哲学もミレトス学派で紀元全600年頃というのを考えると、年表的には世界史の四大文明とかの方が先にあるわけで、俺の好きな「魔術」とかは中学校時代に受験の邪魔になると親に焚書された事があるのですが、これが一度や二度ではなく小学校の時にも遊んでいたファミコンの女神転生を親戚の兄ちゃんに取り上げられたあの事件も、姉が気持ち悪がっていた「邪教の館」とかのゲームを親戚のお兄ちゃんを使ってどうにかしてもらったのかも、など。
そしていつしか俺自身も「真面目に勉強しよう」と思って医書を買って、古本屋に大事にしていた「ウィザードリィのすべて」を引き取ってもらってお小遣いにするなどしたこともあるのですが、ふと、もう書いたけど魔術のほうが哲学より化学より起源を辿れば根のしっかりした学問であるかも知れず、秘術は秘術として眠りながら、明かされた部分で論理的客観的実証的に再現可能なものだけが科学として伝わっており、実証できないものは無いとするのも何処か危険というか甘い気がして、かといって新紀元社などの如何わしい本以外にどうやって魔術を自習しようかというと、だから東京大学やハーバード大学よりもオクスフォード大学にはそれはそれで歴史があるわけで、英国に行って魔術を学んで日本でニンニンジャーになる道をあきらめた俺としては今人生全部を振り返って本当にしたいことを出来ているか悩み直しの時期に入っているのです。
まあ、魔術を焚書されたのに何故かゲーメストを読んでゲームする分には「したいことをしとる」とお咎めなしだった俺はいつしか自身をゲーマーと称し、趣味の魔術を取り上げられてゲームしていた中でも対戦型のストリートファイターIIに特にハマったのは、アレが近代日本の「デジタルこっくりさん」とでもいうか、台を挟んで見ず知らずの二人が100円を投じ合ってデジタル式でレバーを動かすと画面のキャラが動くのを操り合う、とても如何わしい遊びだったと思うんですよね。
魔術は魔術の姿をせずに、ゲーセンゲームの対戦という形で現代にもその技は続いており、そしてその歴史は科学や哲学より根深いものがある。ファミコンでもテクモの「ソロモンの鍵」とかあるやん、まあオカルトの題材として古来の魔術師の名を使うのは中世での常套手段だったらしいけど、それが現代てか近代でも行われているわけ。
知育玩具というか、国語、算数、理科、社会以外にゲームでパズルを解いた独特の頭の良さの生徒が周りにいたのを思い出すんだよね。
まあファミコンの頃からそれは続いていたのだろうけど、特にこのブログは俺が中学の時に出たストリートファイターIIの改変版であるストIIターボのダイヤグラムが一番人気になってしまっているので曰くゲーメスト学派。石井ぜんじ編集長のその後のご活躍でSTGの名作グラディウスが触れられるのも、同氏がアーケード専門誌としてゲーメスト誌を刊行した以前のゲームまで遡って執筆されていることなど、興味アリです。
ただ、興味のあるもん全部取り寄せられるアマゾンでお買い上げのこの時代、自分の興味をどうにか遮断して制御しないと部屋もお小遣いも大変なことになりますので、まあ目下タレスの時代のミレトス学派が出来た時代に彼らが学んだ書物に興味を持ったり、とはいえルーン文字くらいなら今家にある本でも辛うじて音読みくらいは出来るんだけど、実物読解となるとそりゃもう何から手を付けたらって、それがただの現代娯楽のゲームの題材として消費されるものではなく、学ぶに値する深いものではないかと。
とはいえココは日本なので、新紀元社は胡散臭いけど、そういうカストリ雑誌レベルのものから取り寄せようとしてしまうのは少し安直か。雑誌の定期購読でライターが自分に向けて書いて送って来るのを待つのではなく、もうちょっと自分から取材を取りに行く姿勢を持ってして、まあ大体色々読んだと思って最近行かない図書館とか、巡ることも無くなった古本屋とか、何を手掛かりにって、もうこの記事に全部書いたけど自分の興味のあるもん焚書されたってのがトラウマになってあの手のものは如何わしいという家族の思念がそれはそれで守護霊として俺を守ってくれているのかもしれんが「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」を掛け合わせるとハドソンのチャレンジャーで骸骨が左に言った瞬間なら洞窟にスッと入れるみたいなゲームから学んだことをいついかなる時に何を相手取って使って目的を達成するのかというと、そういやそういう題材を映画にしたインディジョーンズが趣味だったけど、そうあの手の趣味自体も焚書問題で何処かに忘れ去ったよな。やっと思い出したわ子供時代のワクワク。
二階の客間のテーブルの下のダンボールに隠してあったモンスターの本がいつの間にか無い!「無い!」と言いだしたものの親には隠していたものだし、親父か御袋か爺さんか婆さんか姉かはたまた弟か。今でもあの時代に読みたかった本に心を奪われたまま未消化となっているもの、現物以上に隠されたトラウマで自身の子供時代の記憶の一部も欠落してしまって、とうとう自分に思いだせない領域が出来てしまう。
右耳の難聴とか、中学の担任が指摘した学習障害とか、そう言われるとそうな気がする記憶障害が、これ全部治って何になるかというと、子供時代に勉強部屋に勉強しなさいって閉じ込められて親がすりガラスから見たら見える位置に学校の制服を使って案山子を作ってそっと友達と虫取りや秘密基地に出かけた、あの頃の悪ガキに今更戻って何しようってんだ?
家で勉強させられる本が全部科学でどのみち家にあるテレビか飛行機かクルマか家電になるくらいの事なんでしょっていう子供時代の学問の閉塞感みたいなことよりは、美術とか哲学とかの方が奥が深そうだったって話だと思うんですよね。
恐竜とかも好きだったらしいんだよね。ちょっとは覚えてるけど何だったのか。何か子供の頃に遊んだゲームも得てしてそういうものだったかもだけど、自分と年が近いとかもっと若いクリエイターの作るゲームをしても商業的に脚色された子供だましのミステリーというか、謎は謎でも作られた謎なんでしょみたいに斜に構えてる。
そういうとミレトス学派のいた時代の書物も書家の手によって書かれたものであることは同じなんだけど、それが一体何から起こって何がどう伝わってギリシャ建国に至ったのかとかはスゲー興味あるよな。
