離脱症状の改善を試みる

 俺のブログは始めた当初は「物欲ブログ」であったわけだが、最近「我慢ブログ」になっている。それは境遇の変化で派遣社員とはいえ月給制で給料が入って来て、欲しいものをポンポン買うその生活は日本の消費社会のサイクルを回す意味では良い消費者だが、その消費者像はITバブルと言われITじゃないバブルのあった80年代と同等の収入を得られているのはITだけで、氷河期世代の同年代とはズレている。

 しかし氷河期世代と言っても子供時代にスーパーファミコンプレイステーションで遊んだという人も結構いて、不幸かというと仕事はないけど家でゲームしてそこそこ楽しいという方面から見ると、欲しいゲームを吟味せず、なんとなく買ってちょっと遊んでブックオフに売るような消費行動が信じられず、もっと1本に向き合うべきだという批判は寄せられていた。これは仕事とのトレードオフになる部分があり、氷河期で就職していないから分からないので、派遣社員はそれはそれで結構忙しかった。

 忙しさの合間を縫って享楽的にゲームをするのではなく、それでも1本を辛抱強く遊んでそうすると収入はそのままに貯金出来たら理想だが、現実にはストレスで会社を辞めることとなり、仕事仲間や飲み仲間とは新作などの話題に入れなくなり、何がしたくてそうなったのというと、たくさんいるはずの氷河期同年代との意思疎通がしたくて。

 んで俺は病院で精神病の診断を受けてお薬を飲んでいるが、時々出る症状とゲーム依存の離脱症状とされるものが非常に似ており、今更やけどそれもあるだろとは思う。ゲームの新作が出てみんなでゲーセンに集まってキャッキャと騒いで皆笑顔で遊んでいる。そして繁華街で美味しい外食をして時にはビールも飲んで、終電で帰っていたのが賃貸マンションで大阪市内に歩いて帰れるようになっていた20代。

 ただその時と同じゲームが家庭用ゲーム機で遊べても、何もかもが違う。地元の陰鬱さが嫌だ。駄ゲーのおばちゃんなどは自分で食事を作る理由が外食が美味しくないからで「外で食べておいしいかぁ?」と少し話したことがあったが、昔の奈良は「奈良にうまいもんなし」で名物が奈良漬けと柿の葉寿司と彩華ラーメンまたは天理スタミナラーメンで、ファミレスとかサイゼリヤとか王将とかラーメン屋とかいっぱい出来ておいしくなったと思うけど、そういうフランチャイズとかチェーンの飲食店が来る前の奈良の外食というと何か暗くておいしくない店が多かったのも、まあそうだとは思う。

 地元の暴走族と格ゲーでモンテ遠征して、梅田で赤玉ラーメンを食った時は皆替え玉を頼んでうまそうに食っていた。あの頃からしたら、奈良にも国道沿いにラーメン屋が出来て、クルマで近くでラーメン食えて家でプレステでゲームできれば同じと言えば同じなのかもしれない。

 ただまあ、俺はKOFとカプエス2のNグルーヴの違いにうるさい男であったが、たったの600円で買えるPS2のKOF2000をそれも節約と辛抱して、カプエス2をNグルーヴで遊んでみた。ジョー東がやりたいなら、カプエス2にもジョーはいる。

 読まされる方も嫌かもしれないが、辛抱していると不平が出る。それに対して大阪で付き合っていると、みな財産が無くて宵越しの銭は持たないタイプでも満足していて笑顔が出るものだった。その分、仕事をしている。氷河期とか全国統計的には正社員は少ないかもだが、大阪ミナミは繁華街でアルバイトが幾らでもある。安くてキツいが、皆それをこなしてゲームも遊んで美味しいものを食って寝る。社会が違う。

 それでも地元の奈良にとどまるのは何故かというと、しんどい仕事ではなく客の来ない店で待つくらいの仕事で権利収入があり、待つのが仕事みたいな空気があって、待つのに慣れると動くのがしんどくなってしまったからだ。

 奈良でお金を使ってしまうと、大阪みたいにまた働けば入って来るということはなく、仕事を探すのも大変だし、待って入って来る権利収入は額が決まているわけだから、使えば使った分は減ることになる。我慢していると増える。かなり単純計算だ。

 そうしても、別に氷河期世代の輪が出来たり、地域の輪に入れたししたわけではない。ただ孤独が増し、かつて誰かと仲良く遊んだことのあるゲームを懐かしむだけ。

 何が楽しくて何が悲しくてやっているかというと、中毒のようなもので、それそのものの快感が脳裏に焼き付いているから、類似のものでは満たされなかったりする。じゃあどうしてそれがそんなに快感をして焼き付いているかというと、100円玉賭けて繁華街でワイワイ言いながら遊んだ記憶があるからと思われ、同じゲームでも家庭用でやっている人はそんなに面白くないけど買ってしまったから趣味として競争として、辛抱強くしぶとくやっていて、楽しむよりは勝ちに重きを置き、その価値はゲーセンで100円を払い合って派手に勝ったの負けたのではなく、ゲーセンでもお金の方が大事で100円こっきりで1回勝ったら「勝った」でもうしないとか、そんな感じなんだ。

 それでも付き合いがあるのは勝った方だから「強いね」って話になるからで、そこで1回こっきりのゲームに負けて、もう1回やるには100円が勿体ないという感性のほうが最大多数派なのかもしれない。「100円くらいで?3000円くらい賭けて勝つまで突っかかってみたらどうやねん?」と凄んでしまったことがあるが、これは完全にITバブルの3000円と氷河期世代の100円の差が分かっていなかった発言。

 可処分所得の問題で、月給15万で回っている生活があるとすると、16万で小遣い1万円で22万で家賃が同じなら小遣い7万円と言う事になる。3000円が払えるのは可処分所得がもっとあったからで、1万円も無いところから100円出すのはそれはそれで惜しい気持ちも分かるようになったつもりだ。

 どうやったら、地方というか古都という人もいるけど、奈良の経済が回ってゲームをする余裕が出来るか。そりゃ客がなけなしの100円を払ってゲーセン店員がクルマに乗ってレグザのテレビで最新型のプレステで鉄拳という生活を知っていたら、何故にゲーセンの旧型機に100円を投じなければならないかという不満は出るだろう。

 その意味で大阪というと副都市で良い仕事に就ける人もいて、比較的にゲーセンバイトは貧しく、100円の扱いは軽い。

 まあ、俺も奈良という大きな括りで語れるほど自県の事を知り尽くしているわけではないが、何か大阪のワイガヤ楽しいのと奈良のゲーセンって空気感から何から何まで違っていて、ゲーム機が同じでも流行り具合も全然違って、何でなのかってのをゲームソフトの出来映え点とかで評価するのではなく、地理的要因とか心理学的な県民性の問題とか、そっちから切り込んだ方が変わるんじゃないかと思っている。もちろん経済学的な要因もあると思う。

 てか大学の立地が学生の風紀に影響を与えていて、そこで学問をする以前に土地柄の影響を受けていることに無自覚で、東大阪のコンピュータ専門学校しか出てない奴が何を偉そうにと思われるかも知れないが、幾つかの都市でゲーセンに住み着くくらいの勢いで遊んでいたゲーセンを取り巻く街の風景の比較をした感想として、書いておきたかった。京都は京都で、町に馴染めない人の収容施設みたいにゲーセンが広くて中に飲食店まである異空間として存在してたけど、そのA店も閉店したし、比べてるのが大阪のミナミとキタと奈良市内と奈良北部の小型地方ゲーセンくらいだから、もっと広域的な比較をすると見え方も違うかもだけど、生で見てきた息遣いが見えるような文章が書けているかどうかはそれも自信はなく。

 ゲームの離脱症状はブログを書いていたら収まっているように思うけど、スマホ依存みたいな新しい病気が出て来るように俺もブログ依存、タイピングしていると収まるけど現実問題としては引きこもり同然で部屋で悶々とゲームをしていてどうしようもない現実があることも書き加えて置きたく。


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