モノを書くモチベが無くなった、じゃあ書くなという話ですが、日課にしようと以前に決めたことがあって、今も惰性で机のノートパソコンに向かってつい「書くこと」を考えてしまうのですが。
書物に名を残したいとか、物事を学ぶ起こりが書を読むことから入るから書く側になったら自由になるとか支配的になれるとか、そういうよこしまではなく、ただ生きて学んだことを後世に伝えたいとか、誰かに何かを訴えたいとか、このあたりが書く同期の根底にあったんじゃないかと思います。
それらが全部というわけではないけど、自分基準で「もういいかな」と思う所まで満たされて、そして同時に書いて伝える前に学ぶべきことがあるとも思い直しましたし、それでも日課だからと書き続けたことで、最初はコンピュータの専門学校で学科は良くてもワープロに実技が遅く、皆がパチパチと打ち込むのにポチポチポチと打っていた頃にプログラムというとじっくり考えてから実習というサイクルで、息を吸って吐くようにプログラムが打てるにはまずタイピングがいると思って練習に日記から始めたというような経緯もあります。
まあ、十分にタイピングは速くなったので、その点についてはコンプリートですが、じゃあ肝心かなめのプログラムとして何を書くというところで、コンピュータの利用法としてシーケンシャルに手続きをどんどん記入するのではなく、ループを組んで放っておいたら片付くように仕組みを考えて、そうですプログラマとして打鍵し続けたいわけではなく放っておきたくなったというのはありますよね。
この辺の思想として、将棋ソフトなどはN手読みを再帰で放っておくだけで良いように組みましたが、自分の1台のパソコンを将棋の計算のために使わずに(というか計算だけに使う)潰すかのようにしてしまうのは勿体ないと言う事で保留中です。
んでオートメーションが出来たのに結局は使わないとなると何のために使うのかということで日課であるブログだけが続き、これも広告を貼って放っておくだけでお金が入って来るように出来たのは良いのですが、過去ログだけで放っておくよりは俺の描く毎日の日記が新記事として続く方が実入りは良く、といっても少額だから何の足しにもならないのですが、手慰みに続けているという所存です。
まあ、今日訴えたいのはそんだけの事です。格闘ゲームも将棋も段々と興味薄くなりましたね。もともとそれしか特技が無いと自分で強く思い込み、そんでお客を釣るのに不利なキャラで煽って勝っていたはずが、いつの間にかチャンピオンになり、マイキャラはこれと決めたのが弱キャラであるがゆえにどうして勝つか思索は深くなったのですが、勝てない取り組みは腕のせいではなくキャラ差のせいで、勝てなかった相手にも適切に有利なキャラを使って持論通りにプレイすれば、歩合程度に勝てるというところの正論に沿うことで、深い悩みは解消され、それ以上の重箱の隅を楊枝でほじくるようなちょっとしたバグ技とか、そういうことへの関心も低くなりました。
どうやって客を釣るか考えなくなったのも、当面暮らす蓄えが出来たからです。
そうするとプログラムや情報システムについても、というかこのブログ自体も情報システムなのですが、プログラマやシステムエンジニアの事業者としての関りより、こうして毎日ブログ書くだけのユーザーとしての利用に重きを置いています。システムがシステムとしてあるのを忘れて、書いたものが他の読者に届くその仕組みに強く依存しているとは思います。
それで復職するなら、プログラマとして枝葉の事をするのではなく、従事者であった頃は自分の仕事こそ幹だと思っていましたが、有体に言ってもっと上位の偉い仕事で年相応に頑張りたいと、システム開発やマネジメントにも興味を持つようになりました。
幹か枝葉かというと、葉が光合成して幹を作るわけで、植物のような成長システムとしてのブログはこうして毎日記事を書くわけで膨れて行くわけですが、当然そうなるとクラウドストレージのような保存場所をどうするかという問題に直面して、ネットってどんどん成長しているその裏にはサーバの増設が並行して行われているからで、技術の進歩で誰にも埋め尽くせない大容量システムが出来るのが先か、リソースを全部他愛のない日常で食いつくしてしまうのかのせめぎあいは今も進行していると思います。
旧式のPCユーザーからするとデジタルビデオカメラで自撮りを取って光や無線で交信するのって、途方もないメモリの無駄遣いだったわけですが、今はそれも主流の使い方なわけで、同じテクノロジーの延長でも扱い方の違いでこうも変わるかと思いますよね。現場からは以上です。
