トルネコの大冒険3アドバンス異世界136回目

 トルネコの大冒険3アドバンス異世界136回目に挑んでみた。

 結果から書くと6階でアイテムが満杯となり、整理と識別を兼ねて7階への階段の上で巻物を順番に読んでいると「捨て身の巻き物」で爆発して体力僅かとなって、回復を試みたらドラキーが走って来て殴られて倒された。

 やばくなってから助かる方法を考えるのではなく、次回は巻物の識別をもうちょっとマシな方法で出来ないか、5階に店があったのでせめて全巻物の値段を識別しておけば、それからヤバい巻物の値段を覚えて何とか出来るかも。

 ただ、狭い店でのアイテム鑑定はそれはそれで事故死の可能性があるのだが、乗り越えないともっと深い階には行けない事も併せて考えると、店で事故らないように慎重に識別するスキルもいるだろう。暇なのかというと、今日も30分ほど遊んだだけで何十年も通しで136回だから年数回とか数か月に1回、というかハマって数十回遊んであきて、時々思い出してするくらいなのだが。

 不思議のダンジョンに限らずローグライクで括って最も難しいとされるトルネコ異世界をフェイの最終問題も解けなかった俺がいきなり解けるのかという問題はあれ、いま手元にあるのでやってみている。ネットで情報収集をしても知識、経験、機転、運すべて揃わないといけない上に数十時間かかることもあるらしく、ワンミスで死ぬゲームであることを考えると、数十時間ケアレスミスなしってちょっと非現実的で、動画でRTAとか解いた動画がアップされているのが無改造であるとも信じがたい。

 それでもだ、6階でドラキーで頓死はねぇだろうという自己評価もある。巻物の件で仕方なかったとはいえ、麻雀の役満成立確率が1000局に1回ということで、3DSの麻雀を役満2回上がるまで遊んで暇なのかとか麻雀友達おらんのかとか思われるかもだが、賭場で打って損しながらインチキじゃないかと罠にハマりに行くよりは3DSで遊んだら勝っても金にはならんが負けても金は要らないからと、そっちを選んで来た。

 という風に、小遣いをケチって新しいゲームが欲しくなっても家探しして家のどっかに仕舞い込んであるゲームを引っ張り出して遊ぶようにするということを最近してる。

 しかし今日はまず巻物の値段を覚えようかとリストアップされた攻略本を見て、巻物のページの厚みに負けた。あるんかい、攻略本!と思われるかもだが、異世界20階で諦めかかった時にネットで古本で安く上下巻を揃えて読んでみて異世界20回以降はそこまで行ってのお楽しみというファミコンの頃から攻略本のお約束みたく終わっていた。

 そのときは「騙された」と思って、攻略本は仕舞い込んだが、巻物リストがあるということは店での価格鑑定は出来ると言う事だし、だいたい異世界20階も136回潜って1回のまぐれなので、異世界20階まぐれ無しくらいまでもし上達するのなら、そこから21階を目指せるようになるわけで。

 まあ巻物リストほどの価値もないブログ記事を読ませてしまっていることは恐縮ですが、役に立つ情報というのはなかなか手に入らないようで、仕舞い込んでいた古本の巻物リストのページにも俺の知らない事が、それも店売り価格という客観的な数値データが眠っていたことを考えると、それをヒントに今度は挑んで都合よく大量の巻き物と店が出現するか。いや巻物と店はほぼ確実に何処かの階で出現するだろうけど。

 とりま今日のスクショ。

 まず1階から2階までの間にすぐ降りずレベル3まで上げるのがひとつ目のコツ。写真は2階から3階への階段でレベル4の図。この時点でこうならない冒険は大抵失敗する。

 そして結果図。この成績でも9位ということに驚いた。1位は18階でミノタウロスに、2位が20階でスナイパーハウンドに倒されてしまったようだ。もう覚えてないし、リプレイも無い。得点で順位が出るので、回数こそ6階だが9位に位置していることを合わせて考えると、いままでで所持金とアイテムの総計が最も良い6階と言う事になる。そこが上達のバロメーターではあるよな。

 というか、何のためにこんなにヘボく見えるデータで記事を書いているかというと、トルネコの大冒険3や風来のシレンについて、昨今ではクリア出来る人の輪をSNSで見せてもらったりも出来るのだが、SFCGBAの流行期に「越した」などと言っていた奴等の大半はハッタリで、見抜けなかった自分が悔しくて気持ちのやり場が無いからだ。

 ただまあ、そこで「俺越したし」があると、優越感には浸れるのだが「俺は越せなかった」と「俺も越せなかった」と「彼奴らは越したと宣言して認められた」では全然違うわけで、まあPC版のローグ("Rogue")はまさにコピーとしてデータでネットでもらい、C言語ソースコードを改造してクリアした。

 クリアしてみて無改造で行けるとは到底思えなかったまま、技術者として35歳S社の下請けとしてスマホRPGに参画して、その後憧れのC社と面談まで進んだが「ファンの人はダメ」という理不尽な理由で突っぱねられた。面談で頂いた名刺の電話番号に翌朝9時に電話を入れたら受付のお姉さんが出たが、面談で会った人は出社していなかった。いまでもその場所がC社の事務所の住所として正しいか、ただ何処かの雑居ビルの一室に会社ロゴを飾って誰か知れない人と面談を組まれただけでは無いのか?という疑念はあるが、さすがに精神病院案件らしい。

 当時の疑問のひとつはトルネコ異世界がクリアできる・出来ないの線引きはプレイヤーの操作が正しい・間違っている如何によるものなのかで、昨今の回答は「運もいる」であること。麻雀で考えると、正しい手順で牌を切っても役満どころか上がりにもならないことがある(流局という)とは言え、自分でキャラを操作するRPGゲームがそんなルールに則っているというのを、もしもっと早く面談の前に知っていたら、そういう無責任体質のゲームメーカーに強く憧れて技師としてのキャリアを積むことも無かっただろうなと思う。

 それから時は流れ、そうであろうとも、もうちょっと良い成績を目指したプレイのコツはあるだろうし、挑戦として諦めてはいけないと思いとどまるのであった。

 ゲーム開発も単調なプログラミング作業はあるし、辛抱もいる。なら勝てるゲームなら痛快で面白いかというと、今まで色々なゲームで遊びすぎて大抵の勝ちに飽きている。そしてわざわざ難しいゲームそれも解けない事がほぼ前提のゲームに挑んでフラストレーションをためている。

 それでもやるのは「もしデバッガなら」発売前に通る道で、工程の一部として経験せねばならないと思っているから。だろうか。

 「なにやってんだろうな、俺」と「どうしてこうなった」の背中を見るイメージ。

 というか、俺は多くのゲームをクリアしてきたが、そんなに暇ではない多くの人のゲーム体験にはクリア出来た人とそうでない人に割って、クリア出来なかった人への共感はこんな感じで今はじめて共感すろことが出来ているのでは無いかと思ってんだ。

 「ドラクエツーなんか楽勝やん!」という小学生に何人かの大人が「難しいんやぞ!」「ウソツキが!」と嫌悪の表情を浮かべてきたが、その心境が俺がブログの中ほどで書いた「越した!」と言っていた奴等がいたが本当だろうか?というフラストレーションとまさに共感できる心境だったのでは無いだろうか?いやホントに俺小学校でドラクエII解いたのよ?でもそれ誰が信じてくれるんだろうな。

 しかし、共感できたとしてこの心境は下品な言い方をすると「胸糞が悪い」なので、それならもうちょっとすっきりした心境をゲームを越したら得られることも俺は過去の記憶を辿れば知っていたはずなんだ。

 その上で、本当に解けるゲームなのかというと、運も必要で数十時間ケアレスミスなし。普通の挑戦では無いだろうという覚悟は必要で、一旦トライは中断してこの駄文を書き散らかしているのであった。


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