トルネコの大冒険3ADV(実りある異世界141回目)

 141回目。今回はグレイトソードを取れた点が強運だが、インパスの巻き物を壺に読んでインパスの壺、巻物と草を壺ふたつで12種も識別できたが、不明の壺を保存か合成だろうとバクチでグレイトソードを突っ込み効果が分からないまま部屋の角に投げたら爆発するというクリティカルな状況を何とか凌いで10階まで生き延びた。

 パンにも恵まれなかったが、あの爆発事件が無ければもう少し深く潜れて、そうしたならパンに恵まれる確率も少しは上がるので、最善を尽くしたとは言えない爆発だったが、善後策としてのフォローは色々と完璧で納得の行った141回目であった。

 だいたい、今までよくラリホーアントとかで死んでいたので前回13階、今回10階とまあ、アベレージ的には良くなってきている(1階で死ぬこともたまにはあるが)

 トルネコのピンチには頭を使うのだが、ゲーム特有の不思議なアイテム群を使ったパズルを解くような感じで、この思考によって得たものが現実に何か役に立つかは疑わしい。だが楽しくて頭の刺激にもなって、ハマる人の気持ちにも共感出来て良いこと尽くしかもしれない。まあその道を極めんとする人と比べたら負けていて、そこが癪に感じてきたことはあるが、それは俺の性格の難であって上手く進める人への敬意を忘れないようにして負けを恥じなければ、昨日の俺より今日の俺の方が上手いというサイクルにハマれてまた出来る。忍耐力が必要だと思っていたが、楽しくて忍耐という感じでも無くなって来ている。

 もうひとつ「今回はパンに恵まれず」のあとレベル上げして空腹で死ぬか、先を行くかの判断が満腹度をチェックしながら計画的に進めたのが善戦だったとは思っている。

 俺はストIIXのチャンプではあるが、高校生で国技館’93で25歳で米チャンプのその間の10年に他の同種のゲームを色々やって勝ち負けも今ほど明確に数えずに相当散財したし、どちらかというと褒められたことでもないという負い目を持っていた。

 それが同じことでも「すごいことやん」と言ってくれる人間関係の中にいてこそ気分が良く、トルネコも同好の士の間で遊べば楽しいわけだが、なかなか勝てない。そもそもが皆スイッチのシレン6に参戦している。その意味ではトルネコシレンシレン2、シレンGB2、トルネコ2、そしてこのトルネコ3と新作としては遊んで来たが、オマケダンジョンについて「オマケであるから用はない」としてきたものにどれほど対峙して来たかと言う事が、実はオマケはオマケではなくおまけにしかない要素がシナリオ面ではなくアイテム面でものすごく多い。

 そして隠しアイテムがあまりに多くデメリットを背負ってそれでも勝ったもののダンジョンを潜る反復深化で得た経験値にはかなり差があるが、先にも書いたようにそれはそれですごく賢い事だが現実世界で何かが変わるかというと、ただずっとダンジョンという人がほとんどで、俺がこうして毎日ダンジョンに挑めるようになる以前は仕事などもあり、何がその生活の財源なのか分からないようなシレンジャーも多かった。

 つまり、皆忙しさから上手く逃れて現実社会の隙間を見つけダンジョンに潜る用意の出来ている人ばかりなのである。これが賢くないわけがないと思うのだがどうだろう。

 中にはたまに会って話をしても新しいゲームの固有名詞が会話のほとんどで、最近どんなことがあったとか家族はどうという話が全く出来ず、それでも社会の隙間でどうにか生きていて、ますます謎は深まるのだが、そうそれこそまさに言葉にして「異世界

 オタオタしい業界にはそんな奴はたくさんいるし、俺のゲーム話も見る人から見たらそう見えるだろう。その先は大丈夫な方向なのか行った人の背中を見て付けているのは俺の方なのかもしれない。また業界の内部では他の趣味に移った人は逝っちまった人として語られがち。そういや捜索隊を呼べる作品とかもあるらしいね。


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