
だらだらと過ごしております。昼間っから風呂入ってスーパーのカツ丼食って休憩。
しかし、歯の染みが気になりだし、春ごろにブリッジ治療受けたのだけど、ブリッジで入っている金属と元の歯の間にコーラとかスポーツドリンクが染みてああいうのもう飲んじゃいけないと思うようになったけど、やっぱちょっと染みる感じがする。
だいたい歯を削って金属をはめ込み式で入れてんだから治療直後から違和感あったけど、定期検診に行って診てもらわないとダメなのかなぁと心配になるのは他の事がオール暇だから。
まあ俺の場合左上の歯が特に悪いのだけれど、最悪全部ダメになっても今時総入れ歯じゃなくて総入れ歯みたいなインプラントもあるらしいけど、そんな事になるのは一体何歳?朝の「あさイチ」に出てる博多華丸大吉の大吉さんインプラント受けたらしいけどね。ちょい上で50代くらいか。俺の歯3年持つかなぁ。歯は以前よりマメに磨いてんですけど、もう手遅れな感じがして。三食後歯磨き粉で磨くくらいやらないとダメなのかなぁ。寝る前か朝に歯磨き粉つけないで磨くくらいなんですけどね。酒飲んで寝てしまうこと多し。朝磨きでも持っていた時期あるんですけど、ブリッジの後はもっとデリケートにならなきゃなのに、治療してもらって安心して油断したかも。
暇して神経質になり過ぎてんのかもね。まだ寿命を意識しだすには早いけど、オーラルフレイルというか、口の健康寿命は元から危ぶまれていたことだし。
他にはSNSで昔の友達を本名で探しても誰も見つからなかったり明らかな同姓同名を見つけても、多分そうではなく騙りに見えたりで、いつでも会えると油断していた人にもう多分会えないのだろうなと思うようになるなど。1億2千万人の国ですもの。探すのが難しかったり、反対に目立つように公人として活動していても互いに連絡も取れなくなったり。
その意味ではSNSは便利だけど、友達関係組み替えツールみたく機能する部分もあって、来るもの拒まず去る者追わずでいると友達はまた出来るんだけど、古い友達に新しい別の友達が出来て行って古い関係がゆるやかに解消されてゆく様をコンピュータで視覚的に見られてゆくのが、これ社会実験としては面白いのだろうけど、乗り越えないといけない辛みになっていたり。
それは多分他の人も同じで、グループとしては似通っていて仲良さそうでも、細かく見ると同じゲームの同じメンツでも3ON3で組む人が変わっていたりする。音楽バンドも組み変わるし、ゲームプログラム同好会みたいなのの目指すゲーム像も変わる。
そういう俺もカプエス2やめてバーチャロンマーズやトルネコ3やってる様を他の人はどう見るか。「やっぱりゲーム」と見ればそうだし相変わらず歯の健康に難ありだけど、格闘ゲームからFPSやRPGに戻ってる。STGになれば元通りだがそこがFPSになってたりするんだよな。
けどまあ「相変わらずというか昔に戻ったようなミヤザワくん」であるとは思う。
歯の染みた感じはブログ書いている間におさまり、昔の持病だった肩こりがまた来た。けどいっとき「そろそろ老眼鏡がいる」と思っていた視力は気にならなくなった。メンタル面はそれはそれで快方に向かっていると思っていたのだが、体にガタが来る。
30代で精神病院に入院が決まった時には俺の人生の終わり早過ぎじゃね?くらいに思ったが、退院して15年くらいか。まあ良く生きたと思っている。今日もまだ夕方と夜がある。何かを成すには短い人生だが、何もしないには長すぎる人生、後者のためにテレビゲームは作られる。それをたっぷり遊ぶ人生に小さなことは細々と成したとも思っている。十分すぎる。
ただまあ「腹が減っては戦は出来ぬ」みたいな感じで何事にも先立って健康はいる。病気でもある程度薬とかが効いててしっかりした意識が無いと始まらない。
そうさな、歯医者さんに検診の予約入れてロキソニンでも飲んでみるか(染みる)
よし!予約スグ取ってもらえた!あとはブログ止めてロキソニン飲もう。
いや痛みを止めてまでしたいことというのが無いから無理に薬などのまず痛みと付き合おう見たいなのが満身創痍のそもそもの発端で、人は痛みを避けることを意識して初めて健康を求めるわけで、根本から死をそこまで恐れず「あー、ゲームオーバーなっちゃったね」みたく自分の人生すらゲーム画面のように俯瞰している人生であった。
やっぱ痛いのは辛いんよ。そこは治療してもらえるならそうすべきでそのために歯医者さんも日夜頑張っておられるわけだから頼れるのなら頼って、まあ歯磨きで予防できる人もいるだろうけど、ダメになっちゃうことも俺にはあるわけで。
んで「あー、痛い、死んで楽になりたい」みたいな思想も痛み止め飲めば痛みは和らいで、他のこと考えたり勉強したりゲームしたり本読んだりテレビ見たり出来るわけで。友達と遊んだり恋人とデートしたり街で買い物したりではなくインドアだから家でじっとしてるだけならバーチャルや読書より自身の痛みのがリアルだから、そこが基本になっちまうけど、自分にホイミくらい打てよと。薬草くらい使えよと。
スライムが出てこないとレベル上げられないゲームのしすぎで、のんびりしすぎ。
しかしまだロキソニンを飲まずに染みが痛みに変わって、そんな時になってから親や祖父母に植え付けられた辛抱強さで痛みに耐えている自分がいる。そうなる前の歯磨き習慣とか付かなかったし、ただ耐え忍ぶのではなく勉強を頑張り続ける忍耐も弱い。
やろうとして、成し遂げる力。これがちょっと弱いと思わねぇか?そゆとこだぞ!
やっぱ大目標、細分化、タスク管理、実行力、PCDAサイクルを回すべきか。そゆときになって「それでも人はいつか死ぬんだし」と普段はお布施も入れず祈りもしない仏教みたいな無を語る。
そういえばハンター倉敷組の「宝満寺」住職の息子「やっちゃん」について今村君が「やっちゃん慶応受かったんだってね!」と言っていたが、嘘も方便の創価日蓮の子もいるし、やっちゃんが大学に通うという話は聞かず住職を継いだ話は聞いたので、今村の性格の悪さから来た俺への悪戯だったろうとも思う。俺が大学ランクに悩む専門卒であったからだ。
ウソをついてのうのうと生きている人間がいる。それを許せない左のようでありながら、左も平気でうそをつく。ある時は寺は人の嘘を罰する。だがついていけないウソとついても良いウソがあるというのは、単に都合の良い使い分けで、簡単なウソが俺を大きく苛ませたことから思うに、彼が付いても良いウソだと思ったことは俺にとってはついてはいけないウソなのだ。
だが、大学に試験で合格することよりまず歯磨き習慣があって健康体であることが、内申点の基準である遅刻欠席なしにもつながるので、小学校の保健体育からも受験は実は始まっている。その意味では俺は学科以外の問題がかなり多かった。内申は進級させないと留学や浪人で学校の評判ごと落ちないように計算されて、同級生の一部は連帯責任を怖れていた。
それなのに、あの辛い進学校の日々も受験も知らないものに「受かったんだってね」と軽くからかわれることが腹立たしいのだが、当人もいない遠方で真偽も暴けず無力を感じる。なのに人の学歴をして平気で「アンタは通らん」となじる駄菓子屋(最近ではクリーニング屋)の婆さんなどもいる。母は隠し事を暴かれて霊感商法に引っかかる。
それもこれも、事の起こりには歯磨き習慣が付かなかったことがあり、他のお母さんに「みんなどうやって教えたの?」と聞くと「NHK教育のはみがき見せてただけよ」と言われ、小学校に上がってからそれを見せられているところを「あの子幼稚園の番組見てるんだよ」「はははっ」と笑われて拗ねて歯磨きに興味を持てなかったのもあると思うけど、うちの母親は俺が幼少の頃は歯ブラシを手に取って俺の歯を磨いてくれていたが、俺が歯磨き粉の味が嫌いで嫌がって、やがて虫歯になって歯医者さんに行った。
トルネコの大冒険ならレベル1にさえ戻ればまたダンジョンの1階から挑みなおせるわけで、そりゃ1000回も挑めば1回くらいクリアが出ると言われて1000回やり直せる人生って何だろうと考えると、ゲームの基本は反復深化で同じシチュエーションを何度も練習できる点が旨味であるシミュレーションゲーム(ちょっと意味がとりちがえられるかもだが、体感的な意味)であって、それをどうすれば良かったかは事後報告では一歩遅い。
やっぱり油断していて負けが明確になってから「あなたどうしたの?」というのがうちの母で「これからどうするか」はウチの家庭では父親の一存で、父も歯が悪く祖父も歯が悪く、普通の虫歯の治療が今の相場でインプラント並みに高い時代から歯医者にかかる家系なのである。だが姉と弟はその運命を断ち切り、家から出た。
まあ明日の歯科検診でどうなるかだなぁ。コーラは口にしないように気をつけるようにはなった。だが親父は事あるごとにマクドのテイクアウトを頼むと「お前コーラじゃなかったか?」と聞いて来て飲みたくなるのだが、親心で好きなものを覚えてくれてそういうのか虫歯の道連れにしたくて悪戯心で言ってくるのか懐疑的になった。
そういう人間不信が俺の人間関係の至る所に、他人のすすめは全て悪意ではないかという疑心暗鬼となって襲ってくる。悪意を断ることで人間関係が希薄になり、そしてSNSで新しい関係に期待する。しかしSNSで人に近寄ろうとする者の多くは仮面的であり攻撃的でもある。だが善意の輪もありそうに見えるのが、甘い罠なのか信じて良いものか。
甘い罠は文字通り味が甘くて砂糖が多くて虫歯の元のようで美味しいおやつのプレゼントのようなラッピングをされているのかもしれない。良薬、口に苦しだ。ほとんど無意味となった成句で頭が出来ているのは、小学校の時の勉強を中高で詰め直して刷新できていない証拠でもある。明らかに初等教育でいちど無駄なことを詰め込んで、高等教育で受験で足切りしてから、大学で良いことを教えている。
それを自身が大卒でないから、認めたくなかったのだ。専門学校でコンピュータの事はいろいろ学んだが、大学で習うことを100単位分くらい覚え直して、この小学力を捨てなければならないだろう。その意味では教育も俺がガキの頃とは変わっているのかもしれないがな。
まさかのまさかだが、もう俺が習ったことは全てウソであったと認めて学び直しをする必要がある時期に来ているのかもしれない。受験勉強が足りていなかったからだとして、より良い学びの機会をくじかれて高校の時の劣等感に縛り付けて苦しめられているのだ。教えてくれるものなどいない。良い本は書店には並ばず悪貨が良貨を駆逐する。
なぜなら、そこらじゅうの書店に良い本が並べば教育が崩壊するからで、高卒までが馬車馬となって社会の歯車となって働き続けるように町の本屋にデマが並ぶ。
これも被害妄想だろうか?出版社の既得権を守るために町の本屋はあり、大体からして店はモノを売って儲けるために建てられているのだから街ブラなどしたら原価より利益が乗って高い値段のモノしか買えない店の中で散財するようなものだ。
そうして俺は引き籠もる。だが、街で買い物するのに十分なカネを持っている者だっているだろう。格差はあるべくしてある。格差を無くそうという政治家も詭弁を擁して格上に成りあがるために票を入れる格下に格差是正を謳っているだけで、スーツを着て議会に出る以外に仕事などしていないのではないか?俺だってあいつらはテレビでしか見ない。
まあ、俺が子供の頃から高校までとバイト時代と専門学校時代とよりその後の方がもう少し長い47歳まで来ているわけだが、その年まで覚えている初等教育は本当に三つ子の魂百までみたいな植え付けの時期であり、大学で学んで知識を刷新してもやはり他の多くの日本人にも初等教育は人間性の底の方に深く根付いているものだろうか?
言い方を変えるとユング心理学的な民話は日本の場合は初等教育であり、反対にユング心理学など既に教育カリキュラムを作る側の人間は既に踏襲して、いらない教育を盛り込んでいるというか、教職による支配のために布石として必要な教育カリキュラムなのではないかとすら思う。思うだけではなく実際にそうだろう。
けどまあ、もう一度書くと日本の教育も変わって来ていて、戦前と戦後が違う様に、受験戦争で就職氷河期の頃の小学校と今の小学校も違うわけで、子供がいて一緒に初等教育から学び直す機会が育て親にあるのかというと、送り出して学費のために働くのが精いっぱいだから家族にはまた分断が出来て家業を継ぐのではなく企業で働くしか道のない人も出来てしまう。
んで俺が何のために書いているのかというと、教育にモノ申すなら新しいカリキュラムを考えて私塾でも開くならともかく、こうして上段から冗談交じりにゲーム論をぶつくらいのことでしかなく、いやあらためてブロガーとは何か考え直さなくてはなって、考え直すも何も考えている事を全部垂れ流すように書くのがブログの一部であるマインドストーム派閥、はてな市民であるわけなのだが。
思考の根幹にある日本の諺を全て刷新するようなマインドセットに教育をあらためたら、言わずもがなの論理が論理反転するような言葉の通じない分断が起きるのは目に見えている。「どうぞお先に」が「いえいえそちらこそ」になって先に行った方が先に行くか、言われた方が先に行くかみたいな心理戦の結果の裏表が全て変わる。
それくらい全部変わっても、変わらない理科的な科学の側面に着目して、じゃあ商売が無くなったら国益は守られるのかというグローバルとナショナルの対立は今も政治の世界で起こっており、日本自体の商売つまり貿易の利益保護の観点から日本人にしか教えたくない事が世界とつながるネットブログに堂々と書かれていて良いのかというと、俺の周り(といってもSNSなどネット周り)にも段々と外国人も増えていて。
やはり秘め事が何故秘められているか相応の事情があり、一足飛びには行かない。