
ブログを全てトルネコ3異世界のTIPSにするわけにも行かない気がする。
ここ最近でいちばんの成長とともに敗北感を感じている。自分が格ゲーという狭い世界にいて、その中で野球を引き合いに出して甲子園やプロ野球を見て、解説者としてまあまあのポジションを取っているように思って、そんでゲーセンのシューティングとかFPSもまあまあのスコアを出して、色々のゲームを制した気でいたが、解けると思っていなかったトルネコ3異世界にもっとガチに挑む人々がいて、ゲームの世界の中でもこんなに負けるジャンルがあったのかと思うなど。
まあ、魔界戦記ディスガイアとか1面クリアいてレベル2で辞めたのでレベル1万の人には到底及ばないのだろうけど、そういうことを「同じレールの延長線上」みたく思っていて、はじめから相手にしていなかったものを相手取ってみると見えてきた色々の差があって。まあ元来から「RPGやりこんでいる人はアイテム整理が異様に早い」とか、その差に着眼しているゲーマーはいて、それはリアルタイムに進行するモンハン系でもガンナーやっていると移動しながらアイテム切り替えて弾を装填してと忙しく、忙しい中に身を置くことでもっと多くのスキルが手に入るって思ってたけど、暇の代名詞である「トルネコ掘ってる」方々にこんなに色々な角度で負けるのかと、新鮮でした。
そう、俺も暇は暇なのよ。忙しいっての、人から押し付けられてそうなってた時期もあるけど、パパっとやったら時間が余って退屈できるその退屈が好きで、退屈に胡坐をかき過ぎたのだろうなってチョット反省してます。
なんというか、人生観を子供の頃に遊んだドラクエIIIとウィザードリィで魔法使いの呪文も僧侶の呪文も極めてから転職して全部の呪文を覚えたすごい戦士とか忍者とかに人生を成長に捧げたら余裕で全ての事が極められるくらいに舐めていたんですよね。
あー、でもこのスキルどれくらい時間使ったら身に付くんだろうって思うと今日も2時間くらい遊んじゃって、人生時間って有限なのよねってあらためてスケジュール気にするの。けど暇なんだからトルネコ掘りたきゃ掘ればいいじゃんって思うのと、医学の勉強したりギターの練習したり、最近サボってたなと思いだすと、ギターも苦手のスイープが断然集中出来たり、勉強も読み飽きた本が急に新鮮に目に飛び込んで来たり、思いっきり遊んで負けも経験して、また成長を感じられるようになったりしてたの。
なんか役に立つ話とか書けるかなぁと思うと、元々何の役にも立たない格ゲーの攻略を俺の代で終わる末代スキルだからせめて書に残そうとしたのが起こりであって、その俺のブログがまあまあ多方面の暇人から批判的に見てもらえて、そう気付けば文壇の末席に俺はいる。いるんだよ!なんでかというと格ゲーも話でも25年書いたの。
そうすれば上には石井ぜんじ編集長がいらっしゃるわけで、いや上といっても年上で他所だから直接の上司部下ではないですけど、SNSで給料払ったり面倒見たりするでもないけど若いと辛抱しなきゃなんですよね。もう若くないと思ってもまだ若い。
まあ、次の不健康とかトラブルが来るまでは親父の店の2階の今の部屋で平常運航かなぁ、みたいな。テレビも見られるしゲームも出来るしSNSもあるしギターもあるし、本も読めるしもう何ていうかインドアだけどやりたい放題出来るのよ。地味に。
そんで読書しても尽きない本があって困っているくらいなのに、モノ書いてんだから不思議だよねぇ。まだ文章を増やすのか!という。暇つぶしはあるけど全部飽きて何故か手慰みがこのブログ。仕事が無くてもパチパチと文字打って白っぺたが活字で埋まっていくと精神が安定するんだよな。そんなの読ませて御免ね。
まだまだ、ネット上にも色々の情報はあるけど、無料に出来ない機関所有の秘匿情報もあって、その一部は書籍化されているけど本屋さんだって図書館だって利用してもらわないといけないからオンラインで無料でってわけにはいかないページがいっぱいある。役に立たなくなったから、ブログの形で書いてきた格ゲーの話でも、世代をまたぐと共有体験では無くなり情報価値が発生している(ホントか?)
さて、俺が適当にブログを書き散らしてきた同期のひとつには「はてな」のクラウドソーシングの一環に記事要約とか関連性の自動検出みたいなのがあって、平たく言うと「いっぱい書いたらそのうちAIがまとめるでしょ」みたいな楽観はあったのよね。
それを、また推敲とか編集とかを繰り返して、自分で自分の過去ログを何らか価値のある要約に編纂しなおすのも悪くないかなと思い始めてます。まあ今日はここまで。