トルネコ3異世界148回目を始めた

 疲れている時にはぼーっと休むのが良いらしいが、トルネコ3を始めてしまった。

 まあでも1階でレベル3までのペースを堅持してそこで中断しておく。ものの5分。

 木の盾+2に大きなパンふたつと武器は無し。識別のためにスライム相手に振ってみて何も起こらなかった不気味な杖に草のひとつは飲んでみて踊り草。もうひとつ草。それに巻物3つのうちのひとつがリレミトの巻物で異世界では死にアイテムなので置いてゆく。1階で満腹度63も消費しているのが本当に最善手なのか疑ったこともあるが、満腹度ギリギリまで攻めてから格段に手応えは良くなった。

 あとシレン6をやっている友人も言っていた「リソース管理」これな。今回もリレミトの巻物を置いて行って、そして未識別の草をひとつ飲まずに持っておくような、アイテム欄をめいっぱい効率よく使うために、使い過ぎず貯め込み過ぎずという管理な。

 不思議のダンジョンで良くある失敗が、良いアイテム便利アイテムを持っていて安心して、ため込んで壺いっぱいで進むも、肝心な時にひとつも使えず持ち腐れ死ぬのな。

 アレ、満腹度管理していたら、降りたらまたアイテム落ちているわけで、持ち物がいっぱいで腹が持つならアイテムを使って敵を倒してレベルを上げたほうが良い事が多い。あと壺の持ち過ぎは壺から杖振ったり投げたりも出来るは出来るが、出して置いて別の壺に入れてとやたら勝手が悪くなる事があり、アイテム欄を圧迫する持ち物を定期的に捨ててゆくことが中盤の入り口くらいで必要になっていくっぽい。

 全然違うゲーム性だが、ボンバーシューティングや麻雀をするような感覚で、ゲーセンで100円入れて遊ぶように「今日もひと潜り始めっか」という感覚でトルネコ異世界に気楽に挑めるようになった。死ぬときはアッサリ死ぬが負けは当たり前でそこまで恥とも思わず、死ぬように出来ているゲームを何とか越そうと頑張っているという感覚に。

 以前は周りに「解けた」というハッタリをかけるやつがいて、同調で「俺も解いた」の輪が出来て「え?解けてないの俺だけ?」という恥ずかしい気持ちがあったが、いまはSNSで本当に打開した人の輪に触れて頑張れとお疲れさまと的確なお手本をもらえている。

 まあ昔の付き合いの中にも本当に解いている奴がひとりくらいは居たのかも知れないが、今ではその他大勢はみなハッタリだったろうと考えている。まあ男同士の自慢合戦というと、そういう側面は当然あるのだろうがな。悔しがるなら何でも面白がるってな。私怨の話はそれくらいで勘弁してやろう。

 ふつふつと、だまされていた怒りが沸き起こるのだが、俺が怒らないポイントがつけこまれる弱みになっていていくらでも攻撃されたのだろうなと振り返る。内心怒るんじゃなく、本当に表情に出して意思表示をするべきかもしれない。

 けど、常習的にウソをついている人間にウソを咎めても何が悪いのかも分からないだろう。ごく小さい時に親父に「ウソをつけ!」と言って殴られた事があるのだが、ここでいう「ウソをつけ!」は「本当の事を言いなさい」と翻訳されて、しかし世の中での本当の事というと、客観的事実ではなく人のウソに合わせたつじつまの合うウソの事であり、文字通り「ウソをつけ」はウソをつけないから都合が悪くて殴られて、親父もウソつきであるのだが、母親と姉が親父の言う事を本当としないと酒乱でどうしようも手が付けられないというような家庭の事情までさかのぼる事となる。

 そこまで掘ると「みんな」とかではなく中学から一緒のほんの数人のウソに苛まれていただけなのだが、人間そう誰とでも仲良く話すものでもなく、関わった人をひとりひとり数えてゆくと、あの時のアイツのあの言葉に苛まれているのだなと一言一句間違わずに分かるようになって来る。付き合いも無くなってから、それをウソだと断じてどう確かめるかと考えると、本当かも知れない事を自分を守るためにウソだと断じるのは勝手に過ぎて刑事事件みたいにしっかり真相を確かめたいという思いがあるが、いまさらそんな事も出来ない。ちょっと病理がその辺りにあるのだろう。残念だが、本当かウソか分からない事をペラペラと喋られて、一度でもそれが本当であるような想像をしたその自分の精神が不整合を起こしてしまっているのだろう。

 もちろん、いまSNSで囲まれている各々のクリア写真についても捏造写真であると断じて撥ね退けるような勝手な人も別にいる。だが、分からないよな。そういう勝手さの末路として自己実現できていないと俺は考える自己実現とゲームのクリアや受験は相関関係はあるだろうが、別の事というと別の事であり、それもウソで乗り切るやつはそうしてしまうのだろう。


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