
トルネコを掘っていると「アイツの言った事なら信じてやろう」と思っていた、とある古い仲の人間が実はいつの間にか嘘つきに変わっていた可能性というか、元から嘘つきかもだけど、過去の事は分からないので、近寄ってきた時はウソが無さそうだったけど、やっぱり信じて良い人間というのはいなくて、信用するから裏切られるのであってはじめから全ての人間を懐疑的に見ていたらそんな事にはならない。
つまり「正直」と「ウソつき」がいてインパスの巻物でどちらか判別できるというようなことでは無く、人間みなすべて未識別の杖をいっぱい振り回す魔導士みたいなやつと思って生きると、今まで「ああじゃないか、こうじゃないか」と思って来たもの全て妄想だということが分かってきた気がする。
そしてコレと言った攻略法も「ある」と思っていたのは連続の強運を引いていただけで麻雀で言う「乗っていた」時だけで、やっぱり少なくとも俺のトルネコ3は運ゲー。ネットのクリア報告とかも、丁寧に方法を教えてくれるやさしい人の皮をかぶったチートかも知れず、まだ簡単に信じてはいけない。ここは自分を守るために予防線を引くべきところだ。
てか、ネットを使っていて、ネットから近寄って来る人の皮をかぶった情報が信じられないなら、ネットを使う意義としては情報収集の意味では使い辛い事になる。これは現代人の誰しもというか、そうではなく何かの信者になってしまった人にはそうではないかもだが、確証の取れない情報群に生成AIで作られた画像音声まで混ざってくるわけで、この使い物にならない感じは古い端末でインターネットを楽しむ俺には辛いものではある。
ネットに実用的にWikiを作る同志が読まれず埋もれてくじけていて、そしてデマが拡散されて悪貨が良貨を駆逐する。誰のためのネットだ?公益性って誰のための正義だ?
とてもありきたりなテーマだが、まさかそんなと思っている俺自身にも降り掛かる。
というか、かく言う俺自身が20代だか30代くらいにローグを入手してC言語のソースコードを改変してクリアの画像に辿り着き、それをネットで自慢すると言う事をしたことがあり、それを忘れてまでは居ないが、それでも「究極までやりこむと3度に1度は解ける」と言われている情報に改造して越したことが恥ずかしくなり、負けじとプラットフォームは違えどこのトルネコ3異世界に挑んでいるのだが、挑戦としての意味に競争や情報交換の意味をはき違えて改造で挑んでくる人がいたらどうなのか、というのは俺が任天堂ハードの各種競技をチートとぶつかって辞めて来たこととここで一致する。
コンピュータの審判はフェアであるかというと、ROMは書き換えられないが、チートは実行メモリを書き換えてプログラムを騙す行為であるわけで、だまされやすい審判としてのコンピュータを良く知るものがフェアを崩すこともまた摂理なのだろう。ルールを書き換えなくても、得点などは書き換えられるわけだからな。
だから野球をしている人を脇に、得点板の点数票を勝手に書いて写メで誰かに送信するというような悪戯は簡単に成立するわけで、こればっかりは現場に足を運ばないでネットでラクをすることへの妨害行為としては最も容易い部類の行為なのだ。
そう、頑張ってブログ書いていると俺が思っても、それはエアコンの効いた涼しい部屋でパソコンに向かっているだけ。情報価値に絶対値は無く、読者の満足度や商品の広告効果で読後感や市場価値も変動してしまう。
トルネコ3異世界の話題を持ち出してから、読者の数(定期購読ではなく日々のPV)が減っていることは間違いなく、偶然か正しい相関かは難しいが、興味のない人が多いのはゲームの売上本数との相関を見ると、ストIIや餓狼スペシャルの方が売れている。
それでも、PVは減ったがフォロワーは増えた。信用できるものかどうかは分からないが、情報の流通性は俺が書いて皆が読むという形ではなく、相互に情報交換する形に変わってきたのだ。だから、そこに流れてくる情報が本当かウソかという話がまた持ち上がるのだ。
それが嫌だからゲーセンで置いてあるストIIの台で両者が出来ることでルール改変なしというストIIにのめり込んだことも、遠い記憶の彼方である。フェアだが100円かかり、アンフェアな情報が飛び交って、情報戦に於いて俺の出している情報が劣って見える比較対象を出されたとして、まだゲーム代の100円は取られていない。
だが、読者は減っている。これはマイナスだ。強く見える写真で目を引く方が読者を取れるのだ。基本的だが、そこは迂闊であった。そして読者の一部が知りたいのも真実では無い事も分かると、それでも読んでくれている人は一定数減ったとはいえいる。
もともと、大上段から論舌を振るえるような人間ではないのだ。生徒会くらいだ。
でも、それで良い。俺もネタ出しに苦労しているし、トルネコなら毎日するだけでネタが詰まっているわけで遊んでアウトプットするだけでいいし、ゲーセンゲームで対戦するなら飽きたストIIをもっと掘るよりバーチャロンとかの方が見た目も面白そうだ。
ストIIばかりしていると、そんな風に周りの人の方が離れて行くこともあったな。そして俺が辞めても辞めない人はいて、継続は力でそれはそれで人気が出るのだろう。
その継続にも、ゲーセン台に入れる100円玉や大会などのスケジュール管理に交通に、そして日々大会に備えた研鑽を怠らない事が要件になって来る。
その上で、ゲーセンの対戦台がフェアと言ってもキャラ差程度のアンフェアはあるし、スポーツの世界ではそれを上回る対格差などを超越した記録が出て努力論や根性論で無理が通って道理が引っ込むその裏には賭博や八百長もきっとあるのだろう。
つまりは物事はきれいごとの皮をかぶっていて、その体裁の中で上手く立ち回れるずる賢さを備えた上で競争に勝つ力を蓄える努力も必要で、まだまだ俺は甘ちゃんで寝言を言っているのだろうな。努力も足りていないかもだが、クレバーも足りてないんだ。