ソニックウイングス(飛燕で6面)

 秋と呼ぶには早いがスーパーの菓子類でサツマイモ系が出始めるこの頃、畳の間も涼しくなって来たのでちゃぶ台の上のモニタでSFC版のソニックウイングスをプレイ。

 タコ足配線だが、どう考えても使っていない無線LANをひとつ外したらケータイにちょうど電力会社の自動音声の営業が入った。タイミング、電力消費量みて節電とかしたらかかってくんの?と思ったけどダイヤルで質問に答えながら、俺、親父と二世帯なのにどういう連絡体系で回ってんだろう。まあケータイ自体は独り暮らしの時も番号かえなかったし、NHKの受信料を二重に払ったケースもありこういうの杜撰よね。

 それはそれとてソニックウイングスアメリカ2Pのキースのみワンコインクリア経験があったのだけど、コントローラ差し替えるの面倒なので日本1Pの飛燕でプレイ。

 4面道中で1ミス、5ボスで2ミス、6面中盤で乙だった。まあ久々でいきなり6面まで進めるあたり、シューターレベルは昔より上がっているかもだが、A級とも言えない。アーケード縦シューを1コインくらいでA級だと思ったこともあるが、横シューのパターンと縦シューのボンバー弾幕系は一線を画していて、東亜プランの達人やセイブ開発雷電すら難しすぎると思ったこともある俺が上達したかもだけどSW6面乙。

 でもなんでやってないのに上達しているのかというと、暇な時SNS見ていたら動画でSTGのスーパープレイを観戦できるので、観戦とイメトレでも結構いける。その昔に将棋ソフト開発を始める前にY氏のお宅で話した時に「ミヤザワどんなゲームが好きやった?」という話でどんどん時代をさかのぼってファミコンのヴォルガードIIまでで俺はそっからだったけど、Y氏の方がちょっと年上でファミコンではなくゲーセンとマイコンで特にゲーセンで上手い人のプレイを先に見て覚えて100円で真似て粘るというので幾つものゲームを越してしまった話を聞いた。

 その点、俺は座敷でひとりでファミコンをしていて下手くそだと母親がヤキモキして、弟が出来たときには弟はまあ上手だと母親が褒めて伸ばす作戦に転じて、俺の時は褒めてもらえなかったのにというのを47歳の今でも引きずっていて、朝ドラ見てまで思い出す始末である。むしろこの感情は嫌悪とか憎悪も混じっているが、実の母親なので複雑なものである。別居だし、親父とも連絡を取っていないようだから、俺だけ母親と会うのが親父に申し訳ないみたいなのもあってもう何年も会っていない。

 ソニックウイングスをせめてクリアしていたらその感情も湧き起らないかもだが、6面で「ちゅどーん」しているのがトラウマを呼び覚ます。

 しかしまあ、大阪のゲーセンでのスコア競争とは違って、奈良のゲーセンには他の店のゲームコーナーみたいなところでワンコインで粘る客を露骨な灰皿交換のときの舌打ちとかで追い払うような店もあって、上手くなってゲーセンでワンコインというのがそんなに誉れある感じでは無かったとも記憶している。

 良い年したオッサンがレンタルビデオのゲームコーナーで粘り、小学校の三人連れとかが俺の終わった台を指さして「これ俺のスコアやねーん」って話してるのを無視して帰る。格闘ゲームの通信対戦台はケンカや台バンも当たり前だった。ケンカに弱いコンプレックスが裏返って、バーチャルケンカゲームで人を負かすのが趣味みたいになってた。

 そんでちゃぶ台のSFCの周りにはストIIターボ、龍虎の拳2、餓狼スペシャルが並べてあったが、この喧嘩ゲームは勲章ではなく恥ではないかとSWに差し替えた。

 そのSWも6面で負けて結局は恥じることとなる。何の趣味やねん?と思うが、5面越すくらいで十分に熱中して面白かったのも忘れてしまうがまた事実で、だからまたするのである。ちなみに6面はロシア、7面は宇宙で7面越すと1周だ。2周エンドらしいが2周したことは無い。エミュならステートセーブで出来たかもだが、著作権法に抵触するので大っぴらにするのもどうよという案件で、それに準じたものが最近の任天堂とかから製品として売り出され、SNSで観戦しているのも恐らくその辺りだと思う。

 それを言うと、俺もソフトを作ってネットで売っているがゲーム会社の面談で課金して購入するはずのライセンスキーを口頭で言い当てて、違法ROMと交換条件みたいに話す人がいた。それでも、俺は今までソフトをたくさん買ってきたのも事実。この交換条件は何か相手に有利が過ぎたのだが、その時は言葉に詰まってしまった。俺も悪い事をしているという罪悪感を先に突き付けられ、会社に入ったらもちろん、それくらいのクラック技術で他社製品と競争になる厳しいものだよと脅されたのだ。俺はVC++やVBを使うウインドウズ系のプログラマだが、業界ではそういう人はツールでゲームはアセンブラが出来ないとという話もした。いやスマホゲームならCで十分だが。

 あと、ああいう面談は仲介業者の営業さんが一緒だから、話はややこしい。小学校からの憧れであった会社の開発部の応接室まで入ったが、開発室には入れなかった。けどネットでコンピュータ同士はつながっており、物理的に開発室に入れなかったが業界的にはコネクトしたものだとも思っている。形骸的に出社してタイムカードを押して、それで月給がもらえたらその月給が形骸ではなく結実であると考えるのが普通だが、開発志望としてプログラムコードの中を解読してこそ本願という価値観もあるものだ。

 まあでも年食うと辛いよとは聞いていて、最近もういいかげんゲームより現金のがいっぱいもらえるならそうしたいと思うように変わってきている。基本少額だからね。

 そんでそのお金で暇出来たら何すんねんというと他社製のゲームという病症。明らかにどうやってお金もらうかとゲームは遊ぶものというので切り分けて、ゲーム開発でお金もらえるのが両取りのような美味しいものではないと諦めが付いたのが47歳。

 このあと10年チョットある壮年期をどう過ごすか、生計も含めて悩みどころ。

 あんなに遊んだ一生できると思っていたケンカゲームに不思議なくらいサッパリとしたお別れの時が来ているというのがすごく不思議な体験である今日の午後でした。


🄫1999-2025 id:karmen