なんのこともない休日

 そういや日曜日なのよね。朝から甘いせんべい4枚(少し湿気ている)と牛乳を朝食として、仮面ライダーのはじまる9時にリモコンでチャンネルを合わせると歌じゃなかったので日曜討論に戻し、政治家の発言の中に矛盾を見つけるも反論しづらい内容なので、ああ、他の人も面倒なんだろうなと思って見ていると、言い負かすのではなくもっとふわっとした言葉で丸めて、1時間が過ぎ事なきを得る。そういうものだろう。

 思えば俺は純粋数学に傾倒したことがあって、素数に関してただ「解けば賞金が出る」という浅はかさを純粋数学とか研究というようなオブラートで包んでパソコンで素数の研究をしてみたことがあった。一考には値すると思う。解けない証明が立っているものを解けたら褒美をやるとするひとつのハメ方にはまって、しかしそのことに傾倒してやってみると、誰もやっていない事なら何らかの知見は得られたりするものだろう。メルセンヌ素数って知ってる?

 あの頃に比べたら、プログラマの実務を20年以上やって、現実的になり過ぎていた。それ値にしたらナンボやねん?コンピュータで実際にどうプログラムすんねん?という点で至らない点は技術的に甘いまま、思考の全てをプログラムで表現できるわけでも無いが、他人には何か組んで見せないと見せられないわけで。

 その束縛をいちど解いて、また19の頃のように自由に考えていると、将棋に関する盤面の変化を三次元の図形イメージで考え直していたのだが、やっぱりそれから1時間もしたら、ちゃんとプログラムに落とし込むことを考えていた。そして、新しい素案をまとめるも、だいたい俺の将棋が弱いので、俺の直感をコンピュータ将棋に落とし込んでも恐らくそんなに強くはない。ただボナンザ保木さんのキャッチコピー「人間らしい気風」という点が三駒関係なら、そんな風に考える人間ホントにいるの?という話で、俺はこう考えているんじゃないかという認知心理学が、俺の場合は数学なのだ。

 まあでも三手読みの将棋ベーシックと指すと俺が勝つこともあるので、5手読みにすると長くて待ってられっかとなるだけで、5手読みにして待つと強いのかもだが、短い思考時間でも俺が勝つことも併せると、研究として一考の余地ではなく実験に値するかというところで、実際に組み始めるとメチャ手間がかかることも目に見えていて、専属の人の時間を俺の思い付きで奪っても行けないとは思うが、俺がやっても勝たないと賞金は出ない。なんにもアイデアが無い所なら新しい実験のアイデアは貴重かもだが、相手はシンクタンクであるわけで、そうそう勝てるものでも無いだろう。

 ただまあ、素案として出すものは簡単で、駒利き評価というのをやっていたが、二手の駒利き、三手の駒利き、N手の駒利きというものを盤面に考えてみたときに、歩は始めの位置から4手突いて金になると価値が高く、飛車や角が強いのは1手で成り込むくらいの移動量があるからだ。分かりやすいのは桂馬で、道が空いていると三手で成り込む。静的評価という既存の考え方と似て、実装も簡単なものなら数日で出来るかもだが、先回りして考えると、N手読みの終端ノードで評価関数が走るその評価関数に新しい駒利き評価を載せると、たんに計算量負荷が高すぎて、それなら三手読みを五手読みにするだけなら数字を変えるだけでラクチンで実験できるので、せっかく組んだシステムを五手読みにして実験しないのはただ待つだけの計算に毎日使うコンピュータを1台専用にするのが惜しく、手持無沙汰には新しいプログラムを考えて打ち込むほうが楽しい時があるからで、さて筆は乗っているが親父が昼飯買って来いというのでここまで。

 まあなんか、ちょっとは自由に考えられるくらい、頭がスッキリしてきた。妙な心配な感じも無く、例えば車の運転も以前は大阪京都に東京に行こうとしていて、高速乗って何処かに停めればそこは密度の高い都会。人がいるから何とかなるだろうと甘えた考え方で、携帯電話もあるし大丈夫だろう見たいな考え方だった。

 それが近年は山にクルマでキャンプに行ったらバッテリー上がるだけで死ぬかもしれない帰れないかも知れないみたいな無人の恐怖みたいなものが俺を支配していて、オッサンになって若者として可愛く甘えさせてもらえないから人には頼れないみたいな世界観になっているからで、町中走って「てへぺろ」で済むと思えばまた運転できるかもだ。さあ、メシ買いに行かなくちゃ。


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