自宅をもうちょっと快適な環境に出来たら

 朝寝坊してゴミ出しに行ったら他所のゴミが無く回収車が行ってしまったか、というところでもっと遅くまで寝ている親父に失敗をなじられ口論となり「口答えするな!」と怒鳴るので殴ったらまあその後もブツブツ言うもののもういちど寝に帰った。

 親父と二人暮らしというのがその他の家族全員が親父とのトラブルで出て行っていることを考えると、問題のある人なのだが、しかし病気から退院した俺の引き取り手は親父しかなく他の選択肢がないということで我慢してきた15年だったが、少し元気が戻ってくるとそのすべての我慢がいちいちストレスとして心に沸き上がり、メチャメチャ胃が痛くなって、それからトイレに籠り、出すもん出して昼飯をカップの焼きそばとして少しマシになった。

 日曜日の昼にスーパーでクリームコロッケ3つとステーキガーリックライスのセットを食ったあたりから暴飲暴食気味で、月曜の昼はチキチーにコーヒーのLを頼んでから、食後から夕食までにボトルのアイスコーヒーを飲んだことなど、胃の悪くなる要因を全て思い出すと、小さなストレスだが胃が弱っていて激痛になっているのかもなと思いつつも、鬱が元気になって来て元気な頭で考えると今までの仕方なくの我慢のひとつひとつに無性に腹が立ってきたというのもあるだろう。

 だいたい、全ての事は親からさせられていることであり、そうでない事と言えば爺さんから小遣いをもらって通うゲーセンくらいであった。のちのちセミプロとなるほどゲームに傾倒するが、大阪にいた頃に町工場のオッサンに「プロやったらいっぺんも負けたらアカン」みたく言われた事、たぶん会社員としてコンピュータシステムの組み込みで給料をもらって、その給料から実費でゲーム代を出して、その中で大会優勝の賞金をもらっているのが、ゲーセンでレバーガチャガチャボタンポンポンで給料をもらっていると勘違いした人からの発破だったと思うのだが、俺はそれにプレッシャーを感じてゲームも勝つためにこうしなければならないの塊になっていた。

 俺の弾ジャンケン理論についても誤前提暗示だという人もいたが、ゲーム内でどうすべきか以前に「勝たなければならない」という強力な暗示がかかっているので「負けても良い」と考えている人の自由とはかけ離れたプロゲーマー養成ギブスだ付いていた。

 まあ、そんで今はその呪縛がほぼ解けて、ゲーマーってなんで教えてくれんの?というと、情報共有をして輪の外と力量の差を持つことが結束を生み、もともとやらなくても何も問題のないゲームに対して「こんなに知って練習して上手くなったんだし勝ちたいし」とゲーセンに来てお金を入れたりする動機付けをしているのだと思うのよな。

 別にやらなくともよく「なんでそんなことやらなアカンねん?」という人を説得するのはゲームセンターの側の人間の仕事なのだが、なんでゲームをせねばならないかとしなくて良いゲームをする動機を説明するより、まず何とか騙されたと思って1回やってもらい「次はどうしたら強くなりますか」のループにハマってもらった方がラクなのだ。

 そんな正論が言えるのは、俺がゲーセンバイトでなくなって親父の店が回っているからで、家にいる選択をする以上は親父の言う事を聞かなければならない。これが聞かなければならない理由の始まりで、メシが食えるのはワシの力のおかげじゃ!という強固な自信と家族への服従を求めるので、みんな出て行って病人の俺だけ。その病人に朝のゴミ出しや昼飯の弁当の買い物を頼んで、曰く家事分担。要介護度あっても奈良に余っているヘルパーさんは無し。ネガティブに「仕方がない」と思う。

 その「仕方がない」に家にいて「することない」と「昔システムエンジニアだった」「昔プロゲーマーだった(獲得賞金200ドル)」のふたつが染みついて、ゲーム機で遊んでブログ書いて、ブログに広告取ってポイ活している、今の暮らしがある。

 ぜーんぶやめちゃってよい。あとは部屋に本がやたら多い。この本の山も本と言うのは色々あって、本当の事が書いてあって生活のためになるものもあるが、大半の本は娯楽として読者の暇をつぶすために知的好奇心をあおるように書かれている。だからしてテレビやネットはその代替物となりうるし、省スペースで、本を積むのは前時代的であるかもしれないと思うと、片付けてスッキリしてもっと良い部屋にしたいと思い始める。同じくゲーム機も暇だからどんどん増やしてしまったが、シェイプアップ可能。

 ただ、史家として家に資料は置いておかねばならない、というもうひとつの「ねばならない」がウェブライターであることも相まって、俺の最後のマストだったと思う。

 それもやっぱり、ぜーんぶやめちゃってよい。やめちゃうことがこの趣味であるブログの資料的な裏付けも捨てることにつながるのだが、このブログもどうでもよくなってきている。

 本当にどうでも良いはずの事が全部強迫観念で連綿と「マスト(~しなければならない)」になってつながっていたのだ。それらが今朝ふとしたきっかけで思い込みでしかなかったが、生まれや育ちの関係でそうなるに至っていた全てにふつふつと腹が立ってきて胃痛になったのだ。

 さあ、ゲームもブログも辞めてどう片付けて今後どうするか、ある意味で自由だ。

 すべての「マスト」は「しなくてもよい」になりやがて「したほうがいい」でも良かったなと思いながらも、連綿とした物がひとつづつバラバラに戻り、野放図となる。

 その前には対戦ゲームは悪友の誘いで始めたもので、勝つ以上はリーダーとして説明責任を負うとも思っていた。政治家の言葉だよね。小さい頃お爺ちゃんと一緒に見たNHKの国会中継みたく、人は登壇して話をするものと子供ながらに夢見たのかも。それがいつしか今のように文壇になっているだけの話だ。

 しかし最近始めたバーチャロンについて「まず何をすべきか」というところを真摯に問うと、例えばテムジンの同キャラから考え始めるとして、狙って打つ、打たれる弾を避ける、ではゲーム開始からどう動くべきか、動かないと弾で狙って狙撃するわけだから動かないといけない。でストIIのような強烈な暗示がかかっておらず「やらなくてもいいんじゃないか?」という思いが勝って、そもそもどうして格闘ゲームはやらなくてはならなかったのか、と問うと、誘われてひとたび勝つことで業界を背負わされたその数々の暗示を他人の責任が俺に押し付けられているだけだと腹立たしくなったのだ。

 あとはまあ、悠仁さまの成人式よね。普段は忘れているかもだけど、俺も苗字に宮の字が付く生まれとして周囲の期待を背負って生きていた時期があった。そして石破首相の辞任。宮は飾りで世の中は民主主義。けれど、国の中で選挙で決められることにアメリカ関税という他国の事情が干渉することとなって、政局が難しくなって来る。選挙で元気だった野党が難しくなると自民党の意見を待つことになって来る。

 まあ俺はその世の中で今は守りに入っているよな。部屋でテレビ見て本読んでゲームもして。物書き以外に部屋で出来る仕事を見つけたいなとも思っている。IT副業に類することは片っ端からやって実益にならず、デマで無いかと疑っている。デジタルで何か情報を作ってカネに変わるのではなく、被雇用者として給料の権利を獲得して在宅勤務にならないと、ニートがパソコンでモノ(情報)作ってもそれをカネと替えてもらえるのは奈良ではレアケース。

 「どうすっかなぁ」とパソコンを前に路頭に迷う事しばし、楽しいことしていれば良いというほど将来に対して楽観的にもなれない思考の束縛がまだまだあるのだろう。


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