トルネコ3異世界170回目(ローグライクと云うけれど)

 はい、また異世界潜ってます。170回目デーモンバスターと鋼鉄の盾。

 天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。古いなぁ、もう万札の絵は福沢諭吉じゃなくなったよ。それでも、天皇制よりは民主主義の方が新しいし、日本国憲法には平等という文言が織り込まれている。

 「職業に貴賎無し」って言うけど、年収とかのパラメーターで測るのが今の普通じゃん。もちろん収入だけでは無くて仕事がキツくないかと避ける理由になる事が、人によっては自分がやらなければ他の人がやりたがらないという自負になっており、社会において欠かせない仕事であるならばそこに貴賎を持ち込むこともまた間違いであると言えるのだろうけど、貴賎はあるよな。

 思えば貴族ってわけじゃないけど、旧貴族の商家の生まれの俺の持ち物って珍しく、賎民からするといちいちお宝だったと思うんだ。そこに平等を訴えて来るものがいたら、おもちゃのひとつでもポンと貸す、そんな少年だった。

 そんで自分が貧しくなってくると「返せ!」って念が強かった。「困った時はお互い様やんか」と言って人から金品を取って行ったものから見捨てられる。そういう経験を経て、またアメリカで言葉が通じず頼れる人のない生活を1週間ほどでもしたのも今の性格に影響している。あの時に俺の命を守ってくれるのはポケットに入っているドル札だけだと思ったけど、もし文無しになってそれでも助かっていたら、また感性は変わっていた事だろう。そこまで行かなかった。カネのあるうちに日本に帰ったから。

 そんな俺の政治に対する方策は曰く金満政治。左派思想に近く共産シンパだった俺は良く貴族なのに右につかないのは何故?と不思議がられたが、子供の頃に隙あらば身ぐるみ引っぺがしてやろうと博徒から付け狙われる、その原因は貧しさにあり共産社会は貧しいという周囲の反対よりも、貧富の差が生む貧困者の抑圧が富裕層の子供である自分に対するいじめの原因であると考え、やがて権利というものは消失して物質社会になる未来に家賃とかの権益は無くなって、そうなるなら国家が国民に仕事を与えて配給がもらえる方が安定度が高そうに思えたからだった。

 それがなぜ金満と呼ばれるかというと、日本は共産国とするには食料自給率が低く国民全員分の配給は見込めないので、クルマや家電などの産業に引率される格好で外貨を稼いでメシを食っている。その構造の中でも硬貨や紙幣はゴミではなく、何らか価値がある、遊戯王のカードでも値段が付くようにお金は交換価値として市場に存在するのではなく、紙幣にも何らかの交換価値以上のモノとしての価値はあり、作れるならたくさん作るべきだという思想を持っていた。その跳ね返りは大方の予想に沿ってインフレだ。そうならないように出来なかった。カネがあったらもっと良いものを買って働くというような貴さが以前の俺にはあったが、今はカネがあるならそれでラクしたいと思う。

 こういう賎民の考え方がもっと先に分かっていれば、あんな愚策は打たなかっただろう。自分は賢く良策だとすら思っていたことが、庶民感覚とズレていたのだ。

 ただ、その失敗は歴史になぞらえると豊臣秀吉が農民上がりゆえに貧民の悪知恵を踏まえた政策を打てたという風に、プラスに捉え直すことも出来る。

 長くなったが「トルネコの大冒険」のゲーム性のモデルにはパソコンゲームのローグがあるわけで、ローグライクと呼ばれるのだけれど、ローグは国産としてメーカーから箱説付きで販売されるようなものではなく、ネットとフロッピィの手渡しあたりで広まった(広まるというほど広くは行き渡らなかったと思うが)ゲームで、俺は20代の半ばごろにプログラムをダウンロードして、自分のパソコンでコンパイルして実行した。

 その経験が無いものでも「そういえばカッコいいんだな」と安易に「ローグライク」という単語を復唱して、それがSNSでちょっとした輪になっている。中には本物のローグを翻訳できる英語もプログラムも分かるオールドゲーマーの通信もあるのかもだけど、俺から見たら完全にローグライクではなくスーファミトルネコの大冒険以下不思議のダンジョンの輪である。

 まあ、話し言葉と服装に気を遣えば、洋の東西も職業の貴賎もなくなるというのが福沢諭吉の教えであり「あんな奴等がローグライクなんて気取るんだな」とチョット悔しい思いもするが、その理想は自分も掲げたものであるはずが、浅ましいものも服装と態度をあらためた結果、自分がだらしなくなって貴賎が無くなったと言うよりはひっくり返されたように錯覚する。

 その実、ウチはまだ地主だから、家賃収入などの既得権にしがみついて老衰くらいまでは頑張れるのかも知れないが、成長戦略みたいなものが全くなくなり、というのも以前の自分にあった成長の原動力は列強に並ぼうとした洋書からの学びであり、洋書の読めないものからすると俺が言う事を真似れば良いという安易な発想だったからだ。

 今や、何もかもが欧米から学び取られ、だいたい日本にも似たものがある社会だろう。その中でいつまでも欧州に劣等意識を持ち、後進国に優位性を持っていると考えるのは時代錯誤で、負けているということは学び取るものに困らない、ある意味で成長を目指す若者にとってやりやすい世の中だったのだとも振り返る。

 んで渋沢栄一になったんでしたっけ、新しいお札。日本はこれからどうなって、俺は何をすれば良いんでしょうかね。また勉強のやり直し。それも蘭学ではなく近代史をもういちどやれって話ではないですか。何か辛いなぁ。

 あ、トルネコは写真の中断から晩酌の後に再開して飲酒運転で7階で倒れました。どうしろってんだ?と思いながらも、また30分遊んだわけですね。


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