トルネコの大冒険3異世界171回目続き

 続きを掘ると案外調子のいい171回目。

 まだまだ勝ち負けに一喜一憂しており、平常心とは程遠い。装備が良くて、今回は行けそうと言っても潜ってみないと分からない。何階まで行けるだろうな。

 段々と運に対する気構えが変わってきている。掴めない運を嘆くより、自分が既に掴んでいる運を大事にすることだ。木の盾でも素手よりは良い。色々な冒険をすることでひどい体験が増して、それまで普通だと思っていた冒険に降り掛かっている既に掴んでいる運にたいして敏感になる。今も未識別の指輪と草を持っている。この指輪と草にも運は宿っている。絶体絶命になってからひとつ使ってくじ引きするのではなく、もっと上手い利用法は無いか画策するのだ。自分の行動はまだまだ最善手からは程遠い。

 草は飲んで識別しているが、毒草の事もあるし、かなしばりのタネの事もある。これ何とか事前に識別して敵に投げて使えないかと画策するのだが。まあインパスの壺か店くらいかなぁ。あと大量に持っている時のソート順からもある程度は憶測できるのかもしれない。これは禁断の秘儀だが。越すためにはあらゆる知恵を結集させなくてはな。ソート順で憶測するなら、正しい順番を事前に覚えることと、消費してしまわず集めて順にしなくてはならず戦略も変わって来る。

 5階でオニオーン狩りをしてハラモチの指輪もあり、保存の壺に大きなパンとパンを持ってはぐれメタルの剣に真紅の盾と今まで20階にはグレイトソードでしか到達したことは無いが、はぐれメタルの剣で行けたらそれだけでも新記録だと思おう。

 前にハラモチの指輪を手にした時はおばけヒトデの階で粘って力が下がってそれを毒消し草出来なかった反省を活かして、未識別の草を何本も保った状態でおばけヒトデの階層でもレベル上げをしてみようと画策している。小さな工夫の積み重ね。

 今まで草はレベルアップ直後に体力満タンで飲むのが基本で、薬草や弟切草ならHPプラスでしあわせの種ならレベルアップ、不幸の種なら経験値マイナス1で済むわけだが、先にも書いたかなしばりのタネや毒草などのデメリット草は出来れば敵に投げたい。プラス効果の草が多い不思議のダンジョンでの識別が基調となっていて、異世界用の新たなルールを模索する事を忘れてルーティン化してしまっていた。

 この思考停止のルーティン化がゲームをくじ引きのような運ゲーに転化させる。今回は草が5個出て順番にくじ引き~!みたいのではなく、ひとつひとつのアイテムについてもっと考えて、運を掴む。掴んでいる運を逃さないように。例えば世界樹の葉を未識別のまま飲んでしまうみたいなことをどう防ぐかというと、インパスの壺ひとつでも持ち物いっぱいで未識別の道具全部突っ込んで割る!とかではなくもっと良い使い方は無いかと、思考を止めない事だ。

 とはいえ、まだ6階。偉そうなことを言う記録も出ていない(20階2回)

 そう、俺は運ゲーに勝ちたいわけではなく、運ゲーを運で無くす客観的に再現可能な何らかのロジックがトルネコ異世界を掘り切るところに「ある」と思って探っていたのを忘れる所だった。

 何らかのロジックは「ある」上で、それらは打開した人に「おしえてー」と言って簡単に教えてもらえるものでもなく、体験を積み重ねて自分で見つけてゆく。その楽しさを奪わないように、秘密にしてもらえることがそれはそれでひとつの幸せなのだろう。

 攻略本とかでまとめて読みたい!という気持ちはあれ、聖書に向かうような本へのありがたみを忘れるくらい本棚がキチキチだ。そして自分なりに本を読んで得てきた知識を結集して解けない異世界を解くロジックに何か不思議なものを感じたのが探求の始まりで、それを「くじ引き」と一蹴するのはまあ簡単だが、それはストIIの「ジャンケン」も同じで、大筋論理でそう考えられる堂々巡りでも、もっとひとつひとつにフォーカスすると微妙な違いがあって、敏感になると察知して予見可能になったりする。

 そうでなくては。客観性を求めるあまり引きの目になって主観で予見が当たる嬉しさを全て「たまたま」に戻してしまうと体験そのものの瑞々しさが失われてしまう。

 「たまたま」って自己暗示を解くのに使われる言葉ではあるけど、今後の事を考えるときには何の役にも立たないか、もしくは全ての事はたまたまでやりたいことが叶うまでたまたまに賭け続ける折れないメンタルこそが最強という宗教もまたあるのかもだが。

 そう、その「たまたま」はアイツに当たって俺には無い言い訳で、俺にも「たまたま」は「ある」と期待できないと掴める運も掴めない。それこそが客観的な期待値だろう。


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