ガンダムの「正史」とは

 オタクの話というのは可笑しなものである。ガンダムの話を始める前に史観のすり合わせが必要だとか、それは正史であるかということを話を始める前に話し合う。

 俺はまあ、ターンエーガンダムを見ていないのでザクの名前が変わったことすらそういうものだとしか知らず、何と呼べば良いのか分からないまま「ザクだろ」というと伯母さまも「私もそう思う!あれザクやんな」と笑うところで弟が小難しくペラペラと話して従兄が「ほう、お前もそれが分かるのか」などと通じ合っているのだ。

 正史というのは、国家が認める国の歴史記録の事である。フィクションの創作物であるガンダムに正史なんてものがあるだろうかと自問するが、78年放送のガンダムから外伝的な作品も多数作られて、作品世界の解釈として架空世界はこうであったという世界の時間の流れに矛盾のない創作が続けられているのかもしれない。

 別の読み方として、国家の正史が昭和時代まで編纂されたとしたら、昭和53年に放送されたガンダムの創作は令和まで続き、平成を内包する。つまり正史の中に国の中の出来事としてガンダムの事が編纂されたとして、創作物まで正史は内包するのかというところが論じられてもこれは全く不思議ではないことかも知れない。

 とかく、戦争を題材としたロボットの銃の打ち合いであるということで平和主義者がガンダムを非難することがあるのだが、今日は忙しいとか退屈であるというのが個人の時間管理の中の対比ではなく、個々人の他人との対比が為されるときに、その押し付けられているかのような「忙しさ」の正体は何であろうと考えるとき、戦争が原因かと問うと、例えば平時に空襲が来ると忙しく防空壕に向かうわけではあったろうが、防空壕の中が忙しいか、はたまた爆撃機を駆る米兵がどれくらい忙しいかというと、戦争中の兵隊といえど、恐怖で退屈を感じる余裕はないかもしれないが、恐々とした退屈のような状態の人間も無数にいるのではないかと考えるのであった。

 そう、物理的な忙しさを抱えている人間はほんの一部のはずなのである。目的地に向かって駆けていたり、全速力で逃げていたり、駆ける以外には弾込めやら何やら仕事があるだろうが、そんなに忙しい戦争というものがあるだろうか?

 また、戦争の原因として特に日米の太平洋戦争においては言葉が通じないための殺し合いがあった事はその通りだろうが、古代中国の三国志まで遡った時にその歴史を綴る漢字はその頃には三国共に使われていて、間者を巡る謀略があったことからも言葉は通じた上でやはり戦争の歴史があることになる。訛りや文盲も有り得るがそうではない。

 忙しいのは日本が敗戦国で外国から働かされているからだと考えたこともあるが、日本は敗戦後に米国から食料の供給を受けており、後に主業となる自動車や家電は、それが俺が進んで将棋ソフトの開発を進んでいるように、農業のみに徹する生活より何らかの余裕があって楽しんでしていた仕事の結果として、やがてその中に意思決定の集団化が起こって、スケジュールが出来て忙しくなったのだと考えられる。

 さすればガンダムなどはお茶の間で暇をしている子供に見せるためのテレビマンガであったわけだが、弟が家にいた頃はビデオデッキやHDDレコーダーを使いこなし、学校やら食事やらの合間を縫ってCMスキップを使ってとても忙しそうにアニメを観ていた。

 そういう俺がPS2のガンダムを持っているのも、セガバーチャロンの時流にも乗れず、遅まきにガンダムのひとつも知らないとオタク社会でのコミュニケーションに困らないかと勉強の意味と、ただ外伝的作品を能動的に学ぶのではなく一年戦争を創世記として「ここから」を明確にして待ち受けの応対をすることで後を追おうとしているのだ。

 まあ、忙しかろうが暇だろうが、正直それ以上には興味のない世界でもある。

 せっかくの有意義な退屈をどう来るか分からない未来に備えて無駄な準備で忙しくしてしまうことに懐疑的ではありながら、多くのオタクはそうしているのも事実だ。

 しかし、そんなことをしながら「今、忙しいから」と用事を断るその「忙しさ」というのは暇の使い方として虚構だよなとも思う。20代の俺も会社員をしながら朝練とゲーセン通いに忙しかった。

 忙しさとは、哲学を学んで自殺してしまうものがいるように空白の恐怖からの逃避行のひとつの形であるのだろう。今日、俺はその問題に真正面から向き合っていたが、こうして筆を執るというかラップトップの前に座ってタイプを始めることで雲散霧消してしまったのだ。夕食とする。


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