今日もどうにか自分の背中を押してトルネコ3異世界178回目

 昨晩は夜更かしで寝ないのは体調的にまずいと朝方にどうにか眠れて起きたら昼の12時。朝食と昼食を兼ねてカロリーメイトとバタートーストにカフェオレを飲む。

 書店の学参に「大学への数学」という本があるが「大学の数学」をやってみたいと思っていた。進学したのが専門学校で、単位も取って資格も得たが高校の数学の勉強が宙ぶらりんになったままくすぶっていて、それを何かに昇華したいと常に思っていた。

 プログラムで使う数学もエクセルを使った実用数学も、何か物足りない。けど、高校の時の学参を読み直すと、自分の志望の大学というか行けるかどうかというところの過去問を解いていたが、全然敵わないだろうなと思う国公立や難関私大の過去問も学参には載っていて、高校の時に全部は出来なかったよなというのを40歳くらいから復習した。

 それでSNSに数学絡みのポストをすると、タイムラインに情報が流れて来て、問題も出て来て腕試しがいつでも出来る。それで目が冴えて昨晩は朝方まで解いていた。

 しかしふと、糸が切れたように感覚が変わり、あの不完全燃焼の感覚は遠くなっていた。そして話は飛ぶけど、10代に趣味の仲間ヴァンパイアハンターで対戦して強い人とのみ仲を深めようとしていたのが、ふと「普通の人」はまあ弱い人みたいな意味も含むんだけど、グループには人がいて、それぞれ生活があって趣味も他にもあって、特定のゲームにそこまで入れ込まないから反対に俺はやりすぎで敬遠された距離があって。

 数学にもそういう妙なこだわりがあって、撥ね退けていたのは俺の方かもなと。だって大学への数学を買って来たらいつでも難関大の過去問や新問を解けるのに、それをすっ飛ばして大学の数学は無いってか、実用数学が学んでみてつまらなく高校の時に大学で習うことに胸をときめかせてそれが壊れてから、難関大に進んだらもっと良い授業が受けられたのではないかという幻想を抱くようになっていた。

 まあ、あるところには純粋数学もあるのだろうけど、大抵は物理数学とか、天文とか、計算機シミュレーションとか、統計学とか、そんな事を単位で学ぶのだろうなと。

 んで目下コンピュータでどうやってメシを食うかは俺の問題だけど、数学でもどうやってメシを食うかの問題はあって、その多くは教職になる事で、高校の数学の先生になって受験数学を教えているってのも構造的に理解できる。

 格闘ゲームも身を引いたし、将棋も飽きたし、この飽き性につける薬は新作が良いかと思うけど、飽き症のための新作市販ゲームは底が浅いものも多く、大抵は簡単なゲームで絵柄や映像や音楽を楽しむもの。マンガをペラペラ読んだり、CDを聴いたり、そして付けたテレビでは相撲が中継されている。

 もう1回、トルネコの大冒険3を掘ってみるかとどうにか自分の背中を押し、1階だけ5分だけ、中断してしばらくして2階ももう5分と9分22秒で3階への階段でレベル4、つるはし、クロムシールド、木の矢15本、痛み分けの杖などなど。

 不思議なのがトルネコの音楽で、どうにか始めてやっていると没入するBGMなんだけど、終わってみると心で全然反復しない。耳に残らないけど没入する魔法の音楽だ。

 まあ、今週はNHK朝ドラ「あんぱん」が最終回を迎え、本放送で朝ドラを見る生活がカムカムあたりから続いており、その物語の蓄積が心の栄養にはなってると思う。

 やっぱ俺の高校時代には親からありとあらゆる娯楽を取り上げられ家に帰ったら学習机と教科書しか置いていない部屋に閉じ込められた空虚さがあって、他人と比べたら、部屋で遊べるからまっすぐ家に帰って遊び半分勉強半分くらいで私大くらいというのも多数いた。だから小中学校のファミコンくらいしか趣味がない俺は下校時にゲーセンに通って長らくアーケードゲームが趣味だった。

 その一面はあれど、母親は昼飯の弁当をほぼ毎日作ってくれていた。その恩も結局両親の別居で俺が父方に付いたことで返せていないような感覚を遠ざけるため遮断している。母親の事は思い出さないようにしているし、もう全然何とも思わなくなっている。

 まあでも、悔いても仕方ないが、専門学校に進んでコンピュータ業界で20年働いたのも、結局小中でファミコンくらいしか興味が無くなり、高校生活を空虚に過ごしたあの暗い穴ぽこを、今更に連ドラで少しずつ埋めているのだろうなと分析している。

 実験やフィールドワークもほとんどせず、座学中心で、国語が好きだが国語便覧に載っているような作家の作品は太宰治くらいしか読めなかった。教科書では物足りず、そこで夢中になれたのが数学の難問くらいだったのがずっともっと難問の数学をという風に尾を引いていたのだと思う。

 自分で色々な本を読むようになり、勉強のやり直しをして空虚さは解消されてきたが、良い歳で再就職もせず親父の店も放ったらかしで今後何になる?というところを3年後もトルネコ3を掘っているだろうか?と思考実験してみると、少し背筋が寒い。

 いやでもそれは3年前から今まで掘った人にともすると失礼だし、退院後にPS2でカプエス2を何回やっただろうと思うと、それはもう10年くらいやっちまったわけで。ゲーマーとして老齢を迎え終活として動画を残したという方の話も聞いた。

 47歳、いまマンガを描いておかないと60歳でブレイクすることも無いだろうともそれは分かるのだが、創作意欲もイメージの源泉も俺にはもう無い気がする。

 ギターもなかなか上達しないでもどかしい。一足飛びに行かない事ばかりだから、ゲームが楽しいのだろうなとは思う。映像も音楽も勝負も一気に楽しめる。こんな楽しいものに包まれて、消費者として行為者として楽しくないわけがないくらいだが、人生を通して何物でも無かった高校のそれとはまた違う別の虚無感が忍び寄ってきている。


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