トルネコ3異世界178回目(15階レベル14)

 動画にするのが流行りみたいですが、写真と文章で実況を続けています。15階。

 あと5階で自己ベスト更新となる予定です。身代わりの杖、まものしばりの巻物、回復の壺(3)を温存出来れば20階何とかならんかなぁ?とは思うものの、まずは残る4階を用心深く降りることに専念したいと思います。杖は拾った限り全識別出来てる!

 ゲームに運の要素が絡んでいたとして「そこで決した」と考えるか「それ以外での手抜かりがあった」と考えるかの哲学は、例えば毎日安心して食べているスーパーや飲食店の料理で食中毒にならないのは、何も知らないと運が良いだけのようにも思えるけど、微生物の研究が為されて消毒されているから大丈夫なのであって、運というか楽観的に何となく生きている多くの国民は誰かの仕事でそっと守られているわけで。

 そういう予防がゲームの中でも手順としてあって、それでも不慮の事態で負けることもまああるというか、反対に初めての人は何も分からず負けるのが普通。その中で繰り返し挑んでコツを掴んで、クリアまで進めたわけだから、それは継続と挑戦と学習と達成であって、総じて「運が良かった」では済まないわけだけど、不思議のダンジョンの最終ダンジョンは基本的にクリア後の「おまけ」で付いていて、越せないから話題となり、その成否すらも知れないところから多くの人が挑戦している。

 ゲームを作る側もエクセルで「これくらいのアイテムドロップ率を設定したら恐らく解けるだろう」というような計算をして、リリース後のプレイヤーに委ねる格好で販売に踏み切ったおいう話は読んだことがあるので、例えばSTGの「怒首領蜂」もラスボスに安全地帯が見つかったら全部開発中に潰した。ボンバーも効かないラスボスで、弾避けに集中して誰かが越すかに賭けたということだと思う。

 その意味では「解けないように作った」は狙いとしてはそうでも語弊があって「誰かが解くかもと思ってリリースした」というのが開発者の狙いだろうとも思う。

 ああ、挑戦しているんだなぁ、無駄かもだけどそれを通して学んだものもあり、最近では「自分でも行けるかも」という明かりのような希望が見えて来て、それが仕事における壁にも突破口を考えて性格にまで影響を与えてくれている。

 20代、就職氷河期でも派遣で働きだした俺はニートのままゲームをしている旧友に対して「俺はもう大人になって忙しいのだから運ゲーに付き合う暇はない」と思い込んで、ただ仕事を押し付けられているのが分からなかった。それが別の生き方を選んで無理せずよく考えると解けなかった幾多のゲームを乗り越えられて、とうとうトルネコ異世界が歴代最も難しいとされていて、そしてそれに挑戦することになったのだ。

 仕事にしたかったゲーム制作でも、お金が当面なくて、今の自分で出来るものを誰かに買ってもらわないと生活できないくらいまで自分を追い込もうとしていた。そうじゃなく、生活基盤を整えて追い詰められる期限のようなものを持たず、じっくりと面白いものが作れないか、他のゲームも勉強して、市販されているゲームを見て、その中でも良く売れているもののレベルの高さを認めて、その一員たる仕事が何かないかと。大半の人は雇い入れられて育ててもらっているのだろう。

 PS5の映像なんて見てしまうと「自分にこれが作れるか?」と問うて

 (ヾノ・∀・`)ムリムリ

 みたいに思ってしまっていたものが、もういちどCGの勉強も数学の勉強も、関係ないかもだけど化学とかの勉強も「やり直す」時期を超えてもっと積み上げることも出来るかもなぁ、という心境になってきている。

 ドット絵のゲームなら作れそうだから、今更にGBAのトルネコ3で懐古をしている側面もそれはそれで否定できず、スイッチは月額幾らとかオンラインでかかるからと言って、カネをケチってシレン6に参戦できていないのも現実で、ゲーム会社にいたときは開発一課の技師はカロリーメイトを昼食にPS3を実費で買って昼休みに遊んでた。

 あのとき俺は35歳で退職がほぼほぼ決まっていた。けどソニー久夛良木さんは俺より年上でPS5をリリースしたし、年相応に経験を積めば、俺にしか出来ない仕事が出来るかもなぁ、よくコーチングで「替わりは幾らでもいる」とか「誰にでもできる仕事だ」とか言われると、素直だから反発して頑張るのではなく重い辞令として受け止めたものだ。

 まあネットが普及してSNSなど見比べて、広い世界には自分の特技と同じ領域でもっと出来る人と手短にコンタクトが取れるから、学ぶにしてもそこから学んだ方が良いと他の人が考えるなら自分には仕事も指導も何にも役割が与えられない感覚にもなる。

 今日はその辺まで考えて、朝食のカロリーをほぼほぼ使ったと思う。疲れて来た。読まされる方も疲れるだろう。けどまあ、目下この移り変わるネット社会の中にも自分なりの役割を見出して、何か新しい事とかもっと大きなことに参戦したい意思はある。

 トルネコ異世界が新しい大きなことなのかというミクロな尺度の問題はまあ、それはそれであるわけだが「ファイナルファンタジーの最新作に参画する」とかも、見方に寄っちゃそれくらいの事の延長線上にあるわけで、まあ引退してファンとして楽しみながら、それでも何かもっとやりたかったなぁ、という仕事への悔いがまだあるんだ。

 ただ、仕事に必死だった裏には不思議のダンジョンへの悔いもあって、両方片づけたいことで、いま素朴に暮らしながら不思議のダンジョンくらいなら潜れるなぁ、というところ。「ゲーム作り」というと大きすぎて役職はプロマネで経営とかお金の話とスケジュールも絡むだろうけど、もっとCGデザイナとはプログラマとかでもうひと仕事するのかと問うと、最新ゲーム機の新作というのは俺にとってまだまだ得体の知れないもの。パソコンゲームでこじんまりと遊べるゲームを自分のPCで開発したい、くらい。

 その意味では再就職の就活もゲーム業界に絞って1社ダメだったし、いくらお金が良いからって再勉強のあとの再就職が業務系ITならそれはそれで嫌だなとも思ってて。

 そういう風にわがままを言ってやりたいことがあって「もう死んでしまいたい」みたいな希死念慮が消えてきたことが病気の回復の兆しだと思っておく。そういや俺なんでこんなことになったんだっけ?というと先にも書いたが「もう20過ぎて就職して大人になったんだし」みたいな世間体の中での大人観とか子供観に自分を当てはめようと苦しんでたんだ。ソニーのプレステ以外に松下だって3DO打ったわけだし、任天堂ファミコン時代の開発には3年ほど勤めたシャープもあった。

 ゲームソフトが花形で、ハードは裏方かというと、俺はメーカーのソフト部門であったわけでそれで最新ゲーム機の新作に参画出来ないのはスキル不足だと自分を責めていた。

 けど会社の中にはいわゆるお茶汲みに相当するようなお菓子姉さんみたいなのもいるわけだし、プログラマとしてのスキルはアップより「マッチ」であるはずで。

 それって結局、社会の枠組みの方に自分の方を合わせて型にハマって行くことですよね?というところで、この自問自答は循環論法になっておしまい。

 やりたい事を仕事にするのはそう容易ではないことが深く分かるのであった。


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