トルネコ3異世界187回目(正直ものの臆病、ウソをつく度胸)

 さてトルネコ異世界も187回目です。何回やれば偉いというものでも無いですが、打開した方が偉いという価値基準に同じ打開なら早い方が良いという価値観、コスパにタイパでカツカツの世の中ですが、コスパタイパの提唱者が負けて長引いているというね、人は騙す。人は隠す。人はそれでも笑える。

 タイトルの話、正直者の度胸、ウソをつく臆病ではないか?反対じゃないか?と思う方もおられるかもですが、閻魔様とかオオカミ少年とか金の斧という民話童話によって「ウソをつくとのちのちに大変なことになる」という逸話が深層心理にあって正直であるというのが「正直者の臆病」対して「そんな話、信じられない」と民話童話を撥ね退けてウソをつく度胸が本で育った人が乗り越えられるかどうかの壁なわけです。

 それでまあ、トルネコ異世界も「1000回もやったら1回くらいは解けるだろう」という確率論で考えると「とりあえずもう1回やってみる」ということが出来るわけですが、1回1回の所作選択の問題で「上手くなったら解ける」だとすると、深く考えずにとりあえずもう1回の繰り返しでは解けない事になる。それでも人は反復すると学習する、こうこうこうすると言われなくても自分で考える、その目安が1000回だとすると、もうすぐ200回なわけで「1000回やって解けなかったらどうしよう」という新しい心配が出てくるわけです。やり出して100回くらいで投げたときは「運ゲー」と言って「んでもまあ1000回もやったら自分にも」と思ったものですが。

 そうすると解けた解けないに関しても気の持ちようで、世の中の99%の人はやったことすらなくて、やったことがある人の中でも解けないのが普通で、そうすると難関私大くらいの学力でも高校の時に数学の学参の国公立の難問はやらずに放っているくらいでそれでも優等生で、素数を求めるプログラムとか作ったからと言って、受験数学を全問解くのと質と量で考えると全然異質で量も違う。

 ゲーム理論の先生としてトルネコ異世界も負けたくないなぁ、みたいのが負けることへの不安で、事がゲームならビートマニアだってやってギターも弾けるようになって、飲み屋で野球理論について尋ねられて得々と語っていたのが、トルネコ負けたら人生台無しだなぁ、みたく思っちゃってたんですよね。事がゲームだけに。

 そこでせせこましくゲームの中でも対戦型だけなんですよと風呂敷を畳むか、トルネコに挑むか、元から他の人はそんなことどころか俺がいる事すら知らないかも知れないわけで、ゲーム理論の先生「だから」のあとに「勝つ」が暗黙的に付いて来たこれまでの人生、ただ頑張れフレフレされて頑張ってたそんな役回りかもだけど、炊事洗濯などを人任せにしているので、遊ばせてもらっているのか勉強しているのかの線引きとして、ゲームの中にもゲームの勝ち方に対する勉強があると、こう言ってきたわけですから、やっぱりそこは勝てるまでか1000回までか、えー?引き受けちゃうの?そんなのメンタル負けすぎだよ!引き受けるというか187回目です。

 ドリカムの人は1万回を歌っているけど生涯ライブ何回くらい公演されるんですかね?200回くらいやってダメだったらそれはそれで大目に見てもらえないか、という所を眼前の目標値として、けど惰性で負けて回数水増しではなく、真摯に1回1回やれば、何か実りはあるやもしれず、まあ今日は「ばけばけ」見逃しましたが、まだ朝9時ですのでこれから今日が始まるわけです。ちょっと遅いけど行ってらっしゃい!

 え?もう着いてる?そうよね。お昼休みくらいに読んでもらえたら。って誰宛て?


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