コンピュータ技師というお仕事について

 オッサンの自撮りを乗せても何も始まらない。けど、悪い仕事をしているわけでもない。悪いことをしたことが無いかというと、会社からカネもらってキャバクラとかで遊んだら「あっ!このオッサン店に来た奴だ!」「サイテー」となるリスクくらい。

 悪い仕事とは思っていないが、大卒ではなく専門卒でそれもコンピュータの専門学校というわりかし近年に出来て得体の知れないところの出身であり、ソフトウェア開発というのも説明を何から始めたら社会でどう役に立っているか、一時期はソフトウェアは無形のものであるとか無料のものであると広まって、じゃあタダのもん売ったら詐欺ではないのか、という論法が成り立ち、お百姓さんからコメをいただく理由にならない。

 俺はソフトウェアは有形で高価なものであると考えている。例えば、名画モナリザに値段が幾らか付いていて写真や模写などの複製品が売れるとする。厳密ではないが、このモナリザをデジカメで撮って、プリンターで写真に印刷すると複製品に近いものが出来る。ここでフィルムに相当する写真データというものが画像ファイルというソフトウェアの一形態である。原本は高価な絵画であり、印刷物は人気のある写真である。この間を媒介する画像ファイルは有形か無形かと問うと、半導体メモリで操作すればすぐに消失してしまう取り扱いの危ういものでありながらも、電子的に写真を表現している。

 では、電子の画像ファイルが現存する状態で、美術館が焼失してモナリザの画像ファイルだけが残った世界になったら、その画像ファイルの価値はどうなるか。もちろん、これは仮定の話で、実際問題美術館に行って絵の写真をデジカメで撮ってそれを誰かにお金で売ろうとしても、全く相手にされないかも知れない。画像の価値とはそういうものだからだ。

 画像以外で価値を認められているものには良い音楽の音声データ、それに脱線したが、俺の本職は電子回路の設計段階で出来るバイナリファイルおよびそれをコンパイルするためのソースコードの編纂である。ソースコードは一般的に文字列の形態を取っており、紙に印刷すると暗号文か数式か、一般の人には難解なものである。これは紙に印字して有難いものでは基本的には無い。

 だが、紙に残すことも意味があって、今時は光ファイバや無線に電話で電子が移動するのではあるが、過去には伝送の形態として、印字して手渡しして、別のコンピュータに打ち込むということが本当にされていた。

 打ち込んでランすると、回路そっくりに電子が流動するようにコンピュータ上に仮想回路が出来上がるのである。もちろん、それもデジカメの画像ファイルが消えてしまうように、とても儚いものだし少し触ると違う回路としての挙動に変わってしまう。

 だから一般的に家電メーカーなどでは、パソコンでソースコードを書いて、コンパイルして仮想回路にしてから、もういちどそれを半導体ROMにして少なくとも電気的には消去改変不可能にしてから製品の部品とするのである。プログラマと言われる仕事の多くの古典的イメージは、この原本部分の編纂である。

 しかし、世の中にはIT企業と最近では言われるが、古くはソフトハウス。この設計段階のソフトウェアの原本をそのまま商材として取り扱う会社がある。俺は経歴的には、そういうソフトハウス、今でいうIT企業の出身だ。

 そうは言っても、立派な経歴があると言っても、何をしていたのかも誰にも(職場の人をのぞいて)理解されない、退職したら親父の自営業の店の二階でパソコンで遊んで対外的にはこのブログを書いている仕事のないオッサンなのである。

 だからまあ「昔何してた?」とうと「アイティー」「パソコン関係っす」「ゲームとかも」とその場を凌ぐわけだけど、どんな仕事か知りたいと思ってもらったら、相手方にもそれ相応に勉強してもらわないと仕事の値打ちも分かってもらえないのである。「回路ってこと?」「まあ、そうかな」という程度。

 当然、世の中にはテレビに家電にデジカメにラジカセにウォークマンにパソコンスマホタブレットまで半導体回路だらけであるので、俺の仕事も探せば何処なりとハマる持ち場があるかもだが、反対に似たような人がたくさんいて別に俺でなくともという評価を受けたら、実技を示す前に採用にかからないのである。

 それも、ありきたりの製品は回路の複製で作られているわけだから、既存の設計図で良いからなのである。

 では、その設計図が自分で編纂して、世界にひとつの原本ならどうかというと、それがどう新しいかは世界中の回路という回路を集めて本当に同じものがひとつも無いか検証するのも難しいだろうし、人知れず出来て用事が無かったら消されてゆく。ソフトウェア開発というのは、そういう仕事なのだ。

 専門学校では主にプログラミングや一般的なソフトの使い方、ディスプレイの仕組みと画像のデータ構造に汎用的なアルゴリズム、それから2年ではレイトレーシングを使ったコンピュータグラフィクスを専攻したが、仕事に就いたらプログラマだった。

 それから独学で工業デザインなども学んだが、途中で酒飲みになって病気になって退院してギターを買って音楽も学んで、それから自分の病気のために医学も学んで、最近では解剖学、生理学、生化学という前時代的な医学から微生物学分子生物学まで学んで、コンピュータとは全然関係の無さそうなことまで裾野を広げている。裾野というと広げるだが、分子生物学まで行くと医学の特定の分野を深掘りしていると言った方が正しい。

 それもこれも、ソフトウェア技師として、どこから何を作ってお金を貰うのかというところの終着点は、大企業、銀行、国家、市民の他には病院というのもカネの在り処として良く知られている所であるからでは無いだろうか。モナリザが高価だから写真の例に取ったが、回路で何の仕事をするとなった時に、製薬医療分野というのも目指すゴールのひとつであり、健康をゴールとして医療があるはずなのに、生命研究になってしまうとただ分からない事がどんどん増えて、それだけでもひとつの分野になってしまうのだ。

 そうなっても、今でも俺の自意識は一介のコンピュータ技師である。雇ってくれとも言わないし、何をしているのか良く分からないかも知れないが、頭が半分コンピュータのような考え方で出来ているがゆえ、ものの道理を学んだら、すなわち回路に変換できる。この自分の特殊能力をありきたりな家電以外の何かに使えないか、最近ITCとか言って家電の進化もすごいらしいけど、ひとまずまた広く学ぼうとしているのだ。

 そういう志を内に秘めていたとして、外観的にはやっぱり親父の自営業の文具店の二階でノートパソコンの机の周りに本棚を並べて、本を読んだりブログを書いたり、タバコを吸いに台所に降りたりコーヒーを飲んだりして、たまにPS2やDSをしてギターも嗜む「何もしていないオッサン」なのである。

 にっしんぼーいろいろやってるけどーにっしんぼーひとつも説明できないー

 って、そんなコマーシャル今の世代が知っているだろうかというオチでおしまい。

 だからまあ、キャバクラで「このオッサンウチの店で見たことある!」と思っても、政治家と違ってスキャンダルでゆすったりは出来ないので、客として払ったお金の範囲で我慢してキャバ嬢頑張ってくださいということで顔出しNGの禁を解きます。


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