
その昔にゲーセンで三段まで上がりPS2を買って覇王までやり込んだ武勇伝。
その腕は本物か今では疑わしく、出直しで十級からやってみて四段までトントン拍子で上がったところで勝率は8割3分(83%)というところ。
久しぶりにその続きからやってみて五段に無事昇格。手ごたえ十分。手が覚えている事もあれば、どこか新鮮な部分もあり、苦手なレイフェイ・ヴァネッサは単に期待値負けで不利なのかなとも思うようになった。強い人が新キャラだったレイフェイ・ヴァネッサをいち早く使っていて、俺がラウなのはゲーセン店員の池ちゃんに「ラウとジェフリーが強いで」と言われてラウの方を何となく選んだのが始まりだった。
結局、最後の方はジャッキーとジェフリーが強いというのが俺の感想だったが、レイフェイとヴァネッサは分からず仕舞い。あんなに何をやっていたんだろうと思うほど単純なゲームにも思えるが、遊んでいるとハッスルできる。
何か今更にでも情報は無いかとネット検索すると、自分のこのブログの過去ログがヒットする。あまりネットで攻略を載せたり議論や情報交換はされていないようだ。
流行っていた時に出来たのはそれはそれで良い思い出ではあるから、また流行りの波に乗りたいなと思うこともあって、どのゲームが今後流行るか波を読まないといけない。ただ古くなってもじっくりとやり込んで、新作を追うのに気が引けている自分もいる。新しい事を覚えるのはしんどい気持ちもあるからだ。
また、バーチャ4をやり込んだことでバーチャ5は出だしからかなり勝てたが流行らなかった。流行るというのは景気というか人気というか、俺が4の時に負けても負けてもカネを入れたので、それがゲーセンの売上となりバイトの給料となり街の賑わいとなり、活気づいてゲーム台が盛り上がったのだと思っていて、俺が勝つと今度は誰かが負け役となってカネを入れなければ活気づかず、鉄拳5とかも誘われたがゲーセン台ではなくPS2で遊んでスグに新しいバージョンになって、主観からは流行りの波は起きていなかった。まあ梅田のナムコランドでは5組くらい対戦台稼働してたから、見方を変えれば流行るところでは流行っていたのかもだが。俺の行動範囲での問題。
その意味では俺はストIVも本の最初だけでスーパーやウルトラはほとんどしなかったし、ストVスト6もしなかった。ファンがいるのは分かるが、わざわざやり込みに行くほど流行っているようには見えないけど、格ゲーマーの輪があるので内輪では盛り上がって、そういうとバーチャ4とかもバーチャ勢の内輪が当時の俺にとって外輪だっただけの話である。
だからといってスマブラとかスプラに混ざれるかというとそれも出来ず、流行に乗ったというとPSPのモンハン3rdくらいが丁度そんな感じだった。2ndGの流行をキャッチして上手く波に乗れたと思う。ただまあ、3DSのMH4とかMHXは蛇足というか惰性の感はあったけど、そう思って辞めたらMHXXが案外と流行っているようにも見えた。辞めた俺を後乗りのメンツがネットを介して呼んでいたってことかも知れないがな。
まあ、目下ゲームは手持ちのソフトにゲーム機で足りており、暇つぶし。流行に乗って新しい友達を作ろうとしなくても趣味の輪はSNSで少しずつ広がっているし、新しいゲームの流行に合わせる必要はもうあんまりないかもしれないとも思う。
ゲームを気にするのも今までゲームを買って遊んで楽しかったから「得した」と思う瞬間があって、また次また次と求めるのであるが、なかなかハマれなくて損した気さえしていた。けど買って放ってあるゲームをじっくり遊ぶと「お、これもイケるやん」と思う気持ちはまたわいて来て、そうさねカプコン系で友達出来たのは流行りが過ぎてもしぶとく続けた後だったなと思い返すのだ。
昔の俺は損を取ることが善で人の役に立つことは自分が負けることくらいに思っていたが、人生どん底まで負けてから這い上がるとき勝つ時や得することが善であるという風にひっくり返って、かなり利己的な考え方をするようになった。将棋ソフトの研究をして、そりゃプロや高性能のパソコンは13手とか読むのかもだが、3手読みくらいで目先の駒得を追うだけでメキメキ強くなった経験があるからだ。
深読みしてではなく、何となく竜や馬を捨てる詰将棋の「損して得取れ」みたいなのが「損は後の得」みたいな行動原理になっていた。それが損得を近眼的ではあるがハッキリ見極めるようになって、貯金も出来て資産も出来た。家財道具も増えた。
ただ、友達とメシ食ったり語らったり遊んだりはめっきりしなくなった。人間不信になった時もあった。俺が損して得取れだから俺と付き合うと得だと思って人が寄って来るだけで、好かれているとか信頼されているわけではなく損得で釣っているのだと。そういう人は用心すると「もう騙せなくなった」と思われて離れて行った。
だからゲームは専らコンピュータ戦ばかり遊ぶようになって対戦野郎ではなくなった。それから、対戦型ではなくとも作品が好きとかで、ネットに仲間が出来て来た。
以前いた対戦ゲーセンの輪はそれはそれで人がいて社交があって賑わいも物欲しくなることがあるが、先立つものコミュに参加する交際費が惜しい。
けど、今日は先日にスーパーで買ったアーモンドチーズあられを食って、100円でも使いようで幸せになれるなと思った。だから古いバージョンのバーチャ4でも100円貯める感覚で取り組んだ。
そこまで行くと、このブログも何か意味あるのかと自問するけど、まあ日課だから続けている。けどネット検索して自分のブログにぶつかった時に、もうネットでブログを書き合って情報交換するウェブ2.0みたいなのは終わったのかもなと思う。明らかにウェブ2.0はもっと前に終わっているが、その名残すらもう細くなっている。
まあ普通は動画かSNSよな。録画配信するかというと、その熱量ももう無いし、自作ゲームは2万8000ヒット、ゲーム動画は数百あるけど、アーマードコアを撮って見たのは1年で3人くらいしか見ていない。
バーチャも撮るほどの事ではないというか、手順がどうこうよりは反射神経とか相手の技を覚えてガードするあたりに大事なポイントがあるゲーム。
なんだかなぁ、つまり誰かと話したいけど話相手が居なくて独りブログを書いている。けど不思議と寂しさは無い。自分の考えがまとまるだけでも良い。リアクションはカウンタしかないけど読者はたぶんいてくれる。
けど、この20年続けたライフスタイルのブログ執筆てのも、いつまでやるんだろうかなとは思う。10年やって芽が出ないのは才能とか無いんだとも思う。ネタを同人誌にしてもらって献本をいただいたという事もあったが、残るものでも無いかなと。
けど過去ログはささやかではあるが生成系AIの元ネタとかには多分なるので、科学技術の一端として貢献できたと思うことにしよう。俺が書いて誰かに読ませる前に、俺がもっと人の本を読んで新しい事を勉強しないと豊かにならないとも思っている。
そう、俺の気持ちが柱で、誰かが俺の事を知ってくれたら、存在証明みたいなことを執筆に求めてきたんだと思う。それはそれで悪くはないんだけどな。