
別に勝ち負けにこだわらないなら、カードの絵柄を見るだけでもMTGは楽しめる。
それでも俺はゲームで人と競った時期があって、今はコンピュータゲームを独りで楽しむのが主軸だが、MTGを楽しむときも絵を見ながらもデッキを組んで大会に勝つことを想像しながら遊ぶのだ。
だから「やりたいこと」以上に「されそうなこと」への対抗手段などがそれこそカードの種類分無数に浮かぶわけだが、クリーチャーを並べて殴るだけのデッキでも稲妻系の「焼き」、神の怒りなどの「全除去」などは想定してしまう。
ただまあ、地方のショップを回ってみてもレベルの高い低いが顕在するほど何度もデュエルするわけでも無く、60枚繰って7枚引いて始まるゲームが山札半分行かないくらいで決着するわけだから、相手の実力というか潜在能力は半分判れば良い方で。
そして仮想敵が最大限強い想定は、トーナメントで勝ち上がって上の方でわかることなんだけど、今までよくスパイされて上の方に自分と同じデッキが取られている負け方も良くした。じゃあデッキ構築のポテンシャルとしては上位と同じくらいあるのか、というと、そうではなく、もっと強いデッキがあってもそれで出ると真似されるので、どこかの強いやつのデッキをひとネタ奪って出ている上位陣のやり方なのだと分かった。
大会に出るのはもちろん賞金が欲しいからだが、最近は宝くじを買わない人と同じように当たらないから、買うカネを他のことに使おうという発想で、なるたけお金を使わないように集めたガラクタを繰ってそれで遊ぼうとしている。ショップ大会で景品を貰っても、それでもやっぱり参加費と商品の定価より安くカードをいっぱいもらっているだけの話で儲かるわけではなく、セールの一環だろうという当たり前の結論。まあ、当たらないよりは当たる方が儲かってはいるのだが。
先日ルーブル美術館に強盗が入る一件があったが、狙われるものが絵画ではなく宝石や王冠であったことから、絵画が無事でそれと同様、絵としてのMTGのカードの価値というのはトーナメントでの強さとそんなに結びつかず、しかし俺個人としては絵の嫌いなカードはそんなに強くても使いたくないという純然に勝ちとか優勝を目指す上では邪魔になるかもしれないこだわりがあるんだ。
まあ、負けている以上は相手から学ぶのが早道ではないかと安直に考えたが、自分で考えたことを「それは違う」と否定することで相手の芽を摘む狡猾さがトレカ界隈に蔓延しているように思う。カードの強さは他のカードの関連性でも変わるので「このカード強くない?」「そんなことないって!」などと言って、ブレインストーミングの反対に意見の芽を摘んでしまい、反対に弱いカードを「強そう」という子がいたら「ホントやねぇ」とカラカラ笑ってどんどん想像を膨らます。ファンタジーのゲームなので実際のデュエルではなく絵柄と書かれた数字と能力の連関で想像が膨らむところが面白いのだから、本人は楽しんでいるかもだが、そういう罠にハマってコンボとかではなく素点の意味で高いカードとそうではない弱いカードを「同じくらいの値段だよ」と騙し取られてしまうのである。マナ、パワー、タフネス、効果などパラメータが多く、理解できないものが頼るその店売り価格という奴は博打の親を取りたい相手方が決めている。
そもそもの収集に構築にサイドボードにシャッフルにプレイングと色々な要素が大会には絡むからその中でレートが高い事はもちろんそれがルールだから絶対ではあるが、レートの低い人とは付き合う価値がないくらいの時期が俺にもあった。偏見だったと思う。反対にレートの低い人と付き合って、レートの低い地方の店舗大会なら勝ちやすいという考え方もあるが、いやらしいのでやめておく。そもそもMTGってやつがな。
まあ、トップを狙うというのを諦めてはいけないとも思うが、それに対してどう言う取り組みが出来るかというので、散財してしまわず遊び仲間を作って俺は奈良なので奈良のショップからクランを作って挑みたいと思っていたが、三条のショップも八木のショップも仲間は出来なかった。何人か顔見知りが出来て、奈良で何度かやり合ったが。
ストIIでも野球でも競い合ってから「なんでそんなことやらなアカンねん?」と俺の闘士に水を差す人の方がほとんどだった。ただまあ、30代に25歳でストIIX米チャンプになった噂がチョットだけ広がると地域の応援が無いわけでも無いが、野球の観客の野次と同じで、参加して協力しようという雰囲気ではない。ただ辛かった。
んでいま47歳。まだやってんの?というと、もし続けていれば俺の年で上だった人はみな老人会なわけである。けど店をチラッと見ると子供が遊んでいる。末永い商売としては業界的に成功したのだろう、高校の時にまさかと思ったスクエニ社のガンガンコミックスが本当に売れたみたいな「アホちゃうか?」案件に自分も乗っているのだ。
まあMTGのコンセプトはトレーディングつまり物々交換による収集がひとつのテーマで、お金というとその対価で買えるものが無数にあるおかげで価値が安定しており、誰しも100円くらい1000円くらい1万円くらいと思っている品物があるだろう。そしてトレカも元来安いものであるから、気軽に譲って相手の欲しいものと取り替える、その最初の方の「欲しかった」直感に従って、欲しいものを手に入れてゲームや大会としては結果として負けても「欲しかったもの」が手に入っていればそれで得なのだ。
ただ、その市場価値が後から変化して「アレ持っていたのになぁ」となると、心理的に罠にハマってゆく。しかし何故欲しいものと替えてしまったのかというと、幼稚な目線ではそっちの方が良く見えた、そして幼稚園からお金を稼ぐ大人となって値段でみてしまうようになったのだ。
ただ、おもちゃを買ってもらう子供でも、おもちゃ屋の値札の値段くらいは読める。大きい玩具を買ってもらえなかった子でも、1枚の絵札が宝物のこともある。
先にも書いたが、ルーブル美術館から強盗が宝石を盗んでも絵は大丈夫だった。その事からもう一度価値を考え直せばMTGのトレカ1枚の値打ちも分かって来ようというもの。