
このところ白青緑にこだわっていたのはMTG公式景品等級の1等品が白だからで、その変なこだわりを捨ててデッキを組むにもどうにも手持ちカードの品ぞろえがなぁ、と思ったのだけれど、ありったけ多分300枚チョットを繰りまくってひねり出してみた。
シールドと考えると多すぎだが、ドラフトテーブルが15枚3パック8人なので人に取られることを加味しても360枚から自分のデッキを選って十分強いので、そう考えるとドラフト強デッキくらいには強いデッキになっていると思う。
長いこと理想に思っていた蘇生クリーチャーと青のドロー操作と赤のボガーダンの槌の組み合わせの現実はこんな感じなんだなぁと妙に納得して腑に落ちた。
最近、ゲームに対して攻略を論理的に考え過ぎて自分の考えであっても論理というルールに基づいて計算した結果のトレースなので、マニュアル通りの感覚がぬぐえない。
もっと自分の「やりたい」とかゲームの偶発性への驚きや喜びを得るにはどうしたものかとGrokに問うと「ちょっとアクセントを加えて驚きを取り戻そう!」という素晴らしい回答が返って来た。そのために強くてつまらなくなった白デッキを解体して黒で組みなおしてみて、そして自分でも驚くほど新鮮な感覚が得られたのであった。
欲を言うと青のカードでバウンスも支配魔法も入れる余地が無かったこと。黒のリアニも入ってないからね。それでも飽きたデッキをするよりは、これならどこぞに遊びに行って試合をしても新鮮で面白いかもなぁって、そんな場所や相手ホントにある?
(ここまで昨晩書いて下書きとした)
一夜明けると心がかなり軽くなっていた。自分の心の闇は子供の頃のファミコンの女神転生やウィザードリィの悪魔の映像に、怖がることなくその力が欲しいと思ったほどであった。
そして、論理、客観、実証の三要素を繋ぐのはMTGの色イメージでは青だが、俺のもうひとつのイメージカラーは赤であって、青赤双方の親和色は黒。「いいもの」でいたい、いちばんが良い、など白くなりたい俺もいたのだが、黒になると赤と青を統べることが出来る。この力こそが俺が欲しかったものだ。
もうひとつ、俺が始めた頃のMTGでは赤のシヴ山のドラゴン"Sivan Dragon"はリアニくらいでしか使えないという評であったが、原初の下手くそ同士の持っていないMTGではドラゴンは恐ろしいほどの強カードである。
だからドラフトでドラゴンを使うことがあったが、その「ズルなしドラゴン」が俺の当たり体験とか成功体験であったことも思い起こされる。
まあ悪魔ってんなら奈落の王"Lord of the Pit"が買い始めた頃に当たったのも思い出。
30代でやっていた頃は三条まで出かけて店の主人の計らいか運否天賦かシールドでドラゴンが三度も当たったが、悪魔を持っている子供がいて、ちょっと大きくなって八木の大会でも当たったのを覚えている。地元の仲間のナンチャンとの仲違いも思い出した。つるんではいたが、心は開いていない。ナンチャンは"Abyssal Spector"と"Dradge Skelton"が好きだったようだ。
MTGも競技としてのシーンに俺は強く絡んだが、TRPGのように懇親のためのボードゲームの一環として見ることも出来て、そんなにガチでやらない人からしたら、俺は「強すぎ」というよりは「勝ち過ぎ」で、プロでレートの高い人でも懇親の場面ではもっと負けてくれたりするのかもなぁ、などと思った。
悪魔を使って懇親か?と思う読者もおられるかもだが、白が絶対王者だと他の四色はつまらない負け役なので、5色にそれぞれ旨味があるように考えられているし、それをプロだからと一次元の一位から五位のレートに再配分するのもおかしい。
直線的なレートで表現しづらい五角形をゲームで上手く表現しているわけだから。まさに"Unholly Strength"な五芒星の関係。いや五角形が親和色なら五芒星は対抗色か。するってーと黒を取ることで対抗色となる赤と青を結んでアンホーリー。それはホーリーな白でも対抗色の緑と青を結ぶこととなり、俺の何処かがまだ緑と青を結べていない、つまり俺は白ではない。
論理性でもって自然と仲良くできるか、というのではなく調和と秩序というのは知恵と自然の中間的な考え方というあたりが白の思想にあるのだろうな。俺はそうでない。
まあ、非科学的なファンタジー世界の話なんだけど、占いが何故当たるかというのにデタラメでも聞く人がいたら当たったと感じることがあるから、みたいなのが論理的な答えであるわけだが、半分当って半分信じたら25%くらいが信者になるその数理も分かってしまう気がした。
しかし懇親と言ってもオタ世界なので、仲良くなってどうというとファミレスに団体さんで入って昔のTRPGの話などしてそこがオッサン組で年下だからいじめられて居心地が悪くて自然と離れたみたいな過去がプロショップ時代にはあって、この年でこの趣味ではやはり年下の新しい仲間が出来るのかウザがられるのかいじめるのか、奈良三条ではおばあさんがやたら多いのでお孫さんを見守るように店でゲームで勝って景品の取り合いというのは良しとされなくて閉店みたいな事情はあった。
英語の勉強になると思ってさせていたのにと泣いていた親もいるが、店の大会もう日本語版使ってたしな。
けど30代、派遣社員の仕事の切れ目の暇な時期には収入が無いわけでパチスロ勝つとかトレカの景品もらうくらいしかカネの増やし方を思いつかずにトレカショップの子供を鴨ろうとしたあの頃の俺がまあ間違っているのだな。
俺は俺なので昔の俺は許してやるとして、今後は子供やお年寄りにやさしくなれたら良いんだが、それも何処かから「やさしくする代」を出してもらわない事には自腹で負けるのは痛すぎるわけで。大方店に出てもお金持ちのお孫さんとおばあさんが相手なら、そこでさらにいい年したオタク兄さんの会で懇親しても妹さんくらいしか年頃の娘さんと出会うケースはなく、トレカオタ界隈で結婚出来たのも誰かのオタク兄さんの妹ケースを数件知っているが、まあそれは今更なので婚活なら婚活パーティでも行けと。
婚活と分けてMTGの懇親に何か意味があるかというとパチスロ屋とギャンブラーの関係でカネ払って遊んでもらわないとという店からしたら、景品ゲットが独りに集中するのもよろしくないのも分かる。けど最近600円だか700円に値上がりしたカードのパックを売るためにイベント売ったり何だかんだと忙しそうにしているプロを傍目に見ると、もう買わないから金策に大変になってもっと苦しめって思うよな。
まさに青と赤ではなくそれを統べる黒のグリクシス。自分の心の闇ともっと向き合わないと、心は満たされない。確かに知性の一端である青の要素も俺にはあるかもだが、その対抗色である怒りの赤がグツグツと煮えたぎっていて、その理由足るや暗い動機であるとすると、ナンチャンとの仲違いもいや年頃の男同士というとライバル関係が出来てもおかしくないが男ばっかりの女役でかぶっていたとかもあるだろうからな。
ちょうどNHKも「ばけばけ」だし、骸骨やらゾンビやらのカードが何のためにあるのか、自分でそれを使って遊ぶという事は世の中にはそういう役の人もいるってこと、そういうものがあるって事に対して肯定的に生きることで、また明るいものではなく暗いものだろうけど、その暗さがそのまま許される社会、いや許されないから知識と怒りを総動員で戦う姿勢になっているのかもだよな。とかく赤という攻撃色は俺にある。
まあ、青黒赤とかグリクシスと言わずに「青赤」くらいで親和色の黒を隠して言うやさしい知性を持った人もいるが、世界の国旗色には青赤白があって、そこが今世界でいちばんヤバい国だという現実にも目を向けなければならない。白じゃねぇんだ。黒なんだってのを魔法世界から訴えているクリエイターがいるって事なんだよな。