ハイスコアも大会も存在証明だった

 俺はいなくなった。いやいるだろ?こうして毎日ブログ書いてるだろ?

 けどSNSで昔のゲーム仲間がゲーセンを行脚して「最近カーメン見ないね」と思っているかもしれない。ゲーセンに毎日顔を出していれば俺はそこに「いる」

 それが最近ではどうだ?ゲームを作って発表してみたりブログを書いていて作品で知ってくれる人もいるが、対面の付き合いは皆無である。相手が知っていると思っている俺は作品の作者名でしかないかもだし、このブログは本当に俺の人物像の全てか?

 そう考えると、対面で会って来た昔の仲間もほんの片鱗しか知らない事になる。それは例えば同居の親父でも俺が生まれて物心つく前の若い頃は聞いた話から想像するくらいだし、若い頃の写真も無い。それに俺の良く知っている白髪で七三で作業着を着ている親父だったのが最近居酒屋で女でも出来たか髪を派手な色に染めて油を付けてまた別の人のようであり、まあそれでも親父は親父なのだろうとは思うのだが。

 朝、アップルデニッシュ、トースト、コーヒーを食してから梨を放ってあるのを剥いて食った。ちょっと傷んで透けている部分があった。けど、こうして俺は梨を剥いて食って文筆にして伝えているが、本で読んだ「梨を剥いて食った」は反対に虚構であるかもしれない。奥さんに剝いてもらった事しかない鉄道オタクが自分で剥いたことにした方がカッコイイからそう書いただけかも知れなく、そして俺もまた人から読まれるときは「ホントに剥いて食ったのか?」という嫌疑で持って文筆を読まれると文の意味はない。記録として書いている事なのだが、主観からの世界でしかないわけだからな。

 俺は子供部屋で本に囲まれて育った。勉強机の隣の壁一面の本棚。読書以外はファミコンと姉の少女漫画をこっそり見たり、ラジカセでかかる光GENJIと壁のポスター。それにミニ四駆を走らせて蓋を痛めてしまったアップライトピアノが狭い部屋に無理やり置かれていて、外で遊んだこともその都度覚えているくらいに少ない。

 そんな俺はやがて虚構の中に生き、ゲームの攻略本だけが本に書いてあることを画面で確認できる唯一の真実だった。理科はまだ分かるが、遠い昔の歴史なんて興味も持てなかった。国語は心情をトレースできる文学だけ分かり、算数は商売屋の子供お前が計算を一個でも間違えてはいけないと親父に脅されて恐る恐るの満点だった。それは高校数学になって成績が悪くなっても、テストの時はただ恐々と問題を解いていた。

 本が全ての俺は中学で悪友にゲーセンに連れて行かれそこで俺が雷電をすると「こっちやろうぜ」と誘われたのがストリートファイターIIの台。ひょっとこみたいな土井八太郎が「ダブルラリアットや!」回る赤パンツのレスラーに喜んで叫んだ。「あ、やっぱファイナルファイトやんな」吉井が言う。その時は見るにとどめた。あんなプロレスの何が面白いのだろうと思って見ていた。

 その同じ台を近所のジャスコのゲームコーナーで見つけて、ひとりでこっそり遊んでみた。色々なキャラがいて迷っている間に時間切れでキャラが決まってしまった。相撲取りになった。後悔して、もういちど遊んだ。リュウを選んだ。

 そののち、中学の仲間が集まっているところに地元の公立中に進んだ不良の堀田が「お前ホンダやろ?」と寄って来た。見られていたのだ。「リュウだ!」「子供かよ?」

 それから高校の先輩がそれぞれブランカ、ガイル、春麗で集まって遊ぶ間に俺のキャラはいじめられキャラを笑いに変えようとおかしなダルシムになって行った。

 そんな俺の近所の本屋にゲーメストが届いた。ストIIのプレイヤーが顔写真付きで載っている。今までの活字だけの読書以上に没入して読むようになった。

 それから彼是10余年、結局雑誌の白黒欄に小さく「カーメン」と載ったが、その頃の地元の知り合いに俺がネットで「カーメン」というハンドルネームで活動しているのを明確に知るものは無く、とぼけて困らせたのもあるかもだが「俺載ったんやって」「カーメンって書いてあるやん」「俺がカーメンやねんって」「お前カーメンなん?ホンマにぃ?」でそのまま俺は近所の人間ともう付き合わなくなった。

 さらに数年、戦場は格闘ゲームからシューティングに変わりJR駅前のゲーセンというかレンタルビデオと書店の付いたゲームコーナーでスコアをやっていた。地元の店でハイスコアを出して掲載されれば文筆界での存在証明と地元の人間とのリンクが一挙に成立するだろうと思っていたからだ。その夢は叶うことは無かった。

 今の俺はスーパーにたまに買い物に来る変なオッサン以外にこのブログしか社会と接点を持たない隠者である。もちろん家族親戚が居ないわけではないが、互いに連絡を取り合わない疎密で言うと極めて疎な関係の家族親族なのである。

 まあでも同居の親父もいつかは先にいなくなるだろうし、その前に結婚して子供が出来て家族が出来たら、子供がいじめられたり子育てが大変だったり、危ない目にあわされたりしないだろうか。不幸な俺が子供を持っても子供に幸せを与えてやれるだろうか。年金問題やSDGsなど社会課題も俺の子供の頃より大変になっていないか。

 けど少なくとも、子供に本での勉強や受験を押し付けないようにしなくてはなと思うようになってきている。未来の嫁さんは子供に高い教育を求めるかもしれないが、まだいない嫁さんなので話し合う前に実体を持ってもらわないと話にならないが、独りで幾らでも考えてしまう。

 俺は独りで梨を剥いて食っただけで、何を一生懸命に書いているのだろうか。記録のない記憶を文面に直すことと、妄想を書き連ねることの境界線の中で、俺の書いていることが読んで面白いとかためになることと、事実であったということの線引きのどちらが大事だろうか。

 昼は親父が電話をかけてきてくれて、マクドに行くから何が良いということでチキチーを頼んだ。それとポテトとホットコーヒー。どこにでもあるマクドの読者も食べられるメニューが大衆の読む文筆での広告として価値があると思うのだが、そんなに多くの読者がいるわけでも無いだろう。

 俺はここにいる。だが、どうやったら存在を証明できるか。文筆ではそのうちというかもう既にAIに負けるのだろうなと思い始めている。


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