トルネコ3異世界198回目(魍魎の匣一章読了)

 まあトルネコ異世界198回目です。先月からほぼ日課でしたがこの数日休み。

 クリア報告の中にはチートの疑いが強いものもあるものの「解ける」と信じてプレイする中で小さな発見の繰り返しがやがて考え方を刷新するに至ったケースもあり、明らかに暇してぼーっとするなら、まあトルネコ3に挑むのも悪くなかろうと。

 今朝は積読消化が進んで、頭がスッキリしてきた感覚があった。ずっと頭の中にあった鉛玉のようなものが取れたような、不思議な感覚。寝覚めの良い朝の感覚が午前中にふと訪れた感じ。

 平均点の呪いというか、劣等感とか優越感というのもそれを持つに至る背景があり、俺は専門卒だから大学生とか大卒が無条件ではなく学歴を条件に優越感を持っているのは生きて行く上で認めないといけないし、しかしだからといって高卒より優れているとしてもコンピュータ関係しか優位性が無いというのが悩みの時もあった。

 高卒か専門卒か大卒か、以外に大卒同士でも大学ランキングがあるのだが、旧帝大、その他国公立、良い私学、普通の私学、経営難の私学などで受験偏差値で測る人が多いのだけど、受験偏差値で測るという事は高校までの勉強で測っており、大学で何を学ぶのかという点に着目しないと高卒が試験に通って威張っているのと変わらない。

 しかしまあ、大学も教育内容を秘匿化して授業料を払って進学する学生にしか教えないようにしないと成り立たないから書店や図書館で大学の内容を簡単に学べるかというと、これは明らかに秘匿されていて、対してコンピュータの専門学校を出ているという俺の唯一のアドバンテージは高校の情報科目の追加やコンピュータの製品としての普及に基礎技術が隠匿されて利便性が享受しやすくなった昨今、もっかい言うと俺の唯一のアドバンテージは無いに等しい。

 だが、そうなる間に大学のシラバスや単位から学ぶ内容を知って、自習してきた。高校の数学、生物、物理、化学の復習から大学で学ぶ内容まで踏み込みながら、しかし復習している高校の科目が高校の時に試験準拠で点を取るために問題を解く学習から、より高度で専門的な内容を理解するための復習となって、積読が増えて読み切れていない罪悪感のようなものと毎日隣り合わせの引きこもり生活で、ついには部屋にテレビを置きテレビ見ながらたまにゲームしてネットにかじりついてSNS見て、勉強は進まない。

 この生活の中で、それでも少しずつ読んで、そして特にこのひと月くらいは病院の先生に「今は休むことです」というアドバイスをもらっており、信じて布団を丸めたものによりかかって「ぼーっとする」ということを毎日続けていたら、どうにか詰め込もうとしていた勉強が不意に「また読んでみようか」という風に前向きになってきたのだ。

 それで、ひとまず机の上にある京極夏彦魍魎の匣を1章100ページまで読み終え、多変量解析や分子生物学の本をペラペラと眺めながら、興味のあるところを拾い読み、そして今までしてきたバラバラの勉強が少しずつ繋がってゆく感覚を頭部への軽い刺激のようにピリッと感じた。

 それから昼食を取って、さっきトルネコ3をちょっと遊んだ。198回目。

 ITと言っても20代の事で、30代からは派遣SEと言っても電機メーカの組み込み開発が多かった。ひとつの機械と心中しろと言わんばかりに会社は俺を何かの専門家にしたがり、他方で俺はスキルアップを求め、それに応じてステップアップの手引きをしてくれる人も無数にいた。

 ただ、大学で広く学ぶのと違ってコンピュータ一辺倒は嫌だなというのが、俺が専門学校の時に周りから言われた事だったが、コンピュータ関連、IT全盛となっているのに、やはりそこで時流に乗れず、大学で学ぶようなことを勉強し始めたのが皮肉である。

 お金では替えられない、何かをこの生活で掴めたと思うけど、じゃあ職場に残っていたらどうだったか、大学でも理系を卒業した人の勤め先もやはり昔の俺と同じく電機メーカの人もいたのではないか?とも考えられる。

 やはり、時間を自分の好きなように使える上で、興味のあることを学びたかった。

 幾らお金が良くてもITに戻るのは、まあ業界の変化で戻れるかどうかも分からないが、じゃあ何を仕事にしたら良いだろうってのも時々悩む。今の生活がいつまで続くのか、このまま死ぬまで続けられるか、環境変化がまた外部要因でやってくるか。

 まあ、主観としてはコンピュータ一辺倒に学んだような事でも、ゲーム理論ゲーム理論であってコンピュータゲームとゲーム理論、数学も計算機科学と数学という風にプログラミングとセットで覚えたことも幾つかある。

 んで土台、勉強机がパソコン机で日課のこのブログで文筆を20年以上続けている。そして賢くなって何をしたいかというと、賢くなったら何もしなくて良くなるみたいな幻想が俺を勉強へと誘っていたこともまた事実なのだ。

 勉強したら、それを応用して何か人の役に立つことをして対価を得なくてはならない。そういうビジョンを持った人がコンピュータを利用する時にその細部の詳細設計という昔の俺の仕事があったわけだろう。

 コンピュータを何に使うのか?という漫然とした問いは毎日無数に飛び交う。それは俺がコンピュータ技師という自意識を持ち、コンピュータの操作しか特技が無いからだ。ではそうでなくなるなら、仕事って何処にある?農業畜産飲食、自動車運搬、工業精密機器、だいたいの就職口の大科目の中でエアコン効いてて座ってできるパソコン操作を選び取ってきた俺が勉強を追いでしてもっとしんどい業種に行くのか。

 そう考えると、パソコン仕事で勘違いでも優越感を持っていたのはラクだった。プログラマは賢いくらいに思えていたからだ。

 そしてAI全盛の昨今、賢いプログラマは他にも幾らでもいる。ただ労働市場にはいなくて、何らか稼いで暮らせる仕組みの中にいて、会社が探そうとしても見つからないようなところで仕事をしているだろうなとも思う。自分はそう成れるか。

 当面はさらに勉強かなと思うと、また朝のスッキリとした感じから、鉛のように重い感じが頭の中に入って来る。これをこの先に幾度も繰り返すのだろうか。

 蠢くような劣等感も溶けて来た。優越感とか劣等感というのは何でもかんでもドラクエのレベルのように一元的に上下関係に転化しようとして起こる発想であり、同じドラクエでもドラクエIIでは王子王女が3人おり、ドラクエIIIでは4人パーティがそれぞれバランス型の勇者、力と体力の戦士、回復補佐の僧侶、賢い魔法使いとこう分かれていて、まず無前提に自分たちは賢さを測り合う学歴ヒエラルキーの中にいるという所から学歴コンプレックスが始まっているわけだが、俺の知り合いの中で最も学歴の高い某氏は「殴られねえかと心配になって来た」と言って俺のSNSをブロックした。

 曰く日東駒専。専門学校と専修大学は別だが、専門学校の正式名称は専修学校である。日本にはそういう隠語が無数にあってややこしい。

 エアコン効いててパソコンするのがラクだと思ってそうしてきたが、力作業も重機でする方がラクというより人では到底できない仕事が出来るので、当然トラック運転手とかもガテン系より拘束時間以外ではラクな側面もあるのだろう。

 そして最近の劣等コンプレックスの原因はトルネコ異世界が越せない事に起因する。克服できる日が来るのかどうかは分からないが、並行して読み進めた本(魍魎の匣)が一区切りついたところで、少し何かが開けてきた感じのする日ではある。

 さあ、特に俺の場合STG、ドラクエIIIストII系の色が強いので、また全然毛色の違うゲームを探すくらいから趣味を見直しても良いだろうとも思えてきた。

 少ないお金で出来る趣味も常に探している。ギターは良い趣味だった。ここはブログで発信するのではなく、読書もそうであるように堪えてインプットに励むべきか。

 そうしている内に月日が経って仕事を探せていないのだが、それもまた良しとする。

 お金のかからない趣味をしている間に月日が過ぎて働いていたらお金が貯まったかもしれないが、働いてお金のかかる趣味をしている間に月日が過ぎてお金が貯まっていないのが昔の俺で経済好循環ではあったが社会の歯車として自己犠牲の感が強かった。

 もうちょっと利己的に得をして行く事をゲーム理論から学んだが、役に立っているのかというと俺の役には立っているが、俺が人の役に立っているのかという実感が少ない。人は自分の役に立つものだけを役に立つという。自分軸か他人軸か。

 まあ、リアクションは薄いが読者もいることだし、このブログも誰かの役には立っていると思って締めくくることとしよう。


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