トルネコ3異世界201回目を始めました

 まあ特筆すべきことは何もないけどクロムシールドで5階のモンスターハウスに勝利して「しあわせのたね」無しで6階レベル6で19分35秒。操作も慣れて速くなってきているのだと思う。パンが腐ってもめげず白紙の巻物をパンの巻物にして耐えることも視野に入れながら諦めずに進んだら「きょだいなパン」が出てくれてひと息。中断。

 ブログが全部トルネコ異世界の話になっちまったわけではなく、トルネコ日記と言いながら色々なことを書いてんだけど、すでに書き散らかしで自分で読み返すことを放棄している感がある。俺の中身は幼少期、小学校、中高、バイト、専門学校、メディックス、ユニオンシステム、富士通、浮浪、帰省、入院、シャープ、スクウェアエニックス、復職、退職、そして今まで割と断片的で環境変化が多く人にまとめて話すのは難しかったが、長話は長話として昔から現在までの順で何を考えてどういう意思決定をしたか人に言えない狡猾な部分まで含めて自分なりに失敗も反省して整理出来ている。

 「働けど働けどこの暮らし楽にはならず、じっと手を見る」という徒労感がある。過去を振り返るとだ。退職してから7年経つが、その間もゲームを作ったり、25歳のたった1回の世界大会優勝を胸の中にそれをもういちど証明したいと仕事のように格闘ゲームバーチャ4に鉄拳5カプエス2などをした。やめてしまうと自分が何者か分からなくなるのが辛かった。

 それが今は、もともと何物でもないというか両親のもとに生まれた宮澤郷介以外の何物でもなく、派遣SE時代にハロワから派遣会社に就職しているのに、仲介業者の名刺を持って客先に出向せねばならず、客先では仕事内容は社外秘という制約が辛過ぎた。こうして吐露しても理解者は少なく、俺を取り巻く環境も特に変化はない。いや会社辞めて家にいるんだからと思われるかもだが、抱えた仕事としての派遣SEの自意識は退職後も復職を考えて勉強を続けているので、無給で働いているくらいの感覚なのだ。

 これもゲームのプロと一緒で辞めてしまうと自分が何のために20代と30代を捧げたのかという自己矛盾に耐えられない。イチローや大谷に先立って日本からメジャーに参戦した伊良部投手が沖縄出身でのちに自殺したことを、今朝あらためて知った。

 そんな俺が朝食を取ってテレビを見て寒くなってきた外でタバコを吸って、タバコは旨いのだが部屋に戻って暖房を入れてDSの電源を入れてトルネコ異世界201回目に挑んだのは、幼いころから座敷に家族がいて、テレビは常時ついていて、自室にこもってゲームウォッチの電源を入れるのと何が違うのだろうと思うほどである。

 あとは積読の乱読。手に取ってパラパラめくって気になったページを読む。

 読んで育ったのだから、こうして書いている今が自己実現のひとつの形ではある。ただ生計面には親の死後のことまで準備できておらず、どうなるのかなという不安感がある。働くというのは結局それは普通の人にとって現実社会であるかもだが、とりわけ俺の場合は家を継ぐという定めに対するアンチで現実逃避であった。ゲーマーのカーメンというハンドルネームをゲーセンやオフ会で演じるのもこの独り遊びの好きなくらい自分を晒せなかった仮面をかぶったパーティーピープルだったかもだ。そんな奴は多い。

 まあ、自己分析すると「俺はこうなりたい」という人物像を読書でまだ見つけられていないまま、小学校の日記のノリで文筆を続けているのだと思う。死ぬまで書くか、書くのをやめるかもちょっとは考えないといけない。プログラマーもそう成りたかったかというと、売れない物書きブロガーとして生きるためには身銭が必要で世を忍ぶ仮の姿というか、先にも書いたがその現実に現実逃避感があるのは20代で心機一転フレッシュマンとして生きようとしたからだろう。

 そのままスキルアップや年収アップを夢見て勉強しながら、現実には退職しているので非常に持て余した感じがあるのだが、やり切ったというには独りになってからのゲーム制作は真面目な部分もプログラマなら分かるだろうが、絵描きに関して不真面目だ。音楽は結構真面目にやって、今も続けている。

 そして毎日そのやる気の無さを文筆で昇華できないかと駄文をサラサラ書いている。

 何となく過ごしてきた日々の中、朝からブログを書いて9時52分まだ今日は半分も過ぎていない。この感覚なら、何か趣味を詰め込む時間はあるよな。時間の余裕があって何かに取り組む下地作りだけは出来て来たかもだ。よし、今日の文筆はここまで。


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