
2階レベル4で7分01秒だった前回の続き、3階レベル5で14分28秒。
そりゃレベル4までの必要経験値が90ポイントでレベル5が200ポイントなのだから、7分から14分を超えるのも納得。ほぼ正比例に近い。測っても合っている。
20代くらいの俺はコンピュータ技師として自分の仕事は公共益になると信じていた。国家試験に通った情報処理技術者である自負と共に勤め先の会社に貢献しようという真面目さは少しは持ち合わせていた。職場の人との会話も必要最小限だったが、良い人で楽しかったように思う。
だが今は生まれ故郷と言って良いか、生家は商店でその商店街に戻ってお商売つまりお金の取り合い、個人利得のほうが合理というか郷に入れば郷に従えで周りの人間も生計のために商店を営んでおり、何でも言い値で買うともれなく相手の利益が付いてこちらが損をする商店街の習わしに従うと、個人利得でないと生きていけないのだ。だからそうしているし、資本主義自由経済である現在の政治の方針にも則っている。
公共益が何故公共益だったかというと、世間をしらず自分の給料がはじめ17万円で専門卒、他の人というとそれまで私学の中高に専門学校だったわけで、その間のゲーセンバイトも比較的性にあった仕事で当然中高の同級生は大卒初任給22万、専門学校の同期は親のあとを継いだりして悠々自適にコンピュータ・アートを楽しんでいる、そんな世界だと思っていた。
パソコンのソフトはコピー可能なので、作れば作るほどコピー出来るものの質が上がり、やがて最高級のソフトを備えたパソコンが市販価格で行き渡る。マイクロソフトウインドウズの思想までは知らないが、古くにそれはアップルマッキントッシュの思想であったことを30代に知る。ウインドウズのIBM-DOS/V機はマックの模造品であった。
まあおおむねクルマがポルシェだろうとホンダだろうとトヨタだろうと日産だろうと、乗って走れば問題ない人に取ってみたら同じような商品群で、俺も気付いたら広くパソコン業界として働いていた。それが20代にはマイクロソフト系のプログラマでありながら翻訳本を取り寄せて読んだりと勉強していて、ウインドウズXPの頃にライバルのマックを抜いたと言われた事があり、大変喜んだ。
しかし、株式で見るとトヨタと日産が桁違いであるように、米国でのアップル人気と日本でのマイクロソフトの普及の間には越えられない壁があり、すぐに抜き返された。MacOSXのお出ましである。この頃には公共益を謳って仕事をしていたあの宮沢が最高級品のマックを持っており何事ぞと噂されるとともにアップル社のケータイ参入がつまりiPhone日本上陸で今までの仕事は何だったんだろうと思うくらいに日本企業が打撃を受けて、国民はそれよりもアップルの新製品の性能に酔いしれた。
いや、それでこそ公共益になっているのだが、頑張った分だけ他の関係ない人も全員得をする自分の思想はどこか間違っていなかったかと後悔し始め、持ち物を全て差し出してペットの小鳥と裸同然で死んだ幸福な王子像のニュースに感情移入した。
「幸いにして」と呼んでよいか、生き残っている。ひどい時は全てを裏切りに感じて自分自身も人の不幸が蜜の味になるほど性格がひん曲がったが、生きた。いまコンピュータは誰しもが容易く利用できるアップルの思想に則って、自己拡張装置として利用されている。だが世界中の人間が自己拡張を同時多発的に行って、そこにあるのは国境を超えた貧富の差の露悪である。公共益と言っても広く取って日本全体、もうちょっと自己防衛をするとコンピュータ業界、または最初と同じで自分の所属する会社、そして一番大事な自分自身とすると、思想を貫くのがどれほど途方も無い事かと何度も嘆息した。
その、初志貫徹出来ていない何処かでひん曲がってしまった悔いは今の俺を支配している。しかし、心は大人になるのではなくトルネコ3を遊んでまた子供の頃に戻ろうとしている。ファミコン遊んで面白くて、学校で言ったら他にも持っている奴がいて「面白いよなー」と純朴に思ってみたのだ。
それがもしファミコンが全員分あったら、というか誰しもがファミコンよりずっと便利なスマートフォンを手のひらに持っていて、それでいて生活費が足りないという「どん突き」の問題が今日本で顕在化している。そりゃコンピュータはメシにも衣服にも家にもならない。足りていたはずの全員分のお金がコンピュータにも使われて、それで貧富の差が肯定されてしまったことで今日の食事も足りていない人がいる。
けど、俺が思うにこの格差は総務省統計局の標本調査ではなく本当に国民ほぼ全員がコンピュータを持って声を上げられるようになったから浮き彫りになっただけの元からあった格差ではないのかなと考えている。そりゃトヨタやユニクロの社長と歓楽街に農村に俺の住んでいるこの商店街も、一律同じという事は無いだろうという当たり前が、コンピュータワールドで個々人がネットワークを形成して明らかになっただけの話。
さてどうしたものかと思うのだが、社会利得や公共益というのがそれが過ぎて見て建前だったとしても、そう信じて仕事をしていた時とは違い、いま個人利得と考えたら、本当に何をやってもなかなか少なくともお金の得にならないもどかしさも抱えている。
まあ、まだ答えは見えないが、俺の考えている事をちょっと知って欲しいと思って書いてみた。思想がひん曲がってしまった人間なのだから、行動原理も方向性が無い。どう正せばまたやる気が出るか、先の記事にも書いたが以前作った将棋と麻雀をスクショ付きリンクにして、アクセスしやすくして、しばらく様子を見ることとした。
将棋も麻雀もカンパ(寄付歓迎)の998円の受け口はあるが、もってけドロボーでタダで電気代と通信費は取られるが、遊べるものである。しかし自分でクリックテストをすると、さっそくダウンロードボタンのある画面の広告欄に「ダウンロードなう」の偽ダウンロード広告が貼られ、紛らわしいけど広告主も邪魔に入らないとタダで遊ばれたら資金の流れが変わるのだろうな、どうしたものかと思うけど、俺の思想としてはタダで遊べる方が公共益になるというところをもう一度向いている。
その上で、個人利得となると、本当に次の一手が難しい。毎日それを考えている。