トルネコ3異世界211回目(一気に増えたな?)

 挑戦サイクルを早く回すため、アイテムの悪い回は「捨てる」ことを試した。

 明確に捨てて自殺するわけではないが、装備悪い時にレベル上げで粘ってもパンがなくなり倒れることもあるわけで、適度に降りてみてアイテム運が悪いと素直に負ける。

 まあ「一発」で解けることは無く運も必要なことは打開プレイヤーの方も認めてくれたようだ。死ぬときは3階でも死ぬ。その上で、目標スキルは「どんな時でも解く」から「何度かやって、運の良い時に深く潜る」くらいの元々のゲームの在り方に戻すと、気負いなくまた挑めるようになって来た。

 結果、207回目から210回目を捨て211回目で4階レベル5。これも装備が悪く捨て回かもしれない。鋼鉄の剣以上が出ないと3階で捨てると水さんも言っている。

 ただまあ、黒龍さんは棍棒で粘って越したことがあるようだ。ここは黒龍さんを信じてみよう。満腹度94でパンも1個ある。打開した人もいるが俺の自己ベストは20階で、それは実力であることを認めようと思う。210回やっているわけだから、その中の何処かに運良く実力があれば勝てる回も引いていたかもだが、越せなかったと。

 腕か運か、二元論的に考えがちである。風来のシレンテーブルマウンテンですら「あんなものは運だ」と投げてやめた人も知っている。たくさんいるだろう。

 だが、くどいようだが運と腕は物理学的な統一原理の下では宇宙の中で同じものかも知れないが、人間に計り知れないものを運と呼んだとして、しかしコントロールの効く範囲で運を制御しようとする人の営みがあるのなら、運か腕の二元論ではなく、はたまた運対腕の割合論でもなく、運量と腕量は同時に行列としてふたつの量があるという考え方も出来る。

 古くはコンピュータは0か1しかないので排中律が使えないという主旨の論を振るうものもいたが、そのころのマイコンは4ビット。8ビットから16ビットくらいになってくると、255とか65535という数に馴染みのある人もいるだろう。有限ではあるが数を扱える。その中で、0~255の範囲の中で「中ぐらい」を求めることは出来る。

 同様に、数を計算すると言っても「人生、宇宙、全ての答え42」みたいなSFジョークではなく、メモリを2アドレス使えば行列も扱える。運と腕がある。結局何やねん?というと、勝った人もいるし負けた人もいる。勝った人には運も腕もあったのだ。運が全てというわけでも無いものだと認めなくてはならないだろう。

 まあ、ここで俺ひとりで持論を展開しても読む人はそんなに多くは無いだろうが、俺にも分かり合えない人はたくさんいる。ただまあ、賢くなれば分かり合えなくても相手の論理構造を賢い方が一方的に理解することは出来ると昔からそう信じている。

 だから誰かに出来て自分に出来ない事があると、運動以外だとそれがあまりにも悔しいのだよな。悪い癖だとも思う。悔しさはバネにもなるかもだが、病気には悪い。

 それでも、俺だって人生の意味を結局最後は死ぬんだしと諦める一方で、成功者を羨んでいる。何かを掴むことだけが人生ではないよというアドバイスを素直に受け入れることも今まで難しかった。

 トルネコが3階で倒されたとして、それが運によるものなら、なぜそれを受け入れて負けを認められるのかと不思議がるものもいるようだが、若くして事故や病気で亡くなる方もいることを考えると、今自分が生きてゲームが出来ることもまた運は良い方なのだと思える。ゲームなのだから、運で負けることも然りだろうと思っている。

 だがチートで負けるのはな。せめて正々堂々とゲームをしようとしているのに水を差されたら腹が立つ。これは俺の一方的な感情なのだろうか。

 自己中心的かもだが、自分以外にどんな中心があるだろう。人を自己中心的だと諫めて操ろうとするのは年配の女性にそう言われた事があるが、その人の方が自己中だ。最近は女性の権利が上がってジジイだけでも大変なのにババアにも手を焼かねばならない。そのうえゲームとなると子供にも負けることがある。やれやれだぜ、まったく。


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