
たまにはカプエス2のノーマルエンディングを出してみた。これが平凡だろうか?
俺の趣味は最近ではギターもあるが、古くはストIIをはじめとする格闘ゲームとトレカのマジックザギャザリングであった。「なんでそんなものに夢中になる?」との問いに俺は「線形的には強くならないのが面白い」と答えた。線形的は音にするとセンケイテキで戦型的とか、違う風に取られたかもしれない。
線形的を辞書で引くと、線形数学のように物事の中に正比例の関係があるということ。二次関数や微積分まで線形数学に入るのか、という厳密な定義は恐らくなく、ちょっと格式ばった文言で格好をつけるための言葉で数学的な意味が辞書では「比例」くらいしか上がらないのがちょっと残念ではあった。
では「非線形数学」というものがあるかというと、俺はこの代表が行列であると思っているが、歴史的には非線形数学という分野は無く、コンピュータが起こってからはじめられた離散数学などが最近になって非線形としてちょこっとある。なぜちょこっとかというと、コンピュータを使ってプログラミングとして研究していたら、それはデータサイエンスなどと言われ、紙とペンを土台とした数学界隈で非線形を扱うこと自体がレアケースなのであろう。
俺は格闘ゲームを弾ジャンケンであると説明して、MTGのデッキが線形的に強くならないのが面白いとも言った。ドラクエみたいに経験値があってレベルが上がって時間をかけると正比例にキャラが強くなる普通のゲームに飽きてなおゲーマーであり、物好きとして酔狂な趣味として格闘ゲームやMTGをしている。
ジャンケンなどは数学で扱うには非線形の典型である。論理的にグーにパーが勝ちパーにチョキが勝つわけだから、線形的に考えるとグーよりパーが強くパーよりチョキが強いならチョキがグーより強そうなものだが、人為的なルール付でグーとチョキを合わせると何故かグーが勝つ。三すくみ構造というものである。
これが自然界に本当に物理現象としてあるかと問われると、代表的なものは食物連鎖である。太陽光を浴びて育った植物を草食動物が食い、草食動物を肉食動物が食い、肉食動物が死んで腐るとそれを微生物が分解して、それを植物がまた根から栄養として吸い上げる。これをジャンケンとするのは少し強引な気もするが、話をバクチに戻す。
ギャンブルは非線形であるので、その中にレベルアップのような成長は無いとする向きで見ると、それにカネを賭けて必ず負けるというのもおかしな理屈となる。等しく運で分配されるなら、打っても打たなくても期待値は同じになるはずだから、ただの遊びとしてカネを賭けるだけである。
だが、世の賭博というか公的に認められている競馬などのギャンブルは、掛け金からJRAが国庫納入金を引いて、8割ほどを勝ち馬投票券に分配しているわけだから、線形的に考えると等確率で勝ち負け両面続けると、馬券を100円で買う度に80円しか分配金は無くズルズルと負けることとなる。当然「打たない」のが必勝法となる。
それでも、100円の馬券が万馬券で1万円となったら、1ゲーム単位では勝ちである。だから万馬券に100枚分1万円をかけると100万円になり、1ゲームで100万円が当たるとなると、1万円を100回積立貯金するよりも時間的な即効性があり、これが人が賭博をするひとつの理由であろう。当たれば時間が得なのである。確率的にも、賭け続けて勝ったり負けたりを繰り返し、8割は残るので競馬代は100万円のうち20万円分に収まるという考え方もまたある。
それでも俺はある時から貯金をする非常につまらない生活をしている。線形的には打たないで貯めると競馬なら2割ほど得の計算だが、1回100円のストリートファイターIIもPS2でカプエス2を1日1回やると1年で36500円。2年もすると本体とソフトが買える。それでゲームコレクターをするのとゲーセンで対戦をするのとどれくらい違うかは置いておいて、中には大会優勝が当たるものやプロゲーマーになるものもいる。それは「当たり」なのだろうか?
否、ギャンブルは基本的には非線形の構造をしているが、その中の様々な手続きの成否を巡って小さな成功手と失敗手で線形的に何かが右肩上がりになる「技」がある。それが競馬にもあるのかどうかまでは知らないが、麻雀でも技はある。
では、技を持ったらそのギャンブルで勝ち続けることが出来るのか、という点が研究の最大のテーマで昨今ではそれはスポーツのように「ある」に軍配が上がっているから、eスポーツやプロゲーマーという新しい仕事が出てきているのだろう。
そうすると、博打は非線形数学から出発しても、その離散を読み解くと線形になるはずであり、線形数学としてアウトプット出来ることとなり、非線形数学という括りから線形数学に戻るわけである。
まあ、対空、コンボ、反撃などの確実なダメージポイント、MTGならカードの強さなどで差は付く。ただ、それでもゲームの根幹はジャンケンのような非線形の部分があり、その「技」はひとつづつ解明されても、構造自体を変えるには至らない。
そうすると、外的要因である競馬ならJRAの取り分とオッズ。格闘ゲームなら1回のプレイ料金と賞金総額など、詰めなくてはならないのは掛け金と報酬を巡ってのお金の歩合の話にどうしてもなる。
俺がMTGを始めたのが賞金200万円という広告を見たからで、辞めたのはショップ大会に入賞して3000円相当の景品がポンと当たっただけであってからである。
もちろん、ちょっとした催しでは親が損を出さないと掛け金よりも賞金が上回ることは無いだろう。だが、親が大きくなって、出場料以外のスポンサー収入なども加味されると、人によっては線形的な勝ち分がそのまま獲得賞金と正比例して勝ち続けて稼ぎ続けるというエンジンが回るという事も考えられる。
だが、その現実は賃金労働なのだろうなと思われる。運否天賦に思われるゲームの駆け引きそれ自体に答えがあるのではなく、ルールの隙間にひとつずつ少し得点の良くなる正解手があって、その積み重ねが集中を要してスポーツさながらである。
そこまで分かると非線形の部分に線形の答えが出るわけでは無く、複雑なルールの隙間の探し合いとそれを巡る研鑽であって、これは既に数学研究というより個々のゲームを楽しむ趣味であると言い切れる。
「そこまで分かったらやめろよ」という人もいるが、俺はある日からゲームにカネは使わなくなったが、今まで既に膨大な時間をその研究に費やしてきた。文中に「当たりを引くことが時短になるのが期待値損でも博打に賭けるメリット」だと述べたが、外れた上に時間も膨大に使ってしまった。
まあ、今日までの研究をまとめるた本稿をアップして、読んで誰得かは分からないが、今日の話はここまで。