仕事が無いので神をすることにした

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!宮澤郷介は本名です!

 さて、今日も朝からトーストとぶどうジュースを食って昼にスーパーのカツカレーをレンジでチンして食ったのに晩飯もCoCo壱番屋のテイクアウトカレーでカレーです。

 そう、我が家はカレー好き。ストIIではダルシムを操り、ストIIターボ国技館'93ではダルシムで出場して本戦1回戦で敗退しました。国技館で宮の姓をもつ俺が負けたら何のための神事なのだろうと思うわけですが、当時の世の中は受験戦争の真っただ中、俺は割と厳しい中学受験を勝ち抜いて私学の奈良学園に通っていたわけですが、分からない外野からはカネがあれば良い学校に行けるんやとやっかまれ、そして大学受験でその金持ちのボンである俺が負けることで受験の平等性が取り沙汰されたということです。

 今の世の中、平等なので貧富の格差が問題です。その前には身分社会があって、身分を受験で競ったわけです。身分が無くなったから平等同士で拝金になってカネの差しか興味がなくなったわけです。その貧富の差は主として商業から来るので、儲けを取るのが主眼ですが、広く人には節約が説かれ、確かに金持ちと言っても10倍差となるとなかなかで、けど俺が先日食った昼飯はほか弁の「のり弁」でこれが490円で翌日はレストランのランチで800円。これに200円のコーヒーを付ける土建屋ぽい二人組のお客さんもいました。ランチの価格が倍違う。支出が倍だと収入比にして半分のモノしか買えないわけです。それでもランチをレストランにしたのは毎日同じのり弁だと飽きるからですが、ちょこちょこ節約しています。自炊やかけうどんよりは良いもの食ってますが。

 受験の話をしましたが、俺は気が付けば20代プログラマでした。専門学校でゲーム系を夢見つつも現実的に公務員の資格を取り、バイトしてから派遣で働きだしました。自分はプログラマだと思っているので技術書を読みその道でのスキルアップを図りました。

 けど退職してみてから、俺の人生何だったんだろうという思いが強くなり、好きなことをしながら反対するものもおらず、少しの応援を受けて、ギター弾いたりゲームしたりしております。苗字の宮澤もそもそも名乗る機会がないので普通の人です。

 学校とか会社とか名札の付くところでは自覚は無くとも宮澤姓は特殊でした。「お寺の家の子」とかいうとチョット変わっているじゃないですか。現代日本では神を信じている人はおよそ3%というアンケートを信じると、それでも300万人から400万人からは俺んちも信仰対象かもしれず、繰り返すけどそこが負けるから受験の公平性が謳われて大学が偉くなったのです。

 けど、東京大学が偉いって言っても神様より偉いの?平等って言って始めているのに高卒より大卒のが偉いのって、矛盾してない?という疑問も沸々とわいてきます。

 その受験とやらで倫理の科目から哲学をかじって神とは何かというのは自分なりにチョットは考えました。けど、現代にはほぼほぼ儀礼的な意味しか無いと言われながらも、先に上げた相撲のように神事は残っているし、自民党靖国参拝玉串料を入れているし、それに突っかかる人がいるという事は、単なる行事として以上の意味が込められつつも、思想信条の自由があるので議員個人としての参拝を否定するのはそれはそれで憲法違反な気はしますが、暇して頭がおかしくなったのか、玉串料を納めて祈っているその対象は何かと言うと、俺はもしかして神官の末裔で神は俺の中に宿っていないかと、こう考え出したのも思想信条の自由の範疇だと思うのです。

 努力は実ると言いますが、勝負は時の運とも言われ、人事を尽くして天命を待つその天命を下すのが神だとすると、それに対して願を掛けて祈るその祈りの意味は神への信仰そのものであるわけだから、その神をまつる神官の末裔が努力なんて実らないと弱音を吐いてはならず、何かの結果を出して見せたくなる、その対象は俺にとってギターの稽古かゲームの勝敗がひとまず目の前にあるわけです。それも勝てずに何か言えるかと。まあ受験では国公立大学は叶わず専門学校に行きましたが、まだ他にも続いている勝負を諦めずにやっているわけです。

 それでも俺自身は科学と信仰の間で揺らいでいるひとりの人間だろうとは思います。科学的に神は実存するのかというと、外堀から埋めて行って、結局は信仰とは主観的な思想信条であるわけだから客観視することは不可能なので、その儀礼的な意味しか観察できないわけです。あると思えばある。我思う故に我有りとするのが哲学なる、神ありと思う人には神の御加護はあるわけです。

 奇しくも日本のロックバンドGLAYの最盛期のCD販売枚数が400万枚で、神を信じている日本人の3%という数字とピッタリ重なるわけです。集合論的に部分和がどれくらいで数字が重なっても神道信仰とバンド崇拝が単に数字で合わさったように思うだけかもですが、GLAYのファンと同じだけ神道の信仰者がいるとなると3%って少数派ではあるけど結構な数字で、それだけ俺も頑張らにゃぁと思い直すわけです。

 んで俺の宮澤と言う姓と神とは何かということはグルグル考えるわけですが、ある意味ではもう田中とそう変わらない苗字で由来の差はあれ現代社会的には無意味かなと思う方向と、それでも象徴天皇の皇居でも稲作が行われ、昨今の物価高も輸入食品で米食が淘汰されないような保護貿易的な側面があるとすると、稲作信仰はひとつあるよなと。神器のひとつも草薙剣であるわけですからね。

 今日も昼も夜もカレーライスが当たって農家の方に頭が下がりますが、貴重なコメを食って何をしているかというと、テレビ見て本読んで音楽聴いて、んでストZERO3も遊びました。Ⅴ豪鬼が強いってどれくらい本当なんだろうって思いますよね。

 ストZERO3も神事の相撲みたいに儀礼的な意味はあれ、キャラが強いとなるとその背景にはガチの対戦というものがあり、双方の頑張りの間にキャラ差が厳然とある。そうすると何にも分からないわけではなく、科学的な尺度で双方の頑張りが等価であるとした時にキャラ差が浮き彫りになるわけで、けど実際にはそんな尺度で測ったわけではなく、ゲーセンや大会たとかの「勝っている感」がまだまだ主軸で、そして神事足りえんとすると、Ⅴ豪鬼が強って言ってんだからそのV豪鬼を使っていたら勝たしてもらえるとするならばそこに神性が宿るわけです。

 でもね、俺今日またコンピュータに負けたのよねー。コンピュータに神性もへったくれもあったもんじゃない。けど神官の末裔の俺がAIチャットに「神って何?」とかも尋ねてみるのよね。その返答を読むのもまた神格を帯びた俺自身。

 さあ、愚痴ってないで神さま頑張ろう。明日も多分ストZERO3はすると思います。


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