実験を伴なわない理科学習にどれほど意味があるのか

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!基本牛丼とダブチの偏食生物です!

 俺が高校の頃と言うと受験戦争だったわけで、まあ理系選択でも当時珍しかった情報系志望で理科を物理化学に絞って結果はダメで専門学校に行ったわけですが。

 しかしまあ2年制の専門学校で学んだくらいスグ追いつけるだろうと大卒に舐められて仕事をしてきたわけですが、ゲームに絵が出るだけでもディスプレイの仕組みと光の三原色とビットマップファイルの構造くらいは分かっていないと、BASICやC言語を学んで黒い画面に字を出して「え?これでどうやってゲーム動くの?」で諦める人も山ほど見てきました。

 まあそれは良いんだけど、俺が取れなかった生物を大学レベルまでやってみたいなぁ、と思いながら島国日本では植物と魚と鳥あたりが良いだろうと、俺の小学校の頃の図鑑は動物、恐竜、昆虫だったわけですが、物置にあった図鑑はどうやら親が弟にも同じ勉強をさせてみようと買った新版の動物と昆虫のようで、アレやっぱ無駄かもだけど恐竜が抜けていたのは弟氏の興味関心を引けなかったのもあるんちゃうかと。進化の過程で滅んだとか昔はいたとかなんでそんなことが分かる?というのに地層とかの問題に小学校から踏み込んでおいて高校で地学とかするのと動物昆虫で実物提示だけで何とかしようとするのには雲泥の差があるよね。と言っても弟の方が高学歴ですが。

 俺は親からハクチだと思って育てるのではなく飼うように養われ、んで妙に勉強が出来るから塾に行かせて大学を受けさせてみようとそんな感じだったので大事に育てられた姉と弟が羨ましいのだけど、それでも親父は病気になってもまだ俺の事を飼ってくれていて、そのうち二人だけになってから、ちょっとは人間らしく接するようになったと思う。

 ただまあ、メシの準備が面倒で菓子パンとか総菜パンを買って置いておくの、買い物が面倒だからか賞味期限と食べ終わる日を考えないでいっぱい買って来て置いておくのはどうよ?と思うんだけど、姉が家にカステラを持って来てくれたことがあったけど、その賞味期限を見ると翌日に切れるもので「いいじゃない」と言うけど、姉と弟は賞味期限の過ぎたものは食べてはいけないと教えられ、俺は賞味期限が近いとか過ぎたものはなるべく早く食べて片付けないといけないと教えられて育ったのよなと。

 それでも捨てるよりはと結局レンジで火を通して食ったりするんだけど、生物を基軸に考えると雑菌の繁殖で酸味が出てこれ食ったらチョットヤバいかなって流石に分かるようになったのが最近のこと。吉野家とマクドが好きなのも安全だからだからな。近所のうどん屋とかでも傷んだものを平気で出してくると気があるし。ハクチと思われているとそんなもん。

 んでまあ、小学校の図鑑からやり直して、中学高校をおさらいする間に理科の基本はフィールドワークで中学の学参レベルから虫メガネとか持って公園や森林に行ってみよう!みたいな感じだけど、そのまま読書で勉強して。いや何度かケータイのデジカメを構えて公園とか草葉の映えているところに行ってみたけど、不審者なので。

 んで写真の手に持っている分子生物学ノートまで来たんだけど、座学で読書でこんなことやって本当に意味あるのか、それにこれはマトモな事が書いてある良い本なのか、まったく方針の定まらないまま雑多な勉強つまり雑学知識みたく生物を取り入れようとしてんです。

 ただ自分の気付きとして、高校の頃の勉強ってラジカセとかかけながら本を書き写したりしてたんだけど、今は音楽がかかっていて歌が入っているとそれに気を取られて本が読めなくなったのよね。これある意味では聴き取りが治っているのよな。

 聴き取りが出来るようになるのに古文の音読と言うのが効くらしく、いつか試した。

 まあ人の言ってることは分かるんだけど、それに俺が何か言っても相手に伝わらない事が多い。論理的矛盾とかを指摘するんだけど、無自覚にペラペラしゃべっている人は嘘を嘘として騙すために組み立ててついているわけではなく、誰かの言った台詞を覚えて言い直しているのだろうなと、本人は意味が分からず言っている偉い人の台詞を俺が聞いて分かってしまっておかしいところを突くと学歴とかでナメているもんだから「何よ偉そうに」で返すだけ。

 そんな人が書いている文章でも読んでくれるアンタは偉いよ。面白いか?読んでてさ。マトモな原稿料の取れる仕事も無くて自宅で書いてネットにアップしているだけの随筆です。

 まあでも、偉い人の話もそこに登場する根拠(エビデンス)を取る仕事をしている部下がいて、俺は専門卒でも20代では企業の研究開発室で毎日ソフトの研究をして、それを月報にまとめるときに論理性や数的根拠を求められて育てられたんですよね。

 そう考えると、まあ論理的とか根拠があるとかいうのは下の人に求められることで、偉い人はウソ言っても良いけどカネ払って買った情報は本当でないといけないみたいなものだから、だからしてこうして無料でネットに書いているものは他の書き込みと差別化されずというか、良い事が書いてあっても自分でも書けるなら色々書いて荒らしてやろうとするということも分かるし、虚しい努力ですよね。

 いや俺んところにも探せばあると思うよ、間違ってるところも酒に酔った勢いで書いたような事もさ。

 さあ、音楽聴きながら本を読むのは無理と言ってもそのCDを掛けたままブログ書くのは出来て、ちょうどその「あいみょん」の「おいしいパスタがあるときいて」が終わったので、ここで終わります。あとは小学校が方程式を使って問題を解いてはいけない理由とかも、ブログ書く前にググってなるほどなと思ったの、高校の同級生でダメだったふたりに小学校で方程式を使わせた稲田塾の出身者だったなと思い出すなどした。

 他には俺が社会科でも特に歴史がダメで、小学校から中学受験で社会科のない奈良学園だったもんで、高校日本史ではなく世界史で、両方必修だった頃の年配より明らかに歴史が弱いんだけど、歴史の教科書もそうそう変わるものでも無く戦後に戦争までの歴史が綴られた日本史を勉強して社会を作って来た団塊とそのジュニアが似たような教科書で日本史を学んでも戦後に30年とかのギャップがあるよなと屁理屈を書いておきます。

 けど理系だからとか専門学校dからと卑下せず、卒業後に勉強していない人を勉強して追い越すことくらいなら出来るかもナーとは思うんだけど、そういうモチベで勉強に焚き付けられるほど卑屈な部分が癒えて来たとは思う。原因究明して良くなってきているとも。

 やりたかった勉強は「やって何になる?」と思うような勉強だったけど、明らかにする前とした後では人の話を聞いて感じることが変わってきている。

 月並みに、人は変えられないけど自分は変えられる。変われた後の自分なら人の言動にも違う対処が出来るので、言われっぱなしよりはやりようがある。無条件で負けていたものが勝負になって、その勝負に忙しくなってそれで恐らく人並みなんだ。

 自由とは「万人の万人に対する戦い」であることをより深く学べたとも思う。


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