
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日のお昼ご飯はコロッケとトンカツ!
駅前の「コロッケのはやし」さんでコロッケふたつとトンカツを買って480円。
家に帰って平らげてから、やっぱトンカツをおかずにコロッケを炭水化物にするではちょっと物足りず、レンジご飯をチンしてかつお節としょうゆをかけて食べました。
部屋の片づけをしてSNSを見て、することが思いつかない!俺んちに心配事は特にないという考えも出来るけど、家賃経営にともなうアパートの建設改修の30年ローンがまだ20年くらいは残っているのでは無いだろうか。なんかで借金が返らなくなって貯金が全部返済に消えるような心配もまぁ、保険の話とか「ふんふん」でちゃんと聞いてなかったよなと。
まあ貯金はある。けど借金もある。仕事は主収入がお家賃と厚生年金なので仕事と言わず不労所得だけど、額面が決まっていて入ってくるまで待つだけ。退屈だ。この間に暇を活かして仕事をして返済を早めたり貯金をもっと大きくしたいけど、そのお金を何処から寄せてくるというアテがない。
ゲームをしたり、ギターを弾いたり、テレビを見たり、本を読んだり。娯楽にもっと使うのは楽しいかもだけど将来の心配がまさって心から楽しめない。そう考えるとサラリーマン時代の方が会社がつぶれたり病気で働けなくなることなんて想像せず、もっと享楽的な余暇を楽しんでいた。
つまり心配をやめたら今の方が幸福なのかもなぁ、とも思う。
カプエス2をする。
何が悲しゅうてこのゲームなのかというと、ゲーセンゲームは楽しいけど100円玉は払うだけ、買って自分のものにすればずっと遊べる。けど子供の頃から大抵は買っても買っても新しいものが出て、またゲーセンの誘惑に負けて、新しいゲームを買った。
1本を大事にするって、物を大事に使うって、壊さないようにキレイなまま使ってリユース品として売って新しいものと買い替えるって事だと思ってたこともある。
けどそうじゃなくて、壊れるまで大事にして壊れなければ一生使うくらい、それくらいのものでないならお金を出して買うに値しないという考え方。いつか手放すつもりなら、それは始めから借り物のゲーセン貸し台で良くないかというのはある。
だからカプエス2も毎日遊ぶけど、毎日楽しいわけでもない。何が楽しいのかと考えながら遊んでいるような時がある。ちょっと義務感で鬱っぽくなってんのかな。
新しいゲームを買ってもゲーセンにもっと新しいゲームが出て比較的に自分のが古くて楽しくなくなる問題についても、カプエス2も多分そういう理由で古くなってる。
これは相当に贅沢な悩みだけど、俺の子供時代がそれを感じない超贅沢だったものだから、いやそれはチョット違うかな。19の時にゲーセンバイトして、あの頃買えなかったゲーセンゲームをPCエンジンやメガドライブの移植で手に入れたんだ。それまではファミコンとスーパーファミコンが基本だったからね。
んで20代には人間関係の悩みもいっぱいあった。けど今は親父と二人で他の人と滅多に話も顔合わせもしない。そんなだから、親父のいない今日の昼にコロコロ店員さんの変わるコンビニではなく地域の商店街のコロッケ屋に行こうと思ったのであった。
昔は小柄なおばあさんがしていた。そして俺の知る限り恰幅の良いおばちゃんに変わって、今日は多分その息子なんだろうなと思う人が店に立っていた。
ああ近所だけど、ひょっとしたら相手も俺が文具事務機ミヤザワの息子だって分からないだろうなと思ったけど、立ち話もせずに小銭を払って帰って来てしまった。
そんな思いでやっていたAガイル・バイソン・ベガなんだけど、それでも1000GPくらいのスコアで中ボスを倒し、最終1400くらいは出た。1500超えが裏ボスの条件だけど、1000超えがボスの出る条件で、1000切ってタイムオーバーもアリだと中ボスもボスも出ないで普通のトーナメントになり、そのトーナメントを負けずに越すくらいが多分始めて遊ぶ人の最初の目標だろうなと思ったこともある。
俺はある時に大会とかで成績を収めても、キャラがダルシムでなかったら昔のゲーセン仲間に「あいつだ!」と分かってもらえないかもということにも悩んでいた。
けどそれって、地域のゲーセンがなくなったからで、なくなったのは誰も客が来なくなったからで、つまるところ結果を出すと言ってもあの頃の延長ではなく隔離された別世界で元の世界との接点を探していたのかも知れない。
あの頃欲しかった賞金を上回る現金があって、けど借金もあって、心配しなくていいよと言われる不労所得と権利収入がある。身が重くなったのだ。ゲーセンでもパチンコ屋でも、いっとき懐かしくなって覗いたけど、どうしてあの暗がりで屈んでゲームやパチスロをしていたのか思い出せなくなったこともあった。
けど、今は鮮明に思い出せる。親子連れで新幹線で東京ディズニーランドに行ってもその中にある小さなゲーセンの筐体の画面の中に興味津々の子供だった。俺だ。
今でも一日のほとんどパソコンの画面の中見て過ごしてんだから、まさに三つ子の魂百までを体現したような人生じゃないかと思うんだ。
人間が4歳になるまでに周囲の会話やおもちゃ遊びを通して、生成系AIの学習量に匹敵するほどの現実世界に対する学習をするらしいが、俺の子供時代はピコピコだった。物心ついたらガンダムのLSIゲームで遊んでた。それが俺の世界だった。
俺が仕事をしない時に母親が滋賀の実家に俺を連れて、もう農業でもしないかと里子に出すように置いて帰ったことがある。けど、俺はそこにネオジオポケットを持って行って、暇な時間は部屋の隅でそれで遊んでいた。
ゲームの世界から出るなら、それはそれで現実社会を学び直さないといけない。それはプロゲーマーで食えなかった俺も、もしかしたらスポーツ選手でも、仕事にしていたシステムエンジニアでも、何か特殊な世界のルールに則らないと食えない世界があって、せめてスポーツなら丈夫な体が残ることが推奨される理由だけど、ピコピコではそうは行かない。
今日もカプエス2を起動してその中でどうするか考えたけど、もしかしたら俺の生活のためにはこのカプエス2回路をアンインストールするような行動が必要かもだ。デジタルデトックスだ。
けど少なくとも20代から30代には、たとえゲームといえど北米チャンプといっても田舎の州代表くらいだけど、そこまで行ったんだから何か出来るかも知れないと他の事にも意欲的に取り組めたもんだった。
ただ、そっから、もう10年20年経ってみて今も特技はゲームしか無いようにも思える。ギターや将棋ソフトへの取り組みは真剣にやった部分もあればゲームのように行くわけ無いよなと引いたところもあり、やる前からゲームでチャンプ取った自信があるんだからとその界隈の人への礼儀も怠り、いま俺はそのゲームでも何物でもない。
それでも俺には親父の店はまだあって、家もある。体だけ帰って来て、まだ心がゲーム世界から帰って来ていない、ギターをしても将棋をしても多分そうだった。
子供の頃は自分が何か出来ない事が「ゲームの所為」と言われると傷つき守ろうとしたゲームは心の友であり俺の一部だったけど、もしかして俺って発達障害かと思うその一因に子供部屋でひたすらやったLSIゲームのそのピコピコが俺の世界理解で、システムエンジニアとしてならどうにか社会の役には立っていたと思うと、じゃあまあ月並みに転スラなわけよ。
この町で「文具屋のせがれです」とスライムからやり直さなくちゃならないのだろう。
パソコン、意味あるか?ケータイ使いこなしてるか?鉛筆1本、どうやったら売れるんだろう?クルマは免許はあるが長い事ペーパーで、工事のあって景色が変わっているところは全然分からない。
ちょっと前までクルマの練習を再開したら24号線を走ってトイザらスでトレカのデュエルがしたいくらいに思ってた。けどまあ、何とかトレカは卒業したと思う。
そうは言っても、ブログの読者は本当にAガイル・バイソン・ベガの最近の事情を知りたいかもしれないし、怒首領蜂はどうしたのかと思ってくれているかもしれない。
それにコロッケとトンカツを買うくらいの当面の生活費はあるので、困っているというほどでも無いかもしれない。ただすることが見つからず、そこにゲーム機がある。
片付けるなら片付けるで何をどうするか。大和郡山市としては昔はメリヤスと皮製品の工場があって、そこそこ栄えていたらしい。けどそれから遊郭だった城下町が普通の商店街になって、西友やジャスコなどの商業施設が出来て、恐らく京都か大阪への通勤のベッドタウン機能が半分くらいの、もう半分が自活可能な半機能の町なんだ。
人口は減っている。市長は四期目だったかな。何すりゃいいのか分からないのは俺だけでも無いだろう。カプエス2が商売になっていたのは俺が払う側だった時の話だ。
財布のひもをキュッと締めて、今度はこっちが入れてもらえるようにスライムから頑張る。とりあえず今はスライムなのだから、ちょっと頑張ったらヘトヘトで休まないといけない。けど、何も出来ないと嘆くほどでもない。
テレビをつけていても半分はウインタースポーツなのだから、俺の仕事がeスポーツでも良いのかも知れないがな。正直言って毎日取り組むことそれ自体に迷いはあるんだよな。割り切れないものが多すぎる。