
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日は漢文と歴史の話。
生成系AIのLLMが俺の観測する界隈では非常に流行っていますが、どうしてコンピュータにも文章が書けるのでしょうか?それは恐らく話が読み手の腑に落ちるかというところだと俺は考えています。
高校で習う世界史にどれほどの意味があるか、理系で理科のみが真実で文系科目は突っぱねるというケースもありますが、文系科目も案外とロジカルに理解できてきました。
例えばプロイセンの興亡について、長い歴史の尺度でそれが興ってから滅ぶまでを学ぶと漢文の「盛者必衰」という四文字熟語に綺麗にハマって腑に落ちるわけです。それは中国四千年の歴史から出来た成句であるわけですが、その四文字をパターン認証しようとして歴史を読んでいる場合、栄えたのが30年だろうと300年だろうと4000年だろうと出来て滅べば盛者必衰にパターン認証されるわけです。
じゃあそうじゃないケースはあるかというと、英国とかは長く続いているし、現代の大国主義米中露などの隆盛も長い目で見ればやがては滅ぶかもしれない。それに人間生まれていつかは死ぬものだから、人生に成功があっても死で終わるなら、これも盛者必衰にパターン認証される非常に便利な四文字熟語なわけです。
それと同時に日本には末広がりを好む文化がいつからか存在しています。日蓮宗のような大乗仏教では現世利益が求められますが、お金持ちはそれとは別に家を守っています。名家といえども盛者必衰と思ってしまうと、家柄を守るというのも虚しいものですが、日本国それ自体は二千年の歴史があり、その日本国それ自体の存続が少子高齢化や隣国の発展との相対で危ぶまれている。他人事なら腑に落ちる盛者必衰でも我が事となるとなかなか受け入れられないものですが、そこを受け入れてしまうと日々の苦労はそういった心理から来る取り越し苦労なのかもしれないなとふと思います。
大乗仏教の現世利益に則ってみると、俺は今、金もあって暇があって、毎日テレビを見てゲームして酒とタバコも嗜んでいる。けど病人でいつかは死ぬし、親の借金の連帯保証人でもあるから、親が死んだらその先どうなるか。相続して大家さんとしての家業を継いで家賃収入で暮らせるかもしれないけど、結婚しておらず俺の代で家は終わるかもしれないし、収入があると言っても結婚して妻子を持つには少ないとも思うし、いざ持つとなると貧しい暮らしになるかもしれない。
俺んちは爺さんの代で多分いちばん栄えていた。その頃の方が今よりも盛者必衰とか言い方を変えると「驕る平家は久しからず」の型にはめてやろうとする周囲の圧は強かったですよね。それで今の暮らしも銀行融資で出来ていて、やさしそうな銀行員が本当にやさしいのか、やさしい皮をかぶって借用書を書きつけて親が死んだら経営難になって全財産を失うかもしれないとふと思うと、これは疑心暗鬼なわけです。
いい加減、理系崩れのコンピュータ専門学校なら理科的に考えろよと思うかもだけど、文面で書かれた法の下で権利収入で町家暮らしなので自然科学もコンピュータもそんなに活かす道が見つけられない。そこで悶々と悩んでいると、心理の中心が漢文や歴史で出来ているんだなと自己分析するわけです。
そう、理科的に10年も20年も30年も先の事は分からないけど、十光年とか3400万年とか、そういうスケールで考える天文とか地学からすると、日常というのは誤差みたいなもんなんです。けど、誤差って言ってもその僅かな50年から100年ほどが人間の一生であることも併せて考えると、人生を考えるのに天文や地学はチョット使い辛い長すぎる物差しなわけです。
もうちょっと、今の時代に自分の現実にフィットした学問はないかというところをあらためて考えるわけです。その意味では世界史より日本史の方が身近だし、自分が人間なんだから心理学や医学の方が自己分析にも役立つし、文系なら歴史よりも法の方が役に立つかもしれない。
コンピュータも64ビットのAIマシンより、8ケタの卓上電子計算機の方が使いやすいと本気で考えている人だってチョット前まで多かったわけで、現実に俺も将来のお金のやりくりを先から心配していて、その額は実に8ケタくらいなわけです。
しかしまあ、天文からすると誤差だと言った人間の一生でも、月も満ち欠けとか火星の軌道くらいなら身近なもので、地学でも氷河期とか地球の長いスパンを考えるより原油の成り立ちと埋蔵量とかを考えると、案外と問題が現代社会に近づくのです。
歴史もそう成れんものかね。この先10年20年くらいだけ読めたらなぁ、と思うのに中世ヨーロッパまで遡って意味あるのかねとなると、そうですそこに見出せたのは今のところたったの盛者必衰の四文字熟語のパターン認証で、そうではなくその興亡の100年における人間の生き方とか、もっと学ぶべきことはあるだろうと思って見ても手持ちの本にはそういう風にしか記されていないところまでは分かったところです。
モーツァルトとか、そもそも三十年くらいしか生きていないわけだからね。俺自身も金持ちの家に生まれて、滅ぶ定めを周囲から求められながら栄えて大きくなる夢を見て青年期を過ごしたわけだから、金持ちがそれ以上大きくなったら大金持ちしか夢が無いわけで、その無謀な若さを老獪な周囲の人間から付け狙われたのだろうと、48歳のいま60歳に向かう終わり際の12年をどう過ごそうか、自己判断で解決できる問題なのか、既に事業は他者に属人化して本人は待つくらいしか出来ない、動こうとしてもアンタ偉いんだから落ち着いて待っていてと言われるような陣営が出来ているもんです。
けどまあ、読書と家の片付けくらいなら自分の力で出来ることで、そこで四文字熟語より役に立つ思考法もまああると思って数学とかプログラミングの勉強したけど、今までの人生、それを自分のために役立てるではなく会社のために使って売ってしまってそのカネで生活したので、今更だけど自分カーメンこと宮澤郷介と親父から継ぐであろう文具事務機ミヤザワとアパート経営の事業継承とか、そんくらいの事しか考えていないのにそれを高次多項式の難しい数学と本当に結び付けられる?歴史の流れの中での今って分かる?となると、楽しいことが世の中には色々とあるのに、滅びの定めを憂いて何ひとつ手放しで楽しめない、そんな暗い心境にハマって抜け出せないそんな48歳です。
足搔いているんです。てか、そもそも金持ちから大金持ちになりたいって思っているのが俺だけで、親戚一同は爺さんからの資産で現世をラクに生きたいと思っているわけだから、家族不仲を呪うとして、家族仲睦まじくなっても俺が働いて周りはそのカネをアテにする構図以外に想像が出来ず、家族総出で働いて資産形成するとなると、何のためのカネかと言うと、それは子孫繁栄と末広がりの日本的な美学を信じて現世を苦しんでいるわけで、つまるところどちらにつけ「今」というものが良く見えていない考え方なんだろうなという事で。
少なくとも書から学ぼうとするならそれは過去から現在への投影であって、学びの意味は未来に委ねているわけだから、こうしてモノを書いている今が俺にとって学者然とした物書きとした価値ある時間なら、それはそれで良いじゃないか。
国が滅びゆく時代に市井の人間はどういう風に生き延びたかのほうが役立つかもね。