月並みだけど「隣の芝は青い」

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!何不自由ない暮らしだな。だけど何か満たされぬ。そんな夜もあるだろう。と思わず歌いそうになる今日この頃です。

 いや、満たされぬ思いを抱えていた若い頃に出た歌ですが、最近この歌詞の世界は通り過ぎて、年相応に満たされてきた思いで過ごしております。

 俺に身に付いていたのは両親の悪癖で、関西人はみんなそうかもだけど「身に起こったちょっとした不幸を人に話す時に並び順でオチを付けて面白おかしく他人に話す」ということで、テレビのお笑い芸人の面白い話みたいな話を日常から生み出して笑わせてしまうことで、それが作り話か本当の話か聞き手が分からなくても笑えばよいというような、そういう家族だったんです。

 今でこそ少子高齢化、非正規雇用など社会問題ですが、当事者は辛いけど「うちの息子が結婚しないのよ」「あらウチもよ」とか、親世代も話を合わせて面白い人と笑い話をするだけで、そこにあるのは「面白いか」「笑える話に出来るか」という会話の場ばかり意識した会話で、そして笑いに拘るのは当事者同士はそこまで不幸ではなく、美味しいものを食べて何不自由ない暮らしで、忍び寄るジリ貧に気が付かないでいる。

 例えば俺は20代に派遣社員をしながら200万円分くらい絵画のローンを組まされていて、それでも「騙されちゃった」という笑い話にしないとやっておられず、友達にカネも借りれない男が独り働いて貯まるはずのカネを悪徳商法に騙し取られ、けど笑えるかというと「そもそも騙し取られる200万なんて持ってないから取られようもない」という風に怒る人だっていたし、仕事だって会社の守秘義務を守っているために誰かに相談して労働基準監督署に駆け込むという事も出来なかった。

 それをひどい時はネットで「ワープア」などと揶揄され、頑張ったのに実りが無く、もうズタボロになっていても不幸話なんてのは誰も読まないだろうとゲームの話をしていて、それが一部の読者にメチャクチャ楽しそうに映ったのもダメなところだ。

 まあ、その辺のTPOを弁えると、今の俺は恐らく貧困なのだということを自覚してそして見栄を張らずに表明すべきだとも思っている。

 確かに子供の頃はカネモのボンで、親父と二人で暮らして派遣社員をした40代もギリギリ仕事があったけど、今は前にも書いたように俺の障害年金、親父の老齢年金、借家から入って来る家賃を足し合わせて暮らしていて、そこに何年ぶりかに会う母親が訪ねて来て、嫁入り道具の鏡と冷蔵庫がまだ使われていて俺が50年近くこの家で頑張ったことをねぎらうとともに、積もる話をして帰って行って、病院にも行きたいと言う。

 けど比較すると中学高校くらいで母親が不意にいなくなった弟はもっと大変だっただろうと思うから、お兄ちゃんとして頑張らないとと思った30代もあった。

 就職氷河期とは言うが、顕在化してきたのは親が高齢で子供の生活費の切迫が眼前に迫ってのことで、俺の20代とか30代には「カネあっていいね」とか言いながら、プレステとかパソコンとかトレカで遊んでテレビ見て家のメシがある同年代の一部が恵まれていて異様に羨ましかった。

 その思いは久しぶりに母が訪ねてきたことで、友達が羨ましいというよりは母親が近くにいない事が寂しかったのだなと自分なりに腑に落ちた。

 家族の在り方、仕事の仕方は現代では多様化していて「こんな仕事してんだ」と言えば「ああ、そういう仕事か」と分かってもらえる界隈が羨ましく「パソコンしてるだけでなんでお金がもらえるの?」とか飲み屋で詰められる苦しみもあった。

 というか、今でも従兄と弟が金融業で特に従兄が「なんでキョウスケは家でパソコンしてるだけやのにカネがあんねん?」というのを内装業の義兄さんでも分かってくれるのに、アンタの仕事こそ金の貸し借りだけの金融業じゃないかと思うんだけど、自覚のない人って本当にそんなもんなんだ。

 まあ、しょっぱなタイトルに付けたように、誰しも隣の芝は青い。俺は羨ましいと思った人に近づくように生きて来た。それはゲームクリエイターであったり、ギタリストであったり、引きこもりのオタクであったわけだ。過去の俺はゲーム機とカラオケが趣味だったが、あんまり変わっていないようで、内部事情とお金の流れが違う。

 上手く書けたかは分からないし、また自慢めいて羨んでしまう人がいるかもだし、金持ちと貧乏の線引きも所得とかで切るのではなく、家の便不便で考えると都会住みが便利でお金持ちなんだろうけど、奈良に家があってひとまず暮らせてゲームと音楽は楽しめる。まあ十分だと思ってる。


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