中学の頃の俺のボキャ「究極的には」

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日は中学の頃のストII談義振り返り。

 「中学生だったので」で許されるかどうかは読者様のご判断で、許せなかったらどうやねんというと腹にモヤモヤをためるかコメント欄から何か頂くとして、高校の先輩(中高一貫なので)とかヤンキーとか社会人までいる輪の中でストIIを遊んで談義して、俺は良く「究極的にはバクチになる」という風に修飾子として「究極」を使いました。

 まあ、その後出た忍者コマンドーの爆裂究極拳とか、高校になったら究極は無いけど数学で極限は学ぶので、龍虎の拳のリョウサカザキなど極限流空手ということで、ネタにされがちですが、ゲーセンでも「究極って何やねん?」とからかわれることはあって。

 確かに中学生のボキャで「究極」を付けても「最強」みたいな単語だと笑う人もいたかもですが、投げハメのビタ押しとリバーサル(ストII無印ではリバーサル表記は無く付いたのはダッシュからですが、便宜上)でサマソが出る出ないなど、コマ送り式のアニメでひとコマずつ操作することを考えたら、ビタ押しかリバーサルでリバーサルが勝つにしても、リバーサルビタ押しは投げを見てからは無理なので(投げは押した瞬間成立するので)押すや押さざるやの半丁博打に転化されると言えば分かるかもだけど、そこまで言葉で説明できなくて「究極的には」と修飾した俺の頭の中は中学くらいからそんなに変わっていない部分があって。

 けどまあ、当時は知らなかったテクとして安全飛び込みがあり、ガイルの起き上がりに安全飛び込みから投げハメに行くと喰らい投げをヒット確認でつぶしながら、立ってガードしたら小技を挟んで投げ間合い外から投げられるので、ハメ成立する可能性もあるけど、ハメ成立のダウン有利を奪えるシチュエーションがどのくらいあるかというと波動昇竜対ソニック諸々でどちらが有利かも簡単には判じられず、対戦としてみたら究極にはまだまだ程遠いなと思う最近でもあります。

 そうは言っても、あるシチュエーションで「勝ち確」になる操作をそれ自体ミスなく行えるかというと加齢もあってお互いのミスもあって究極勝負になるものでもなく、人為でなるたけミスの内容に鍛錬しても、リバサも表示されていないサマソで相手の投げハメが返ったりとか、難波アビオンで最後に遊んだ対戦はそんなもんでした。

 それより、最近解析機能付きがゲーム機向けに出て来てようやく「当たり判定」というのが目に見えて分かったという話もあり、俺は画面の何処にも出ていない「攻撃判定」とか「喰らい判定」という言葉を中学からゲーセンで使っていて、仲間はずれにされたり笑われたりするのが怖くて周りの人が相槌を打っていただけで、ずっと何のことか分からなかったけどそういう意味だったのかというのは最近まであります。

 これは俺の20代からの仕事についても同じことが言えて、専門学校でC言語を学んでC++を独習して学割版でVC++のコンパイラを買ってゲーム会社でゲーム1本作ってから派遣SEでソフトハウスで3年しごかれて外に放り出されてみると、富士通系のソフト会社で俺くらいVC++分かっているの同年代にはいなかったですよ。

 けどみんな必死で相槌打って相手の話した単語をどうにか自分の会話の中に入れて、それだけで俺は相手も分かっていると思って突っ走ってしまったんですよね。

 やっぱストIIでも判定の「見える化」(バカみたいな言葉だけど、本当に製造業の現場では視覚化と言わずに見える化という)してみることで俺には見えていて相手には見えていなかった者が画面に出ることによる説得力と相互理解ってのは業界の裾野を広げる大きな意味があったと思っていて、その意味で仕事がラクにならないメカニズムも、勉強してスキル上げてひとりで背負い込もうとしてきたからで、自分の仕事が多すぎて人の手を借りたい時に人から全部の仕事を取り上げられて干されるのを怖れて何も教えないというスタンスではなく、手伝って欲しい事をひとつ人に説明するその説明がドヘタというか、見えないものを見えないまま言葉で語ってしまって来たんだなと。

 まあ「究極」からは脱線しましたが、高校で習う極限にしても、グラフで「ああ、大体この辺で曲線の揺れが収束するよねー」みたいなの先生の黒板の板書とか参考書のグラフで分かって、その概念が自分にはあって相手も当然分かると決め込んで話すようなところが昔の俺にはあって。

 説明を文章でするのもタイピングが簡単だから言葉で済ませたいって悪い癖かもだけど、書かないよりは書いた方が伝わるところには伝わると思って言葉を尽くしてます。


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