論語を出して来た

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日はさかのぼってカーメンになる前の話です!まずは論語を引いてみよう!

子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不怒、不而君子乎。

 (6節目の「怒」だけは旧字の打ち方が分からず平易に「怒る」を使いました)

 学とは、君子とはというのを西洋の君子論とかギリシア哲学に求めるのもひとつと思いますが、日本人なので漢字と仮名のルーツである漢文もひとつの拠り所であると思います。

 昨日のブログで出したこの説は括りだと思っていたら書き始めでした。「遠くから友人が訪ねてくる」は「有朋自遠方来」ですね。俺はこれを実際に遠方から友人が訪ねて来るのではなく、復習することで学び舎の同級生とかを思い出す比喩的表現ではないかと思うんですがね、そこまで言うと反対に野暮かもですが。

 まあ、そう思ってあらためて読み直すと忘れていたのはむしろ自分で、自らを君子だと信じて仁を重んじる考え方はいつからか失くしてしまっていたかもなと思います。

 特に変わったと思うのは25歳くらいかな、ゲームで米遠征をしてからで、異文化と思っていた本の中の世界が現実に米国に行ったら「あった」というので、学校で習った英語よりもスラング的な米語を自然に体得したというか、そもそもそんなに話をしないゲーマーの中で中パンチ略して中パン(チューパン)みたいにゲームの中身を何とか示して名前を付けて情報交換するという事を試みるうちに、いつの間にか外国人とペラペラしゃべっているその言葉は英語というより米語というより「ミヤザワ語」としか言いようがなかった。

 例えば「セットアップされたアケコンが操作に十分か」を示すのにカチャカチャやってみて「イナッフ」というと、正しくはI can use this stick, this stick is enough to useとか言うべきかもだけど「イナッフ」「グッジョブ」で英仏には失礼に聴こえるかもだけど日米なら難し過ぎずに意思疎通に充分というようなさじ加減があって。

 しかしまあその動乱は精神病院から奈良の自宅に20年籠って通り過ぎ、今では地元にまで海外からの来客が来ることも無くなりましたが、何だったのか今でも分からない事が米遠征の後に日本に帰って来てから在日米人や観光客を含めたコミュニケーションで「なんか日本にるガイジンさん」というフィルタを通して他人だった人々が急に日本中で「あ、キョースケがいる!」という風に「アイツなら話せばわかるんじゃないか?」という風に話しかけて来るようになって、混乱したんです。

 その中で俺を含む日本人の仁や礼は理解されず、ただ米国的なギブアンドテイクやビジネス的な側面から「君は騙されている、こうしたほうが得だ」という強い引力で「アメリカ側に付け」ということで、ひとたびマカーとなり、そしてその後いつからか「恋してにんじゃりばんばん常識を変えたらオドロキが日常に!」という事で、今の若い人には普通かもしれない事はつい20年ほど前まで処刑されてもおかしくない非常識でした。

 社交になると、それはやがて学問ではなく巧言令色にすり替わるわけです。昨今のSNSでマンガが描けることが化粧と服飾とそう変わらないSNS上での表現のお洒落として機能していて、そこに漢文を打つことも俺なりのひとつの表現ではありますが、漢文って引いたらカッコいいから冒頭に付けるみたいなのは江戸時代の話で、そうじゃなくて自分で読んでもう一度学ぼうと。

 英語とは体系も違うから、日本人でも漢字よりか英語カタカナ語よりかというと、最近英語カタカナ語寄りが市民権を得ているけど、ちょい前までは武家社会だったわけで。

 言葉が英語カタカナ語よりになっても、日本人の思想というのはそんなに急激に変わるものでも無く、だからしてますます半端に言葉が通じると訳の分からない事案も増えるわけで。言葉も半分も通じずドルが無いと死ぬかもしれないという米国で感じた恐怖がそのまま日本に帰って来ても家族も友人も離れ離れになって円が無くなったら死ぬかもしれないみたいな恐怖に変わったのが精神病の発祥の発端だったかもだし。

 というか、日本語でも英語でもなく業界用語は仕事の必要上から界隈の人間は身に付けようとするその言葉の中にIT用語なのか格ゲー用語なのかトレカの用語なのか、混乱の中で聞き分けが付いているのがごく少数で「真面目に聞いていたらITの大事な話だったのではなくゲームの話だったのか!」みたいな期待と落胆を感じた人が怒りの矛先にしたのが俺で、何故かいつの間にか恨まれているということもありました。

 そう米遠征のあと在日米人が俺の事を何故か知っていて話してくるようになったとともに中国人が日本で日本人のフリをしていた者も「中国人なんだ」と素直に俺に明かしてくれて、俺自身がこの国を表層的にしか分かっていなかっただけで、じゃあ日本人って何だろうとなると、差別をしてこそ日本人だという参政党みたいなナショナリズムがあらためて台頭してきて、そこでどうして論語やねん?となると高校の国語が現代文・漢文・古文の三科目必修で、学校で漢文習ったからその名残りなんですよね。

 まあ現場を知らない人に言葉で説明しても支離滅裂なホラ話と思われるかも知れませんし、異文化コミュニケーションを頑張ったのは過去の事で今は単なる引きこもりですから、むしろ家の近所が子供の頃からの馴染みの町ではなく新築マンションや不動産売買でどんどん知らない人ばかりの東京みたいな(?)地方都市に変容していくのが個人的には恐怖で。

 思い返すと近所付き合いなんて俺が子供の頃から全然なくて、本好きでしたよね。それが読んだ言葉が生きた言葉になって会話できるのってトレカの前身であるRPG界隈の人間がまずひとつで、けどもう中学二年ではないわけだし、話はしないとね。


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