忘れてしまえばそれでいい

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日は祝日の昭和の日ですね!

 ブログって日記なのに自撮りと挨拶から始めるって変な感じ。けどプライベートな日記に自分の事を匿名で赤裸々に書いて、それを何処かの赤の他人が読むという謎の通信ではなく、今自分が生きている世界とどこか遠くではなく完全に地続きの何処かの誰かが読むとなると、やっぱり建前とか体裁とかは出来ていて、不思議な感じ。

 けど俺が書く理由も何となくひとつは分かって、俺が忘れるからなんですよね。子供の頃から大きな本棚のある子供部屋で読書をして育って、小学校の高学年から下校後は塾で何とか受かった進学校の奈良学園は自由な校風といっても1日7コマの授業があり、普通の高校より勉強が1時間多くて体育が規定ギリギリまで少ないとかそんな。

 世間知らずだから分からないけど、高校で気付けば悪友と下校時ゲーセンでもどっかの大学には行けるだろうと思っていたけど、そのためには試験があって、試験には暗記科目があって、忘れることは落第を意味していて、忘却に恐怖を感じていた。

 忘れても身になっていることというと、勉強の方じゃなくゲームの方だったりする。

 勉強でも残っている事はあって、いま中学の数学とか見ると「余裕だな」と思うんだけど、高校の勉強って範囲が広くって学年トップでも満点行かないくらいだから、それで文系と理系に分かれるなら普通の大学生だけど、コンピュータの専門学校という事で差別されてきたこともあって、旧来の歴史があって根が深い学問にどこか憧れがあって。

 けど、自分の勉強に根がないかというと、大学まで行かなくても小学校の漢字辞典くらいでも象形文字からの漢字の成り立ちくらいは学べるわけで、高等教育まで行って難しい事に頭を悩ませるうちにやさしかったことを忘れてしまったくらいのことで、やっぱ小学校から中学受験に勝つくらいには小学校で勉強したし、それがあっての中高一貫で、まあ高卒としての学力は自分で思っているよりあるかもしれない。その自分で思う基準が優等生よりになるか劣等生寄りになるかが慢心か謙虚かという所で、中庸である普通を意識してきたけど、もう全然普通じゃないかも知れないし、多様化した社会では中庸も普通も幻想で、ありとあらゆる人はみな十人十色で何らかの平均であることが精神安定になっているだけかもしれないし。

 んで、別に書いても読み返すことは滅多に無いから、もう忘れることは忘れちゃえばいいんだなって今日ふと思ったんだよな。そう、本とかノートって試験のために暗記する媒体ではなく、忘れても読み返せる媒体なわけで、忘れたらまたそれを読めば思い出せることが分かっているインデックスとして科目や年度年次があるわけで。

 そうは言っても、国数英理社とやってきた人間がいきなりプログラミングとかアプリの使い方とかデータベースとか勉強して、高校までの勉強とそれらが組み合わさることなく技術者として生計を立てたのって、なんかすごい乖離に気持ちが追いつかなくて。

 そしてそれは高校時点で勉強に不十分なところがあっても、中学から高校になっておさらいをして勉強している内に中学分が楽勝になったみたいに、同一線上にあることを学べるから年次が上がれば解決するという節で考えていたところが、高校から大学ではなくコンピュータの専門学校になったことで「おさらい」のない地面の脆さみたいなのも感じていて。

 ただそれは大学に行ったとしても遊ぶヤツは遊ぶし、もう科目の勉強は終わって専門学校もなんとか卒業して、会社に非正規とはいえ20年も勤めて、結局は「俺の人生何だったんだろう」みたいなところと、人生の若い時間の大半は学校で過ごしたことにポッカリ穴の開いたような感覚があったのが、まあそれでも最近そこがちょっとずつ埋まって来ている感覚はあって。

 「学校の勉強なんて何の役にも立たない」という立場を取って不良して退学か卒業でお別れして人生してたらそうでも無いのかもだけど、国家試験に受かってゲームしてた子が何かの間違いでお堅い仕事になったというのは20代の時から周りに言われた事で。

 それは手品みたいなもんで、客の角度から見えていないところが完璧に見えないから成立するトリックみたいなもんで、演者の側をしていたらスーツ着て会社の中でダラダラとパソコンしているだけ。結局そのまだ上の立場にいる人のトリックは見抜けないまま40歳で辞めちゃったな、60歳まで続けたら見え方も変わったかもなという悔い。

 けど20代30代は別の悔いを抱えていたし、その頃の悔いは今は無くなっていて。

 まあ色々半端にやり散らかしたから、もうちょっと一個づつ丁寧にやり直すのも良いかなと思ってます。将棋とギターは多分「その道」の入り口は超えたところに居ながら、だけど手応え感は弱いまま諦めたようなところもあって。

 なんか40代とか昭和の会社で言うと課長くらいの年やけど、俺くらいの知識や力量でまあ課長になったわけではないけどSNSには若手がいて「こんなんで良いんやろか?」と思いながら何となくそのポジションを取っている感じ。

 忘れてしまった事は忘れてしまえば良いというのは無責任かもだけど、誰もが忘れたらそれは無かったことだし、俺が忘れても誰かの大事な用なら俺のところにまた覚えている人が思い出させに来るかもなぁ、くらいの人間関係をちょっと信じる感じで。

 つまりその用事で人が来ないくらいのことなら、忘れちゃて良いと思うんだ。その上で、仕事以外に趣味でやっている事でも用事で人が当たって来るなら、その場面ではそれが仕事になっているという事。今日はそのくらいのバランスで良いかなって思う。

 自分のやりたいこと基軸でずっと独り考え込んでたけど、ちょっとだけでも社会性を持つと他人に無くて自分にあるものが見えてくる。今日はそんな感じの日でした。


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