
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日も趣味のMTGを少し遊びました。
先日MAXの「一緒に・・・」を聴いて初めてのレコードだった「さよならの場所で会いましょう」からの悩みが消えた話をしましたが、作詞家がゴーストになった同一人物説は後の作品から察するに「あの人ならこうは書かないで別の人かも」と思うに際し、西脇唯さんのアルバムの詩世界には「どんな別れをすれば恋は続いてゆくの」「どうしてあなたに出会えたの、こんなにたくさんの人がいる街で」「どうするの、どうしたい、どうなるの」と問いかけを含む曲がたくさんあるんです。それを聴いて思春期を過ごしたので、俺の深層心理には言葉として「問い」が無数に立ったままでした。
それは正確にも影響したか、哲学の好きな高校生でした。対して、受験を目指した高校生の中には全ての問いの拠り所は哲学的に答えのないものであるとするに対して「大学で決まったことが正しい」とする向きもありました。んで俺は専門学校に進んでコンピュータの勉強をしたので、コンピュータに頼るにしても数字を出すにあたり「何をどう切って数にするのか」という根源的な悩みを抱えたまま、単純に「数字の大きい方を取れば良い」とする世の中の向きにちょっと疑問を抱いていました。
学生の頃に通学中の電車を全てゲームボーイのドラゴンクエストモンスターズに当て、日本橋ソフマップ4号館予選会で結果は2位だったのですが、1位も2位も3キャラレベル99の同チーム対決で、もしあそこで優勝していたらそれ以上は問わなかったかも、という経験も考え方に影響を与えていると思います。まあ2位で充分他の人よりは強いわけですが、1位の先には何があるのだろうとまた問いが立ったまま叶わない。
そしてもういちどMTGの昨日のデッキを見ると、これはテンポ重視だったわけです。MTGのデッキ構築理論には集めるカードの特性から、強くしようと頑張っても相反してしまう幾つかのシステム対立があるのです。軽く寄せると速攻になるけど、軽くて速攻で同じように定性的に動かそうとすると必然的に序盤では引く枚数が少ないわけだから、そこで引きたいカードはどうしても何枚も入れるしかなく、4枚制限もあるので、2種の同系統カードを4枚ずつ計8枚入れてやっと初手確率が9割。その9割は4割5分の倍なので、初手に欲しいカードが来る確率は半分で次点のカードを引く確率が半分、主に1マナ2マナのクリーチャーか焼きで、単調になって、作戦失敗時には息切れする。対して、中終盤から強くなるように組むのは終盤カードが初手に寄って何も出来ないまま序盤寄せに負けてしまう可能性もある。
けど、これらの対立は完全なトレードオフというわけでもなく、バランス良いと言えばそうだけど、中庸のデッキを組むことで両面性を持つことができる。ただし40枚中7枚の引き合わせなので、中終盤に欲しいカードを序盤に引いて中終盤に序盤に欲しいカードを引くというちぐはぐさの可能性もまた孕むことになる。
まあ中庸なデッキは一見バランスだけど、速攻の勝ち目は何で逆転の狙い目は何かと詰めていくと、序盤は耐える重視ではなくそれはそれで遅いデッキが準備できない時には失敬して勝てるように、終盤は重いダメージで一気に倒せるようにと別のベクトルである相反を一方上がれば他方が減る中で目標に合わせることで、どっちつかずだと両方少ない所よりは両方とも多い、専門デッキには敵わなくても並のデッキよりはレーダーチャートの面積が大きいという所は目指せるかなと辿り着いたのが今日の研究です。
まあ安易にカードを買い足さず、手持ちで何とかならないか考えまくって出た答えですので「ラドクリフの印鑑」とか「ジャングルの織り手」を使って何とか工夫しているので世の中にはもっと強いデッキがあることは承知の上でひとつ。
大別するとミッドレンジに分類されると思いますが、テンポとかミッドレンジという言葉が出て来る前から研究していて、まあそういうデッキって誰かが発明したとかではなく、誰もが思いつきそうなアイデアを可能にする新カードや強カードの絶版によるレギュレーション変化で出てきたものだとも思いますので、この話はここまで。