
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!今日のお昼はおにぎりセット!
「警察じゃないんだから」と自分でも近頃思いますが、ある時の俺はライブなどで「あのバンドホンマに演奏しているか警察」みたいだった時があるし作詞作曲の名義についても「あのSSWホンマに本人が歌を書いているのか警察」みたいだった時があるんですよ。
けど警察でも探偵でもなく、メディアの情報というのは基本的に隙なくグルになって形作られているのでいわゆる文系の史科的な根拠を求められると、CDのブックレットにも雑誌のバックナンバーにもその音楽を作ったのは写真と共に名義の一致した人(?)なわけですよ。
だから「何処に書いてあるんだ?」ということは無くても、ライブの時に演奏を聴きながらギタリストの手元を見たり、テレビで音楽が鳴るたびに歌手が映っていると脇に映るギタリストの手元を映る限りずっと見ている、変な人だったんです。
その中でギタリストの上手い人に憧れて倣おうとした自分と、偽物だと思ったら暴こうとした自分がいるわけですが「あの人は本物で別のアイツは偽物」ということを独断で言うと、ファンだけではなく多くの人を敵に回してしまったんですよね。
その途中には自分でギターを弾いてMacBookProのカメラとマイクで撮った自撮りをYouTubeに流すも、それは受け手にとってはパソコンやスマホの画像とか音声でしか無いわけで、ウチで生録していても俺が疑ったように色々の方面からあらぬ疑いをかけられて来た中で、それでも演奏してみて「生録っぽい」「打ち込みっぽい」という感覚が鋭くなってしまって、ますます独善的になっていくんですよね。
人から思われる分については何か言ってくる人を全員脳外科手術するのも無理なので思ってもらったままにしておくしかないと半ばあきらめていたのですが、自分のあこがれが既に記録が手元にない過去のテレビ音楽とかだったものですから、気付けばビートルズくらい自分で弾ける、自惚れを承知で言うとプロとしてやっているアイツのあの頃のCDよりもう上手いかもしれない、などと自分なりの「上手さの序列」みたいなものが出来て、上手いと思う方へ寄って行く。応援も上手い方を応援する。
けど振り返ると、若い頃って自分と同じく若いから応援していたわけで、そこに矛盾があった時にどうしても貫けない盾が構えられていたとして、後ろに下がって地球一周回って背中から突いたらそれは盾を貫いたことになるだろうか?みたいな禅問答が自分なりに立ってくる。気付けば自分も嫌疑や評価の「対象者」のほうに入っている。まあ、嫌疑と評価の評価の中には応援を含めた「良い評価」もちょっとはもらえるけど。
んでまあ、自分の過去を振り返るとファミコンやゲーセンが好きで出来た友達もゲーム仲間というのがほとんどで、バンドする友達はいなかったし、22歳からプログラマ・システムエンジニアとして働き、パソコン友達はメチャメチャたくさんいる感じ。
その中で独りギターを弾いて暴れてもどうにもならなくて、自撮りして送ってどっかで見てくれた人がカウンタの数だけいるだろう、そして同じ趣味で自撮りして送信しているところを新しい友達だと思ってみようと、まあ最近はそんなところ。
振り返るとゲームでもRPGの出だしは「それどんなゲーム?」と言われても説明不可だったし、ストⅡが流行っていた時でも通信対戦台なんてのが外の人間にどういう仕組みで100円を取り合っているのか不可解なのが分かっていなかったし、いまのSNS時代も関係ある人には分かっても、誰でもいつでもアクセスできるように門戸を開いているのに「分かる人だけで仲間外れにされている」と感じる人だっているようだ。
んでこれを誰に読んで欲しのか、誰に言いたいのかというと、そこもすれ違っていて、オフラインで俺の活動を知らない沢山の人にオンラインでの活動を知って欲しいのではないかと思うと、オンラインで書くのではなくチラシの1枚でもオフラインからの導線を作るべきかもで、それを人は「活動」と呼ぶ。ブログにQRコードを付けたときに他所がQRコードの印刷されたチラシを作って街頭活動始めたその意味に気付くのがちょっと遅かったんだよな。
けどまあ、俺はまだ自分の演奏に満点はやれないから自信もそこまでだし、広報しても仕方ないと思うのがその満点やれない気持ちで抑え込んでんだけど、満点まで人前でやらないのかというと一生出来ないかもだから、カッコ悪い所のひとつでも見せないとってのは、ネットで既にカッコ悪いところから見せてたんだけど、3年もしたら恥ずかしいと消してしまって、先からやっていたという証拠も同時に失くしてしまった。
同じYouTubeでも「ファミベでグラディウスを作ってみた」が伸びて音楽は伸びず、グラディウスが伸びたら他のゲームを牽引してくれるかというとそんな事も無く、ギターを始めた頃から自撮りの先生してくれていた爺さんも若い女の子に同じ曲目で負けて全く伸びなくなったし、証拠があるから伸びるのではなく、伸びた人の証拠が遡って求められるという傾向があるだけで、それもヒットに釣られての話で伸びるのはヒットであって過去の証拠ではないという自然な流れに俺は敢えて逆らってしまっているかもだな。
そうすると俺はまだヒットの無い奴だけど、YouTubeの初動の時のがアクセスは多かった。けど、まあ今残っててもそこから微増だにしないだろうってのはゲームでも似たような麻雀ベーシックの案件があってさ。「2万本出た」と言ったとき19000本くらいで、あと1000くらいスグ行くだろうと思っていたら10年で19800本という。まだ2万言ってないんだYO!
そうすると恥ずかしいと言って自分で消してしまった最初の自撮りが3万再生ってその時の俺は思ったけど、YOASOBI3億再生の事件を過ぎて「3万て少なくね?」と思われても「素人にすりゃ多くね?」「てかお前もうプロだって言ってね?」と、このへんで会話はおしまいです。伸びるようにせいぜい頑張りますが、カウンタの回数だけじゃなく音楽の様々な面に対して「感受性が豊かになった」かもなというのが続ける糧となっております。
まあ近頃ではバンドのMV1本でもスタッフクレジットが長く出ることがありますが、その昔にふと手に取ったCDの1枚でも、バンドやプロデューサーなどの著名人以外にもスタッフが沢山いたのだろうなと聴きながら鳴っている音のひとつひとつにもっと感性を研ぎ澄ましたいと、記憶とすり合わせて新しく聴こえて来るようになった音が日々のちょっとした楽しみであります。
流石にそのCDが作られた時代の事を警察が殺人事件を捜査するくらいの熱量で全部取り調べることは出来ないかもだけど、まあデビューってのは1枚のCDの物証があってのもので、ネット配信して消してしまったら何も残らないじゃない!半分壊れたMacBookProが俺の唯一の当時の物証なんだろうなと思って寂しくなってます。
何もかも、それは昔の事になるので、今から遡ったらどうしても不確定になるんですよ。これは俺にだけ降り掛かった災厄というわけではなく万人にそうであるはずなのに。