ウインドウズOSとシステム開発の対立

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!退職して8年経ちますが昔の愚痴。

 俺は二種情報処理技術者で現基本情報技術者相当の下級公務員だったわけですが、システム開発とは何ぞや?というところが現場と噛み合わないことが多々ありました。

 二種はプログラマ、一種は上級職というのが相場ですが、官公庁絡みなので長い経歴の中で何度か上流工程に上がったことがあるのですが、某電話大手はICロックのかかった部屋にSEが何人もたまって新品のウインドウズパソコンが支給され、白っぺたのワードやエクセルを開いて仕様書を書く仕事で人によっては紙のノートとホワイトボードでした。対して下流工程は工場ではんだ付けなどの工作に比較的新しいパソコン机がポンと置かれていて、俺の持ち場はそこでパソコンでソフトウェアをプログラミングするのですが、回路設計などの仕事をしている方からは「パソコンで遊んでいる」と言われました。

 ここで求められているのはVBやVC++のスキルで、それが何だというと市販品であるウインドウズOSの乗った普通に使えるパソコンを官公庁用途に改造すること。この改造仕事が出来る二種技術者が超レアでそれゆえ高給取りだったわけです。

 マイクロソフトウインドウズOSというのは、BASICマイコンの発展型でパソコンにプログラムを組み込んでそのソフトを使ってする大抵の仕事に対して前もって想定されたアプリを呼び出して使えるようにした汎用品なわけです。

 しかし工程における仕事は汎用PCの業務専用機への改造であるわけで「誰かがプログラムを組み上げないとシステムは動かないんだ!」と強弁する俺に「そんなことしなくても動くよ」というのは、システム開発して専用機など作らなくても汎用機を汎用機としてそのまま使えばメモ帳だってワードだってエクセルだって動くわけで、官公庁の上流から来る仕様書なんて放っておいて現場は現場の仕事があるという齟齬がありました。

 それで下流は下流で仕様書の文言が難しく解読不能で「何やれって言ってんの?」「プログラム組めって事だと思うんだけど」「それどうすんの?」というどうするこうするがワードやエクセルのアプリで書類を作るようにパソコンの画面写真を出して「このボタンを押す」「ここに文字を打ち込む」というような手順書が無いと誰も動かないわけです。それで人材不足で金融関係から良い大学出た「出来る子」が来て「手順書を作らないと現場の人が分からないんです」と言ってVBやVC++でのソフトウェア開発を画面写真付きの手順書にしろというお達しでIDEと呼ばれるVBやVC++の操作画面の写真を撮って、俺の書いているプログラムをコピーして「ここにこう打ち込む!」と赤びっくり吹き出しで書いた「手順書」を作ろうとするんです。

 もう、俺ね、誰にどっから何を説明したら事態が解決するのか分からないんです。

 これ8年経って生成系AIも活躍して、昔のネタ、笑い話になっていたら良いとは思うんですけど、割と笑えない事が生成系AIで仕事が無くなったと言っている人がいる傍らで、VBやVC++の求人の提示給与がどんどん跳ね上がっているんです。

 まあでも、官公庁のお仕事は基本的に集計と計算なのでシステムなんか組まなくてもエクセルくらいで出来るという考え方もあるんです。それが計算がオートメーションになったIT企業から比べたらものすごく時代遅れなやり方だとしても、法規や制度の改変のたびにエンジニアを大量雇用して制度に見合ったオートメーションにするならば、文書が読める人が現場にいて手計算で出来る仕事を手計算というか電卓やエクセルで補えば、用事はひょっとしたら片付くかもしれない。

 それで行くと通っている病院の受付と薬局はマイナカードの導入でスムーズになったと思いますよね。このマイナカード部分に相当するのがシステム開発ですが、事務員さんがオートメーションでいきなり失業することなく、業務を行っているので待ち受けでピッとする以外は昔と何ら変わらない事務風景が病院には残っています。

 まあ20年前の話ですが、ソフトの現場で官公庁絡みの下流にあったひとつのイデオロギーとして「自動にしろってんなら役人干して俺らに給料回せ」だったんですよね。会社や役所などの連携が悪く、ソフトの現場はそれはそれで残業続きの閉鎖空間で「俺らが全部やらされている」という思想に満ちていたわけですよ。

 それでもまあ、事務仕事は事務仕事でそれで食っている人の生活防衛もありますから、法規を変えてシステム開発を要求するのも事務の現場とソフト開発の現場両方に仕事を与えるという上流からの計らいなわけです。自動で人が何もしなくなっても回るようになって、実務についても機械の仕様に対しても携わる人がいなくなって無人で何十年と過ぎてしまったら社会に意味不明の自動販売機みたいなものだけが残るというのは、SF世界ではなくコンピュータの一時的な普及期にいちど起こったことのようです。

 けど俺から見て、官公庁のシステム開発は仕事が残っていたとしても、市民にとってのウインドウズやマックのPCやアイフォン、スマートフォンてのはもう米国製のブラックボックスであって、それを介しての会計処理が基本になってくると、機械を使ってんのか機械に使われてんのか、開発の現場から離れて主従はゆるやかに入れ替わっているように思いますよね。SaaSという考え方もありますから、お金を取って仕事を肩代わりしてしまおうという民間サービスが官公庁の心配を上回って、公共サービスに手順が残ったとして、民間の財務会計が全部一手に集約されてしまうという。

 現実問題としてソフトの仕事から離れて8年が経ち、パソコンはまだギリギリ「操作している」と言えるかもだけど、年金生活スマホ会計になってくると、自分の生活を自分でコントロールしている感覚は日増しに弱くなり、与えられた額でスマホの言いなりになるしかない。

 いやブログタイトルと今日の論点はウインドウズOSという汎用システムの利便性と、それを使うしかない日本の情勢下での専用機開発という技術者の抵抗の話だったけど、段々と不可抗力になって来ているよなというのが昨今の感想であります。


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