
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!しばらくぶりのカプエス2はAケン!
20代に派遣PGをしながらカプエス2の全国を狙ってから、本職があってゲームをするのはガチじゃないというゲームのプロに憧れがあって、派遣SEを退職してからゲームをガチっても暮らしが大丈夫にした上で毎日ガチるゲームに疲れて敗れて、振り返ってゲーセンでゲームって遊びじゃなかったかと。
確かにゲーセンでは100円なり50円なり20円なり10円なりは賭けてる。そしてプレステでやるならほぼタダで幾らでも出来る。けどゲーセン代は今考えると勿体ない惜しい金だけど、それなりに世の中の経済が回って給料とか入る金があると思えた頃には気兼ねなく払えた「遊び代」であって、店に払ってひいてはゲーム会社に入るわけで決して客同士100円玉を取り合っている感覚は無かった。
まあ、払う人がいたらもらう人もいてプロがいるわけで、19歳のゲーセンバイトではお客さんから店に入ってゲーム基板を買うお金との差額としてのお給料はもらっていたわけで、それから専門学校行って派遣PGになって果てにはゲーム開発会社で大きなタイトルに関わって、それで自宅で自分でもゲーム作ってみて、ネットで売って「なんなんだろう?」と思うと今も掴まらない。
けど「ゲーセンって遊びだったな」と遊んで「楽しい!」と思った気持ちを手掛かりにAケン・チャンコーハン・ベガで遊んでみると「ああカプエス2も面白く遊べば面白いもんだな」とスゲー気が軽くなって。
カプエス2のエンディングの曲はダウナーで、クリアすると音楽で気分は沈む。その点ストIIXは難しいけどクリアするとスカッとする曲だったよな。そう思ってゲームを消すとNHKの朝ドラの昼の再放送でミセスの曲がかかって、音楽に簡単に負けてはいけない。スカッとしたかったら、カプエス2を遊んで終わってから別に音楽を聞こうと思った。その意味ではロマサガは曲がかなり良く、つまらん中にも楽しい瞬間はゲームの中にあるとも思う。
ファミコンの頃はカセットの差し替えと電源ONでスグにゲームが替えられたので、気分に合わせて遊ぶ中にDJみたいな要素がってゴキゲンだったけど、ゲーム理論と攻略を真剣にやって、1本のゲームに向き合ってからSFCやプレステのボリュームで作品像が変わって「1本で満足できる」という風に月並みだけど1本のゲームで「足るを知る」をしようとして、それでファミコンDJの自由さは失っていたと思う。PS2のロード時間は慣れたけど、ポチッと遊べる16ビット環境をほぼ失くしたのは辛い。
そこにDJという言葉があるようにゲームオタクだった俺はPS2に戻る前にアップルのアイポッドでDJごっこをした時期もあって、HDDに曲を入れて引っ越しでCDをブックオフして実家に戻って何年も過ごしてからギターをはじめて家に残っていたCDをあらためてじっくり聴くようになってから、ブックオフしたものを後悔するんだけど、そこで過去にとらわれ過ぎず前向きに行こうとするのが心の後ろ向きなエネルギーを押し殺していてしんどかった。お金の問題だって絡むからね。
まあ動画とか「ネットですぐ聴けるやん」「いっても広告入るやん」という。DJごっこの気分転換に広告がめっちゃ邪魔だけど、お金を払うことに比べたら「それくらい我慢したらいいやん」が庶民感覚で、もう「この曲の後にすぐあの曲聴きたい!」てのがかなり常人離れした贅沢であって。だいたいそうじゃないとアイポッドとか買わんし。
まあゲームも大枠そういうことやと思う。究極のグルメみたいなゲーム批評。パッと楽しくてすぐ飽きるものより、対戦型で思考を要してプレイ後に残るものが大事という。その意味ではカプエス2のAケン・チャンコーハン・ベガでは何も残らないかも。やってる時は楽しかったけれども、発動ピカーン連打オリコンスパコンピカーンで。
それは「ジャンケンである」と論じた格ゲーに「それでも必勝法はないか」と食い下がって足搔いたこの8年ほど「残ったものはあるのか」という話にも飛び火して、刹那の快感をずっと求めてしまったかも知れないなと。楽器の稽古を含めた音楽もそうで。
快感追求をすることで、店番とか会社員みたいな普通の暮らしの枷の中にもう戻れなくなっているとも思う。22歳で就職した時は何らかの転換があったけど、それは非正規雇用であれ会社員になることに未知のワクワクとスーツを着て勤めることにプライドを持っていたからなのに、今では仕事を「社畜」と蔑んでいる。
「社畜」も「ワープア」もそれはそれで「ニート」を擁護するための言葉だけど、地元の商店街のご近所さんが軒並み後継ぎという名のニートで「おつとめ」がやたら浮いていたこともあって、退職してからのほうがハマっている感じはあるよな。
高卒でニートでゲームしてるのが就職氷河期の一般像だからな。良い大学ではなく専門学校とはいえ、昭和53年生まれで大卒は専門学校とFラン大学まで込みで割合は27%というのが過ぎてみてからの確からしい統計の数字で。
同年代はみな受験戦争だけど、進学したのは4分の1というのが正しいデータなら、卒業後進路として高卒割合って皆が口々に落第を隠し合ってなんとなくどこかに進んだフリで引っ越しとかで関係を断っただけで、立派な学歴とは思われないかもだけど専門学校出て非正規でも就職しているのも氷河期というと少数派かもしれない。
その世代が何とか就職したものを「社畜」「ワープア」と蔑んで、プロゲーマーに熱狂するのはある意味で社会の影を照らす明かりなのかもしれんな。俺は俺で仕事を頑張ったつもりだったが、顔見知り程度のグループの中に闘劇出場者がいたらその方がリスペクト感が凄くて間接的な「友達の友達」みたいのでも顔を合わせたときのキラキラ感が違った。反対に俺は会うと「どよーん」とさせてしまっていた。闇社会だからね。
けどまあ「社畜」「ワープア」もあながち間違っていなくて、勤め先によってはパソコン部屋にわけもなく詰められた行き場のない正社員とその慰みにいじめられる対象として存在する派遣社員みたいな構図はあって。だからして、皆が気にするのはもらえなくても何とかやりくりして暮らしている人々の持っていないお財布のおカネ。
別に旨いわけでもないのに豪華に皿に盛りつけられた前菜付きのコース料理とか、非正規を続けて年長になると新入社員が取りつけた歓迎会や送別会のメシがマズかったのが何だか強烈に印象に残っている。そしてニートが集まってすするラーメンの異様な旨さよ。
ゲーセンでもトレカでも年長者は何かの仕事してお金を持っているように想像して、それで食いもん屋に入っても割り勘だったけど、それらの人々の立ち振る舞い全て就職氷河期とかその上の世代の落ちこぼれの目一杯の見栄だったと捉え直すと、そりゃ回数を重ねると会えなくなる事情も透けて見えてくるというもの。
そこから後追い的に非正規で誰かが働きだしても入社祝いも無くブラック残業で遊び場に来られなくなり顔を合わさなくなる。この暗い世相は戦争機運で株高になっても何処かでは続いているだろうし、株高で株を持ったものは暴落リスクを、現金で耐えているものは物価上昇リスクを怖れながら、互いににらみ合って冷戦状態は続くのであろうな。
俺の暮らしも何とも気味の悪い「どんより感」を日に日に抱えたまま過ぎてゆく。
このブログは本当にゲームの話なのか!?暗すぎんか!?とは思うけど書いた。