もっかいバーチャロンマーズ(ライデンで10-0出ちまった!)

 バルディメオラ&テムジンVSライデン&テムジン8-2のうちバル側人間ライデン側AIで俺の方が上手いんちゃうか(若しくは下手なん)疑惑があるので同じチームで人間とAIをひっくり返して計測した結果・・・

 ライデン側の10-0が出ちまったぜ!んでAI対AIならどうなんだってことは自分のPS2ではやってないけど、当然そこが5-5になるようにゲームプログラマは計算していると思うのよね。そうすると侮りがたし「腕の差」だと思うのよね。

 まあ俺が昔からストII談義で腹立てんのに慢心ではあるけど7-3くらいの勝率で勝ったら向こうから「キャラ差7:3やって」という文句が飛んだ時に内心で「俺の方が上手いから勝ってんのにキャラ差のせいで7:3にするなんて暗黙的に俺とおまえの腕の差が5:5だって思ってんのか!俺どんだけやってんだと思うんだよ!?」てのがあったんですが、まあそれも若い頃で、今もエックス勢では若造ですがもっと上手い人もいるからと、上手い方が勝つのではなく上手い方がバランスを取るべきというようなマナーの問題も加味して「ちょっと勝ち過ぎたか」とまあ最近ではゲーセン対戦は自嘲していますが、単に100円玉勿体ないだけですが来客が来て家でゲームする時にわざと負けると「ミヤザワさん(人によってはカーメンさん)にそれされちゃったら終わりなんですよね」って、全力でやってくれるから連コインして自分の悪いところ咎めてもらって動きを真似て強いと思う相手に突っかかるのが上達の早道(カネはかかるけど)と思っている界隈から、俺がわざと負けるようになると自分の動きが正しくて勝ったのか負けてもらったのか分からなくなり対戦の意味がなく気持ち悪くなってしまう、これ俺も昔から色々の人に感じてたところもあるので、ああ自分もそうなったのだなと。

 相撲では「勝たせてもらう有難さ失礼さを慮って謙虚でいる」というのが大事らしいですが、俺はまあ勝ったら偉いその代わり本気でやるというモンゴル相撲あがりの力士みたいな無作法さというか、勝負事に関して不勉強なところがあって、ここも年相応にあらためないといかんなぁと思うんですが、AIにライデンで10-0勝たせてもらいました。

 まあ、負けるようには出来てると思うから、ホント「勝たせてもらった」で大体の対戦ゲームがそうだから本気で勝ちに来てくれる人とのゲーセン対戦はお金損だけど勝負としては「真面目にやってもらってありがとうございます」みたいな気持ちを持っている時があったのよ。でも今はそれより「お金もったいない」が上回るよね。

今日のバーチャロンマーズ(バルディメオラで8-2)

 バーチャロンのバルバスバウに当たると思われる最速機体のバルディメオラ&テムジンと威力最大のレーザーを持つライデン&テムジン(テムジンはバランス型)で対戦して8-2で勝利。4日目にして慣れた部分もあるが8-2の戦績から初代バーチャロンでバルバスバウが最強機体と呼ばれたことも併せて、異論の出ない結果となった。

 んー、威力最大、単純に強いと思うんだけどなぁ・・・。威力より機動力とあとは腕前?腕前どうやって測ろうか?

 SNSでも書いたんだけど子供の頃から無自覚的に俺の苗字が「宮澤」でクラス会では選挙で田中に負かされ、ゲーセンでも学校でも塾でも「俺ら民やぞ?」みたく絡まれることもあって、まあ親父の亭主関白な家の中での振る舞いを外で真似てしまって反感を買った部分もあったとは思いますが、そこを譲っても相手の威圧は「主権在民」という憲法の文言を「自分達は民であって旧主権者である宮家より偉い」みたく絡んできているように思うんですが、憲法上は天皇投票権が無く俺ら末端の氏族は民と同じであるはずで、苗字が宮だから田中の方が偉いみたいな論理は成り立たず、まあ選挙権がある以上は投票で決めるのが民主主義。でもクラス会とかの狭い世界の選挙で何とも言えない嫌な表の取り囲みはあって、それはそれで負けたのは分かるんですけど、学級委員長も決まって俺は高校では生徒会書記になって、それでもまだ他校のヤンキーに因縁付けられて絡まれましたよね。いやこの話はここまでですけど。

 まあそういう節もあって、なんとなくバーチャロン界にも代表者というか発言者がいてバルバスバウが最強と言っていて、でも中には「ライデン最強やって!」と頑張る人もいて、何なのかなーと思っていてデータを見ると威力最強で「あ、負けたんやろうな」と思ったんですよね。これでも何で最強を決めるかというと「トーナメント」「リーグ」「タイマン」「投票」のうち三者はゲームの勝敗で決めるだけど投票だけはそうもいかなくて、大会動画などを頒布して視聴者の心象を勝った方に印象付けるという事で、放送局の八百長も考えられると思っていたのですが、今日の結果でまあ納得です。

 まあでもタニタカップではライデンがバルバスバウに勝つ一幕もあったようで、そこだけ動画で観戦しました。俺もライデン応援しとった。勝って良かったね!

これから役に立つと思うことを勉強することとした

 まあ、勉強習慣を持つと言っても惰性で嫌々ノートを付けてしまいに落書きというのはどうしようもないサイクルで漫画家を目指すならノートに落書きのひとつやふたつではなくもっと絵を描くはずだとか、勉強ノートに「音楽をする」と言って歌の歌詞にギターの譜面などを書いてきたこの何年かではあるが。

 少なくとも食ったものを手帳に付けて来て、そこから食品につながる有機化学、栄養学、消化器官(内臓)などはちょっとは興味を持って勉強して、まあ体の調子は良いのだが今日は唇がカサカサでどこが悪いんだろうなぁ、という感じ。内臓?

 ヤフーの商品券が当たって失効間近というメールに釣られて商品を見て、懐かしいゲームボーイソフトを2本買えると思ったのだけど、どうせならDSのほうが新しいし良いかとなって、そんで余ったポイントで中野信子の本を買って、そうさね、買い物中にそういや俺が小学校の時に桃太郎電鉄ファミコンで出て同級生とか保護者会で「勉強になる役立つゲームだ」という評で親も聞きつけて「いらんか?」と言うんだけど、理科は好きでも社会科は大の嫌いでゲームであってもはねつけて、グラディウスの宇宙とかドラクエの幻想世界に興味を持つ少年だったんだけど、ああ役に立たねぇなぁと。

 それでグラディウスの思想は宇宙戦争、ゲームにすると射撃で今のバーチャロンマーズまで何となくつながっているし、戦争に際して徴兵が強制ではなく兵士が自ら操縦したいと思うカッコいい兵器を作るべきって思想とロボットが合致していて、それでドラクエの方は飽きて辞めたんだけどレベル上げが努力論みたいな話で都合よくレベルに見合った経験値とゴールドの高い敵が現れてくれたら良いんだけどサラリーマンをする限り年収は横並び頭打ち。そうすると桃太郎電鉄キングボンビーからの方が現実社会を生きる上で学び取ることが多く、ゲームで駅名を覚えたというのは素晴らしい事だと思うのだが、いかんせん俺の良く言うゲーム性は双六で子供ながらに運任せ。株券や物件を買って電車で国内旅行していたら大金持ちがゴールで「原資はどうすんだ?」というスタート地点に自分が立てるわけないみたいな思い込みもあった。

 それがところが、46歳もうじきもうひとつ年取るけど、そこへ来て人生ゲームの双六が本当に面白いかという話ではあるが、悔いているのはそれで桃鉄で競ったのではなく学校で試験の点で競って社会科は特によく負けたということで、点レースとしての勉強は分かっても、それが現実とどう結びついているかというと家と学校とゲーセンの往復の狭い社会では哲学とかの方が面白く、25歳で行って見るまでアメリカなんて国や大陸もテレビで見るだけであるかどうかも疑わしいというような世界観だった。 

 まあそれで桃鉄で楽しく鉄道旅行で路線図を覚えるという事のためにゲームを買って双六を遊ぶというのも悪くはないがいかんせん一足飛びには行かず地図帳で勉強でもしてみるか鉄道路線図では負けても何か違うことは無いかと思うとコワンチュウが地理的に結構思っていたのと違う場所で(どこを思っていた?)今後って言っても恐らく事後なんだけど近代的には重要な場所なんだなぁと思うなど。カリマンタン島の名前を知らなかったのも恥ずかしいところ。パプアニューギニアは名前は知ってたけど島の地図を書いたのは初めてだと思う。

 引きこもりで親父が昼飯にコンビニのチャンポン麵とシャケおにぎりを買ってきてくれた。引きこもりだけど、車の免許は持っていて来年更新の予定。車も電車も乗って何処かへ行きたいって欲求は最近ほとんど無くて、灯油などの買い物に必要でいずれ乗らなきゃなとは思うんだけど、家でいるのが好きというか。オシャレして出かけるってのもお気に入りの服とか自分像にもう自信があんまりなくて、人付き合いはネットでSNSかキレイどころをテレビで見るだけで充分だと思ってしまう。

 そうすると今後の人生って何だろう、先立って何が役立つだろうってことで、もはや悔いを消化するためで自己満足的でしかない勉強がほとんどで、恥ずかしい負けの目を後から悔いるだけで未来など開けていない。そこへファンタジー以外で未知の世界として、自分がテレビなどで見て知った気になっていた後進国の成長というのが日本にいて自国の衰退を嘆くよりは明るい展望に思えるんだ。

 このまま自室で人生終わって良いか?みたいな問いかけが心に浮かびだすのよ。


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