年貢

奈良も加賀百万石に倣おう。
と思って何をすべきか考えた。
大和郡山市の特産品は金魚ということで、まあそれでも宣伝するかと思う傍ら食えないものを増やすのに養殖費用がかかるのはどうよ。
また衣服や料理を外で買って賄う俺にとって文化度をあげるため贅沢をすると人を働かせて一時的に表層的に店頭価格と売り上げは上がって見えるが消費税の負担が俺も店も増える。
税収アップは東京都の利益になるイメージだ。
実は質素倹約に身なりにこだわらず食べ物も簡単な料理でいただくほうが幸福は増すのでは。
暑い夏、子供の頃に母親がそうめんやもりそはを作ってくれた。あれ、俺は涼しい思いをしたが独り暮らし初めての夏に束でそうめんを買って台所で茹でると汗だくになり、結果マンションを引き払って家に帰るまで残りのそうめんはそのままだった。
まあ、今日は五輪開会式が控えているのでずれた話はこのくらいにしておく。そんな行事に関心無く休みをもらえて遊ぶ人も多いそうだ。

マカロニえんぴつに感じる違和感
それは俺の人生の矛盾と合致する。

先公を殴って退学して不良仲間とバンドして成功するなら筋が通るけど、そこまて反抗しきれずどこか従順さが残ったまま年だけ食って音大出てバンドで成功した姿は確かにロックバンドと同じ姿で映像化されているけど中身は流行から取り残されたクラシックの先生がロックバンドに嫉妬して生徒に下駄を履かせて後乗りで仕返ししたレプリカにみえる。
良く出来たレプリカは何でもって本物と区別されるかというと歴史的経緯の証拠と鑑定士の眼力であってデジタル放送の映像や音楽は既に同じで紹介されている歴史的経緯に難癖をつけたくなった。
クラシックと呼ぶほど古びては居ないけど単なる模倣ではなく学校で習ったというフィルタを通した!つまり濾過したような模倣。
はみ出しものから成り上がった成功例から学校の先生が上澄み取って濾過して学生に与えたもので、バンド当人たちではなく音大てのにも源流とは違う横取りの胡散臭さがある。
まあ有り体に優等生バンドという月並み表現になって、時代というか人気投票がツッパリより優等生に集まる流れは来てるんだろう。
筋が通ってないとはいわないけと真っ直ぐではないよね。そこまて含めて人気になる時代が来たのか。

たしかなこと

小田和正の「たしかなこと」を歌った。
伴奏を付けたいがギターの定型的なコードを試して上手く絡むところがみつからず、ケータイで動画を視聴してから歌のはじめの方にギターを譜面無しで絡める稽古をして満足と諦めの接点に至った。
そのあと昔に書いたノートを見ながら一青窈の「ハナミズキ」を弾き語りした。
いわゆる音楽理論に関しての賛否で誰しも出来るようになる面とそれでは表現に個性が出せないという面かあるけど、まあ簡単な話としてハウツービーシンガーソングライターということであって俺は誰にも教えて下さいといえずJ-POPを聴いてMacで音楽について学んだ。
ギターも教本と動画で覚えた。それには執筆者や撮影者がいて、自分の生徒でなくとも教えを伝えたいという意図は明確にある。
だけど習いにも行かないで部屋でいきなりギターからいい音が出るようになるとギターを弾いているのではなく電子機器の音だと言うひともいた。
そしてそれは意識しつつも解決出来ず無視してネットを活動範囲としているとある日「うっせえうっせえうっせえわ」と自分に罵声を浴びせられた感覚になり特に「ああよく似合う可も無く不可も無いそのメロディ」という節が大好きなミスチルの「いつの日もこの胸に流れてるメロディ」に矢のように刺さってつまるところそれらはロックやポップスの研究から出て来た安易なハウツーの結果でした。
定型である以上はそこから導くものもどこか定型から逸脱出来ないのも必定で、今まさにインスタントに奏でてきた壁にぶつかってます。
さんざん悩んでから、もう一度弾いたハナミズキは自分の殻が1枚むけた気がして自信になりました。