ふて寝してみた

努力は実るというのは、努力が本当に実るかよりも信念を持って目標を立てて叶うことを信じて何かに打ち込んでいる人は精神が安定していて幸福であるというような落とし所だと思う。

ふと、それを信じられなくなって虚無感つまりむなしさに襲われた時に、どうやって回復するかと言うと初心を思い出し結果を手に入れたい、そのためにはずるい方法はなく愚直に目の前のことに打ち込むことであると信じると、その目の前の努力それ自体が希望に満ちて楽しくなる。そういうことじゃないのかなと思った。

そうは言っても、いったいいつからこの生活ルーティンになったか、いつまでやるのか、どうなったら叶ったと言えるのか、そしてもし叶わないまま志半ばで命を落とすようなことがあったらどうか、などと思ってしまうと、とりあえず一度寝てみようと。3時間くらい「ふて寝」した。

そういえば朝の番組に森山直太朗さんとピアニストの方が出ていた。名前すら忘れた。ああなったら良いのにな、と思ったことはあるが、CMが挟まってタバコを吸いに台所に降りて火がタバコの半分ほどまで来たところでそういえば直太朗さんの歌だったと思い出し居間のテレビを見に行ったら歌は終わっていた。順序が反対だが、それもあっての後のふて寝である。

酒にタバコに依存する弱い人間だが、実は酒は減らしている。減った分、起床時間が増えたので何かしようと思うのだがテレビを見てしまう。20代に住んだマンションには最初テレビを置かなかった。紅茶屋の店員さんに恋をして、話をするとテレビがない本を読んでいると言うと異次元の生き物のように困惑された。そのときにはテレビも少しは見て人と話を合わせないといけないのかなと思ったものだが、今思うとそれより歯磨きをサボってて口臭が原因だったのではないかなとも思ったりもする。

テレビを見るのは楽しくて、子供の頃にはドラクエにハマったがテレビはもっとゆっくりと子役のえなり君や鈴木福君に神木隆之介君だ段々と大人の役になっていくのが面白い。

このブログは統計から一見さんが多いのだが、継続的な読者からしたら変わり映え無く自覚しているこの俺の微妙な生活や文体などの変化をウォチって楽しんでいるのかも知れない。

果たして育っているのだろうか。すごくゆっくりのペースだが作風は変わっていると思う。ただし、人としての付き合いはある程度は相手に想像可能な人格があって初めてひとりの人と付き合っているという感覚を持つものだから、何か特別な人であると思われる崇拝の対象となってしまいたいと思うのとそうならないで普通の人と人として接するなら「何だ普通じゃん」と相手すらされなくなるのではないかという恐怖みたいのと背中合わせでいる。

気付けば歳だけ食っちまったという後悔の記

昨晩はトルネコの大冒険3ADVに没頭して100回目達成、死んでもういちど101回目{今度こそ!」と思ったものの武田鉄矢がトラックに轢かれて死亡するがごとく終了。寝た。

不思議な夢を見た。将棋プログラムの開発者である山本一成さんと議論をしていた。「失礼かと思って言えなかったのですがミヤザワさんの駒の利きという研究で自駒に対する利きを評価していますよね、しかし将棋のルール上自分の駒の上には乗れないので、駒を動かして空き地になるか相手の駒が乗って初めて利くわけで、論理的には評価してはいけないかと」それからまた意識は飛び、コロナで咳をして息が苦しいという夢の途中で目が覚めた。

朝から黒豆パンにコーヒーにゆで卵、カプエス2はオリコンのAリュウ・テリー・草薙京で遊び、考え中だった数学の問題をノートを開いて解き、積んでいたヤンジャンのマンガを裏の目次から探してまとめて読み、読み終わったらちょうどテレビドラマ「同期のサクラ」の再放送で悪役の新社長が昔の社長にそっくりで夢中でみた。仕事がない時に行った製図メーカの面接官だった社員が面接から決まるまでの間に独立して新会社を立ち上げるのに力を貸してくれと言われて手伝ったものの実質的にNTTの下請けだったという。資格持ちが社員にいると話が通しやすいのだろうな。

ドラマを見て、これ若い頃の俺に見せたらギター弾くとか言い出さないで建築の構造計算で頑張ってステップアップを夢見たのかなと思うけど、課長が実質的な研究職というか教授みたいな存在で、自分は助手だったけど自分なりに出した成果が全部課長のものになるのが耐えられず歯向かうと即座に解雇というわけではないけどそうせざるを得ない周囲の関係があったな。

だが、もうひとりの課長に言われたのは「建築の仕事で構造というのはどんなに仕事を頑張っても意匠の下やねん。世にでるのはみんな意匠や。君そっち目指さんか」と。そうして20年経ってみて先の課長の言いそうなことが頭に浮かぶ。「ギター弾いてるのも芸術家やん。意匠と言っても芸術家やから君は自分のしたいことを選んでそれでいいんや」と。しかし考えようによっては芸術家は自己リスクで建築をしていて、ゼネコン的に公金で建物を建てる仕事にぶら下がって、ある意味で下級公務員とも言える安定した仕事の椅子から体よく芸術家を目指させて外されただけではないのかとも思える。

まあ、自分の心の問題はほとんどが考えよう。暮らすお金はあるけど趣味で建物を建てるとなるとこのまま順当に貯金していけば自分の家くらいはいちど施主に成れるのかもなと思うと、来るべきその日に向かって夢は描けるかもと思う。まあ、今住んでいるままでも内装とか家具の配置の変化で遊ぶことは出来る。住みよいを考える前に住んでみることだ。まだまだ自宅で全部するようになって3年目だから。

ネットで建築雑誌「新建築」を見ようとするとベクターワークスのソフトと雑誌の広告が出てソフトは30万円で雑誌は2400円。高いなぁ。こんな高い雑誌を通勤途中に値段も見ずにレジに持っていける仕事に就いていたのに、どうしてこうなった。考えたら建築の仕事はゲームプログラマーを夢見ていた時に紹介してもらった寄り道だったな。そういう寄り道が今全部自分の夢を膨らませる原料になっていると思う。ただ、ゲームも建築も勉強し直すには少し歳を取りすぎた気はする。何故歳をとったかと言うと音楽に寄り道したからだ。それでもIT関係ならまだもうちょっとお金を稼げそうな気もする。

あなたが思うより健康です!と言われても俺病気なので、まずは健康を取り戻すことから。病気のままでも出来ることはいっぱいあるから、計画的にペースを自分に合わせて進めていけば何かは出来るんだろうな。

今日のカプエス2(Aリュウ・テリー・草薙京)

名著「7つの習慣」は存在を知りながら読んだこと無かったのだけど、何かを成すためには主観づくりは大事よねと数学の勉強、トルネコの大冒険3アドバンス、ギターの練習の3つの習慣を最近大事にしていた。だがカプエス2な。ちょっと嫌になってサボってた。

ここで「7つの習慣」をまとめでサラッと読んでみると自分の葬式の時に見送る人が自分をどう評価するかというとアメリカの150年史ということだけど、日本の昭和の葬式仏教の生死観とどこか通づるものがあり、上っ面の成功方法より精神に重きを置くというその考え方も復古的だなと思った。

その意味では最近の俺はゼスプリのキウイのコマーシャルの「好きなことは楽しみながらね」が最高だと思っていて、習慣を作ると言っても嫌なときまで机やゲーム機にギターに向かうとなると好きなことすら嫌いになる瞬間があるので、やりたい時に自然にやりたいだけやる、嫌な時は沿う感じたらやめるみたいなほうが良いのかもなと思っている。

ところで、カプエス2も勝つために強キャラを選ぶみたいなのと好きなキャラで頑張るみたいのは常にせめぎ合ってて、どちらが本当かと言うと、好きなキャラで頑張っても勝てない時にそれがもしキャラ差のせいでキャラを変えたら勝てるのなら勝手満足して、そしてまた遊ぶ動機すら見落とすほどになったら改めて好きなキャラで挑戦してみるみたいな俺にとってごく普通の取り組み方が周囲からキャラをコロコロ変えるのが気に食わないみたいなとこで人間関係としてもつれている問題であって、ゲームや俺の個人的な問題でもないと言うか。

ちなみにトルネコ3は92回目。世の中には異世界を1000回遊んで3回クリアしたという人がいるらしいが、100回やってダメだったら自分をどこか許せるという気になって当面の目標は100回。そうするとあと8回しか無いと思い行動が今までよりも異様に慎重になる。100回やってももしかしたらダメかもだけどこの90回台はいつになく楽しめてる。大台に乗ったら乗ったたでまた続けてもいいかなと予定している。

数学の問題集は微分から数列の極限に戻ってパッと開いたページが早稲田大学の過去問だった。何分で解けば良いのか配点は何点かみたいのは知らないが、悩んで解けたときには少し気が軽くなった。

ただ、俺が受験勉強をやり直すとか上位の国家試験を目指すのには反対の立場の人もいて「いちど下層社会に落ちると足を引っ張られる」みたいな価値観になったこともあるが、決して足を引っ張るではなく、落ちたら落ちたで道はあってそこで助けてもらった色々の人への恩を忘れて「自分の努力で結果は実る」みたいな個人主義に思考を転換させるのが気に食わないということのようである。

自分で台所を片付けるか、別の仕事で稼いだお金を払って食器洗い機を買うなり家政婦さんを雇うなりして食器を片付けると、結局の所は電機メーカや家政婦さんは働かないと行けないわけで、食器を洗うという仕事を外に投げているだけで、数学の勉強をしたら食器が片付くというような魔法では決して無いのである。

この論理は自民党だろうが共産党だろうが誰かは働かないといけないし、余って遊ぶことになる人は出るという問題の縮図のように思える。誰かはやらなきゃだしみんなでやるって言っても出来ないしそもそも仕事すら当たらない人だって出てくるだろう。学校という特殊社会の中では理解できなくても。